「ふたりとも、講義には慣れた?」
副幹事長の有楽(うらく)センパイが、わたしと脇本くんに訊いてきた。
「まだ始まったばっかりで、なんともいえないですね」
脇本くんは答える。
「ふうん。……羽田さんは?」
有楽センパイが振ってきた。
わたしは率直に、
「慣れないです、まだ」
「あら、どうして?」
「男の子といっしょに授業を受けるのが――久しぶりなので」
「あー、羽田さん、女子校出身だもんね」
「共学は、小学校以来です」
有楽センパイは、共学校出身だったのかな……と、逆に訊いてみたくなったが、
「名門だ、名門」
日暮(ひぐらし)さんが、横から入ってきて、
「あこがれちゃうよね……名門女子校で、中学・高校と6年間……」
あはは……。
「全国的に有名なところじゃん? 岡山にいても、知ってたよ」
日暮さんは岡山県出身なのだ。
「……岡山には、女子校ってないんですか?」
わたしは訊いてみる。
「あるよ、もちろん」
まあ、そうですよね。
「あるけど、あるんだけど……さ」
「?」
「やっぱり……あなたの出身校と比べると、格が落ちるよ」
そんなものなのかな?
「ちょっと真備(まきび)っ、話が脱線しちゃってるよっ」
日暮さんをたしなめる有楽センパイ。
「講義に慣れたかどうかの話だったでしょっ」
「そうだっけ」
「そうだっけ、じゃないでしょ」
「ふむむ」
「なんなの、そのリアクション」
「――羽田さんと脇本くんは、どっちも第一文学部だったよね?」
日暮さんが確かめてきたので、わたしたちふたりは共(とも)にうなずく。
「二外(にがい)は?」
第二外国語をなににしたのか、彼女は知りたいらしい。
「ロシア語です」
わたしは答える。
「すごいね。冒険するね」
冒険。
ロシア語選択って、そういうイメージなのか。
高等部時代に、すでにドイツ語を履修していたわたし。
大学では、別の言語を……と思い、ロシア語を学ぶことにした。
ロシア語の講義はもう始まっている。
しょっぱなの講義で、自己紹介タイムがあって、
そこでわたしは、とある『失敗』をしてしまったわけだが……、
それはまた、別の話。
「ロシア文学、好きなので」
「ドストエフスキーとか?」
「ドストエフスキーとか。」
「そっかぁ……」
感嘆(かんたん)するように言ったかと思うと、日暮さんは今度は脇本くんのほうに視線を向けて、
「脇本くんは?」
「僕はドイツ語です」
すかさず、わたしは割って入って、
「独文科(どくぶんか)だもんね、脇本くん」
「そういうこと」
「ドイツ語だけどさ――もし、勉強してて、わかんないところがあったら、わたし教えてあげるよ」
「え!? どういうこと、羽田さん」
「わたしの学校ね、高等部で、英語のほかに第二外国語も習わなくちゃいけなかったの」
「……それで、高校のときからもう、ドイツ語を?」
「そ。だから、勉強手伝ってあげる」
「おー」
「おー」
日暮さんと有楽センパイが、同時に声を出す。
感心しきり、といった感じで、
「やっぱ、スペック、違うわー」
と、日暮さんが言ってくる。
「やだなあ、おだてないでくださいよー、日暮さん」
わたしは、半分だけ、謙遜してみる。
「そっかそっか。文学少女に、文学青年か」
あらためて、わたしと脇本くんを眺め回して、日暮さんが言う。
「僕は……文学青年とか、そういう域には達してませんから」
あわてて謙遜する脇本くんに対し、日暮さんは、
「でも独文科なんでしょ?」
「……僕はまだまだです。これから4年間かけて、地道に、文学を究(きわ)めたくて」
「――謙虚だね」
そう言うと、日暮さんは自分のアゴに左手をあてて、意味深に脇本くんの顔を見続けて――、
「あのさ、」
「な、なんでしょうか……日暮さん」
「脇本くんのこと――、」
「はい??」
「――『ワッキー』って呼ぼうと思うんだけど」
たじろぐ、脇本くん……。
「いきなり、すぎませんか……」
青い顔で彼は言うが、
一切お構いなしに日暮さんは、
「いーじゃん。『ワッキー』って呼ばれるのは、脇本一族の宿命だよ」
「い、『一族』ってなんですか、『一族』って」
「細かいこと気にしちゃダメだよ、ワッキー」
「……『確定』なんですか!? 日暮さん」
「確定確定。よろしくワッキー」
畳みかけるように有楽センパイが、
「わたしも、ワッキーって呼ぶ~」
そんな……と絶望的な顔になる、彼。
「いいでしょ、ワッキー? ワッキー呼びのほうが、親しみがこもってて、ソフトボールやるときの連帯感も増すと思うんだ」
「う、有楽さん、連帯感って、どういう……」
「チームワークってことよ♪」
――脇本くんのニックネームが、いまにも強行採決されてしまいそうなとき、
ドタドタと、幹事長の久保山(くぼやま)さんが、サークル部屋に入ってきた。
久保山幹事長は入ってくるなり、
「いま、グラウンド、使えるみたいだけど、練習すっか?」
練習!
「は、羽田さん……眼がキラキラ輝いてるな。そんなにからだ動かしたいのか」
もちろんですとも、久保山幹事長。
わたしは右腕をぐるぐると回して、
「練習するなら……ピッチャー、やっていいですか?」
「い、いいとも」
やった~!
最高です、幹事長!
ウィンドミル――だっけ。
ソフトボールで投げるのも、久々。
腕が鳴る。
「あ、でも羽田さん、運動着とか、持ってきてないんじゃ」
「大丈夫です、幹事長。ちゃんとジャージ、持ってきてるんで」
「よ……用意周到だね」
「――そうと決まれば、更衣室に案内しなきゃだね」
有楽センパイが立ち上がった。
日暮さんも、続いて席を立ち、
「そーだそーだ。行こ行こ、女子3人で、着替え着替え~」
と言って、有楽センパイと共に、移動を始める。
入り口付近で、日暮さんが、ふと立ち止まり、
「クボ、いまから脇本くんは、ワッキーだから」
と、かわいそうなわたしの1年生仲間を指差しながら、久保山幹事長に『通告』する。
『あんたもワッキーって呼ぶんだよ…』というニュアンスが、彼女のことばには含まれていた。
「脇本……じゃなかった、ワッキーはどうする? グラウンド、ついてくか?」
「……なんでわざわざ言い直すんですか」
「ワッキー、って呼ぶほうが、なんだか言いやすいから」
「幹事長……そんなぁ」
「悲鳴を上げてる場合じゃないぞ、ワッキー」
「……これは、全員でグラウンドに行く流れ、ですよね」
「そうだ。結局おれたちについてくる他に選択肢はないってことだ、ワッキー」
「はい……」
「脇本くん」
「羽田さん」
「そんなにうなだれないで」
「……」
「約束、してあげるから」
「約束??」
「他のみんなが、全員、あなたのことを『ワッキー』って呼んでも――わたしだけは、『脇本くん』って呼んであげる」
「羽田さん……!!」
ウソの約束は……しないよ。
脇本くん。