【愛の◯◯】平塚駅にて……

 

小学生かと思ったら、麻井先輩だった。

……いや、さすがにそれは、あまりにも失礼か。

もうすぐ、大学生になろうというお人(ひと)に……。

 

 

「羽田」

「はい」

「……子どもっぽいって思う? アタシ」

ぼくは歯切れ悪く、

「そんなことは……ありませんが」

「それは、否定できないっていう口調ね」

「……」

「どうして、背が伸びなかったんだろ……くやしい。どこまで行っても、お子様に見られる」

「し、身長のせいにしないでください」

ぼくは、必死に言う。

「麻井先輩は……ぼくより、大人です」

「――なんの根拠があって?」

んん……。

「た、たとえば。

 行動力……とか」

「あー」

「…先輩?」

「――ごめん、『なんの根拠があって?』とか訊いたアタシがバカだった」

これまではなかなか見せることのなかった柔らかい笑い顔で、

「さっさと電車、乗ろうよ。

 日が暮れちゃうよ」

 

× × ×

 

新宿や渋谷に出るまでもない……という麻井先輩の意向で、南武線に乗って川崎を目指した。

 

「どんな映画観ますか?」

電車が武蔵小杉を過ぎたとき、ぼくは麻井先輩に尋ねた。

「あー」

……あの、その反応は困るんですけど。

 

車窓を見ながら先輩は、予想外のことを言ってきた。

「川崎で映画観るって約束してたじゃん」

「……違うんですか?」

「あれは、口から出まかせだった」

はいぃ!?

「……声が大きい」

「だって、驚くじゃあないですか」

「そうだね、アタシ嘘つき」

「映画じゃなかったら、いったいなにがしたくって、ぼくを――」

東海道線乗りたい」

「――横浜にでも、行きたかったんですか?」

「アンタ、横浜、詳しい?」

「…わりと」

「へぇ」

「羽田家はベイスターズファンなんです。だから、横浜の地理には明るいほうだと思います」

「そーなんだ」

「横浜観光…するんですか?」

「ちょっと、心が動いたけど――、

 でもやっぱやめた」

 

せ、先輩。

ワガママかな?

 

「アタシが、行きたいところまで、行かせてよ」

 

横浜を突き抜けるつもりだ。

ワガママだ……!

 

 

× × ×

 

 

東海道線が快調に飛ばしている。

 

不安になってぼくは、

「まさか……平塚より西まで行きませんよね?」

「気分次第。ぜんぶアタシの気分次第」

「そんなぁ」

「勘違いしてほしくないのは――、

 受験がうまくいかなくて、やけっぱちになってるとか、そういうわけじゃないってこと」

 

ならば――いったい、なぜ??

 

「お願いだよ、羽田。

 アタシの自分勝手に……つきあって」

「……。

 麻井先輩。

 どこまでも行く、といっても、限度、はあると思いますが」

 

彼女の意図がわからなくて、

なおさら不安、

だから、

真面目にならなきゃ、と思い始めて。

 

「静岡まで行く、とか言われたって、困るんですよ、こっちも」

 

……となりに立つ麻井先輩の期待がしぼんでいくのを、感じ取る。

心苦しいが。

 

平塚に停車した。

ぼくは吊り革から手を離した。

開いた扉にずんずんと進んでいくぼくを、あわてて麻井先輩が追いかける。

 

× × ×

 

「――ここらへんで、あきらめましょうよ、先輩」

ぼくを見てくれない麻井先輩。

「あきらめてくれないと。だって先輩、帰られなくなるところまで、ぼくを引っ張っていきそうな勢いだったんで」

まだ、顔をそむけている。

「もうじゅうぶん、遠くまで来たじゃないですか」

 

「……けっきょく、お子様あつかい」

 

「え?」

 

「お子様あつかい、するんだね、羽田も。……たかが平塚まで来たぐらいで」

 

「――違います。誤解です。そんなこと思っていません、お子様あつかいだとか――」

 

うるさい!!

 

「……やめてください、先輩、どなるのは」

 

「アンタの言うことなんか金輪際聞かない、アンタがなにをどう言おうと、もっと先までアンタといっしょに行くんだから」

 

「……ダメです」

 

「拒否権なんて、許さない」

 

「ダメです。ダメなものはダメなんです」

 

「なんでよ、羽田、なんでよぉっ」

 

彼女が、袖を、つかんできた。

 

――、

構わず、

 

帰られなくなってもいいんですかっ!

 

ぼくは――彼女を、先輩を、

叱っていた。

 

突き放された彼女の、

顔の、雲行きが、

どんどん、

どんどん、

怪しくなっていくのがわかった。

 

やがて、

彼女の眼が、ぶわぁっ、と、うるみ始めて――、

悲しそうに、

心から、悲しそうに、

泣きじゃくり始めてしまった。

 

 

精一杯に彼女は言った、

どうして……どうして……わかってくんないの、

 初めて会ったときから……いっつもそう、アンタは、

 アタシを、裏切って、裏切り続けて…………

 

 

ぼくの、良心が、

ナイフでえぐられていた。

 

心苦しい、という次元じゃなくて。

 

泣かせた。

――その事実を、超えて、

これまでになく――彼女の感情が、

ダイレクトに、響いてきている。

 

これは……どういうことなんだ。

なんなんだろう……。

 

 

もしや。

もしや――本気で泣きじゃくる、彼女の気持ちは――つまり、

ぼくに対して――そう、

彼女は、

麻井先輩は、

 

ぼくのことを。

 

 

 

× × ×

 

なだめるのに2時間かかった。

 

× × ×

 

 

東京方面の東海道線

 

 

自己嫌悪が、ジンジンと、うずくようにぼくを、襲う。

 

 

……泣いて疲れた麻井先輩が、

ぼくのとなりに寄り添って座りながらも、

寝入っている。

 

 

麻井先輩の、温かみが、

確実に……ぼくより、温かい。

 

その体温が――、

いまは、つらい。