放課後。
アタシを待ち構えるようにして、教室の入口に、甲斐田が立っていた。
「麻井、お願いがあるんだけど」
「なに?」
「あのね……」
「だから、なに?」
「……」
「焦(じ)らさないでよ、アンタらしくもない」
すると、甲斐田はとても恥ずかしそうにして、
「麻井はこのあと――KHKに行くんだよね?」
「行くけど」
「私も……ついていっても、いいかな」
な、
なんのお願いかと、思いきや。
かなり衝撃的。
「アンタが……KHKに!? どんな理由で」
「ひとりで放課後を過ごすのが……つらいから」
「家に帰って勉強しなくてもいいの」
「だから、それがつらいんだよ」
× × ×
アタシの後ろにピッタリついてきて、甲斐田が旧校舎の領域に足を踏み入れる。
甲斐田、だいぶ弱ってる。
どうしてなのかは、もうハッキリしてる。
腐れ縁のアタシとしては――どうにかしてあげたいけど、どうやったら立ち直るのか。
とにかく、様子を見ることにしよう。
【第2放送室】の前まで、やってくる。
甲斐田が、弱々しい眼で、扉を見つめて、
「ここなんだ」
「そう。ここ」
「思ったとおり…ボロい」
「うっさい」
すると、元気なく笑って、
「もう後輩が来てるね」
扉の窓ガラスが明るいのは、先にだれかが来ている証拠だ。
「ちょっと……入るのに、勇気が要(い)るかも」
「なに言ってんの、ここまで来て」
おもむろに、パーカーの袖を甲斐田が掴(つか)む。
「……でも、麻井といっしょに入れば、怖くないか」
怖いもなにもないと思うんだけど。
ビクビクしてる甲斐田なんて、甲斐田らしくないよ。
らしくない、けど――、
いまは……仕方ないのか。
パーカーを掴む手が、小さく震えているのを、アタシは感じ取っている。
× × ×
なぎさ、クロ、羽田、全員そろっていた。
言うまでもなく、甲斐田が入ってきたのには、3人とも大いにビックリしていた。
「黒柳くんとはずいぶん久しぶりね」
「はい。でもどうして、いきなりKHKに――」
「違う空気を吸ってみたくて」
釈然としない様子のクロに、
「そっとしておこうよ、黒柳くん」
となぎさが声をかける。
なぎさは、甲斐田の気持ちを察知したみたいだ。
「私のことは放っておいて、自分たちの活動をやればいいんだよ」
甲斐田は言う。
なぎさは甲斐田に微笑み返して、
「じゃあ、お言葉に甘えて」
「甘えてもなにもないよ……いちばん甘えてるのは、私なんだから」
「そんなこと言わなくてもいいじゃないですか」
「そうだね。でも、言っちゃった」
いろいろ把握したのか、甲斐田先輩のこと頼みます……と、なぎさがアタシに目配せしてメッセージを送る。
なぎさを会長とする新体制のKHKが、次の番組企画についての話し合いを開始する。
あーでもない、こーでもないと、意見を飛び交わす下級生3人。
そんな姿を、弱々しくも優しく、甲斐田は見守っている。
「……元気って、いいね」
「そう思うでしょ。アンタも、いつまでもクヨクヨしてちゃいけないよ」
「わかってるけど、ダメージ大きくって」
ほんとうに傷が深そうな顔で言う甲斐田。
ゆっくりとしか、立ち直れないんだろう。
失敗でもあり、挫折でもある。
アタシにとっても――大学入試は切実な問題だから、甲斐田の痛みは、痛すぎるぐらい共感できる。
せっかく、仲直りできたんだから、傷を癒やしてあげたいな。
アタシに――できるかな。
できるだけ、甲斐田に優しく、接してあげることが――。
「甲斐田、寒いでしょこの部屋。暖房ないし」
「我慢できるから」
「正直に言っていいんだよ」
「寒いのは寒いけど――でも、我慢できるレベルだから」
「――アタシのパーカー、貸そうか?」
「あんたのパーカー? 冗談でしょ、小さくて着られるわけないよ」
「そう――冗談。でも、冗談でも。」
「冗談でも、って、なにそれ」
「気づかい」
「気づかい、か」
「アタシ、これまでいろいろと……思いやり、足りてなかったから」
「だれに対して」
「みんなに、だよ。アンタにも、もちろんそう」
「気持ち悪いなあ」
「なにが…」
「麻井がとつぜん優しくなっちゃった」
「優しくもなるよ……」
ゆっくりと、いちばん優しくしたい相手に向き直って、
「いろいろつらく当たって、ごめんなさい」
「エッ、麻井が、謝るなんて」
「キチンとしておくの。卒業して、道が分かれる前に」
「……」
「……」
「……しんみりしすぎるのもイヤかも、私」
「ならもっと元気出して。どうしても甲斐田が元気出せないときは、アタシの元気をあげるから」
「何パーセントぐらい?」
「何パーセントだって……いいでしょっ」
× × ×
「おふたりの会話、少し耳に入っちゃってました」
羽田が言った。
なぎさとクロはもう帰った。
アタシ、甲斐田、羽田の3人が、部屋に残っている。
「ええと、麻井会長」
「もうアタシ会長じゃないんだけど」
「そうでした、では、麻井先輩。」
「なんですか、羽田くん」
「ど、ど、どうして敬語に、いきなり!?」
「そうだよ麻井、唐突すぎるよ」
羽田と甲斐田、ふたりしてツッコむけれど、
「――いいでしょ。たまにはしゃべりかた変えてみたって」
「麻井先輩の敬語は心臓に悪いですから」
「なんだそりゃ羽田っ」
思わず羽田をドヤしつける。
「ほんとアンタはかわいくないねえっ」
「麻井、麻井」
「甲斐田だって、こんなかわいくない後輩のオトコがいたらイヤでしょっ!」
「麻井――でもあんた、利比古くんのことがたまらなくかわいい、って顔になってるよ」
……なに言い出すの、甲斐田。
「あのー、麻井先輩」
鈍感な苦笑いで、羽田がアタシに呼びかける。
「ぼく、先に帰ります」
「……あっそ」
「先輩同士で、積もる話も、あるでしょうから」
羽田がとっととこの場から消えたほうが好都合だ。
アタシにとっては。
ムダに長居されると……意識しちゃうから。
しかし、非情なオンナが、ひとりいた。
「私、急な用事思い出しちゃった!」
わざ~とらしく手を叩きながら、甲斐田が言い出したのだ……。
「もう私、帰らなきゃ。麻井がひとりでいるのもアレだから、利比古くん、もう少し残ってあげてくれない?」
「えっ……甲斐田先輩、帰っちゃうんですか」
「私は帰るから、利比古くんが残ってあげて。ねっ?」
「ぼくが残る意味が…」
「先輩の女子の頼みは聞くものよ」
有無を言わせない勢いで、甲斐田は押し切る。
「じゃあね!
ごゆっくり!!」
アタマが痛くなってきた。
甲斐田の神経が、わかんない。
羽田のことになると、目の色変えて……。
「…麻井先輩」
「なに」
「どうしましょっか」
「……」
「先輩…こっち向いてくださいよ」
「向くかっ、バカ羽田」
「そんなぁ……」
「……羽田、」
「なんですか」
「アンタ、頭痛薬持ってない?」
「え……持ってないです」
「そうだよね、そりゃそうだよね。ゴメンね」
「先輩……?」
なに言ってんだろ……アタシ。
なにやってんだろ……アタシ。