「あれ? お父さんは」
「もうゴルフの練習に出かけたわよ♪」
「――ずいぶん早いんだね」
「そういうものなのよ♪」
「ゴルフが?」
「ゴルフが♪♪」
ふーん……。
私には、よく分からないけど、
とりあえず……、
お父さんが帰ってきたら、
こう言うんだ、
『今晩、私と一緒に、テレビ視(み)よう』って。
朝ごはんを食べながら、
「お母さん」
「?」
「私――もっと、お父さんと仲良くしたいんだ」
「あら、いまでもじゅうぶん、仲良しじゃない♪」
「そうなんだけど、もっともっと」
「どうして?」
「――どうしても。」
× × ×
『結果がすべてじゃない』
お父さんの、口癖。
お父さんがいつも言っていた、そのことばを――、
あらためて、大事にしたい。
これからの、支えにしたい。
× × ×
共通試験で失敗した私は、
浪人ではなく、私立大学への進学を選んだ。
部屋の勉強机で、大学からの書類に目を通す。
立ち止まっては、いられない。
でも――つい、小冊子をめくる手を止めて、
麻井律のことを、思い浮かべてしまう。
麻井が東京を離れてしまった。
ひとり暮らしをするためだ。
関東地方の国立大学とはいえ、距離的に、致し方ない。
せっかく、仲直りできたばっかりなんだけどな。
お互い、別々の生活が、待っている。
顔を合わせる機会が、激減する。
あいつが、ひとりでちゃんとやっていけるだろうか、という不安。
それと、
あいつが近くにいなくても、私はちゃんとやっていけるだろうか、という不安。
なんだかんだで、麻井がいたから、折れずにやってこれたんだ――って、いまとなっては思っている。
ケンカもいっぱいしたけど。
× × ×
むかしのことを、あれこれ思い出して、感傷にひたりかけていたら、
お母さんがノックしてきた。
部屋に入るなり、ベッドに腰かけて、
「しぐちゃんも、こっちにこない?」
と誘ってくる。
「お母さんのお望みとあらば」
そう言って、私は素直に、ベッドに移動する。
隣り合う母娘(おやこ)。
お母さんが、意味深に笑っている。
なんだろう。
「――いいものを、しぐちゃんにあげるために来ました♪」
いいもの?
「ジャジャーン!! 臨時の、お小遣い♪♪」
お母さんの手には、いつの間にか、ポチ袋……。
でも、
「どうして、急に、お小遣いを……?」
「お洋服を買うといいよ♫」
「……服は足りてる気がするけど」
「そんなこと言わないのっ♫♫」
「え」
「ありすぎても困らないでしょ? 服は。
せっかく、大学に通うんだから、もっと買っておくといいよ♫」
「そんな、もの、かなあ……」
「オシャレしたくないの? しぐちゃんは」
「……オシャレは、したい」
「だったら、好きな服を、買ってごらんよ♫♫」
ポチ袋を受け取らないわけにはいかなかった、
のだが、
「もしかして……けっこう、大金? 中身」
「気になるなら確かめようよ♫」
中身を確認してしまった私は、
「いいの……? こんなに、もらって」
お母さんはルンルンと、
「入学祝いその1♫」
「その1って、次も、あるわけ」
「もちろん~♪」
なんたる、サービス精神……。
でも、お母さんがサービスする気持ちも、わかる気がする。
いや、気がする、じゃ、ない。
私は、娘だから――お母さんの気持ちを、想いを、丸ごと、汲(く)み取ることができる。
「――ほんとうに、やさしいね、お母さんは」
そう言うと、
「もっと甘えてくれたっていいんだよ♫」
これ以上――なにをどう甘えれば、という話でもありはするが。
「じゃあ、お言葉に甘えて――甘える」
ニコニコとしているお母さんの右肩に、
じぶんの左肩を、くっつける。
寄りかかるようにして、甘えて、
「なぐさめて、お母さん」
「……なぐさめてほしいんだ♬」
「麻井が、麻井が私のそばから離れていっちゃって。それがさみしくてつらいの」
「律(り)っちゃん……か」
「しばらく会えないし。腐れ縁みたいでも、どこかで麻井は私の支えだったんだって思う」
「友だちは……大切よね」
「お母さんなら、共感、してくれるよね?」
「もちろんよ。
長いあいだ、しぐちゃんと律っちゃんを、見てきたんだもの」
私の切実なことばを、
真心を込めて、お母さんは受け止めてくれている。
なぐさめて。
癒(い)やして。
「……よしよし、しぐちゃん♫」
私の左手を、しっかりと握ってくれる。
その、握る手が、馴染んでいく。
お母さんの温かみが、全身に行き渡るのを感じる。
目頭が熱くなってきた。
涙声で、言う。
「立ち直るから。きっと。」
「うん。立ち直れるよ。必ず、ね♫」
「ありがとう。私、たぶん、大丈夫……」
受験のことも、
友だちのことも、
いろいろ、あったけれど。
全部ひっくるめて、私は立ち直ろうと思う。
お母さんに甘え切ったら、
ひとまず顔を洗おう。
泣き腫らした顔じゃ……ゴルフの練習から帰ってくるお父さんを、迎えられないから。