共通試験前日ということで、昼休み後のホームルームが終わると、放課後になった。
さて。
KHKの後輩は、まだ授業を受けている。
どうやって夕方まで学校で過ごそうかな――と思っていると、
教室前の廊下で、甲斐田がアタシを呼び止めた。
「麻井はこのあとも学校いるんでしょー?」
「いる。夕方までどうしよっかって、思ってたとこ」
「勉強しようよ。穴場があるんだよ」
× × ×
進路指導室のとなりに、自習スペース。
「――知らなかった」
「あんたが旧校舎ばっかり出入りしてるからでしょ。でも、認知してないの、麻井だけじゃないんだよ」
さっそく自習スペースに入っていこうとする甲斐田。
だが、なぜかピタリ、と足が止まる。
「ひとつ、懸念材料があった」
「懸念材料?」
「もしかしたら、先客がいるかもしれない」
「いいじゃん、べつにいたって。穴場なんでしょ、たくさん人が来るわけじゃないんでしょ」
「うん、先客がいるとしたら、ひとりなんだけど……」
「厄介なヤツなの」
「とても厄介」
「……まさか、篠崎?」
× × ×
的中してしまった。
よりにもよって、篠崎もこのスペースの常連らしかった。
篠崎は『番長』という通り名で有名な元・応援部だが、非常にうさんくさいヤツだ。
まず、外見。
「なんで室内で学生帽かぶってんのかアタシに説明してよ」
「これは、気合いだ」
「はあぁ!?」
「学生帽をかぶりながら勉強に取り組んでいると、あすあさっての共通試験本番へのモチベーションがみなぎってくるのだ」
そう。コイツはこういう言い回しで有名なのだ。
うさんくさいったらありゃしない。
というか、キモい。
できれば、関わり合いになりたくないのだが……アタシと甲斐田だって、自習スペースを使いたいんだから、しょうがない。
甲斐田と篠崎が、向かい合う席に座っている。
よくコイツと向かい合えたもんだ、甲斐田は。
アタシ? アタシは『お誕生日席』みたいなところで、甲斐田と篠崎の両方を見ている。
もし、甲斐田に、篠崎がヘンなことを言ってきたら、制裁する準備はできていた。
「ときに麻井」
「なんなの、アタシにあんまり絡んでこないでよっ」
「おまえは俺の学生帽に違和感を表明したわけだが――」
お誕生日席のアタシに、顔を向けてくる。
こっち見んな。
「――俺には、おまえが年中(ねんじゅう)パーカーを着ているほうが、よっぽど不思議だ」
「あっそ」
「そんなにそのパーカーが気に入っているとでもいうのか? パーカーにこだわりがあったりするのか?」
「しつこい。アンタにいちいち説明したくない」
ゲンコツを食らわせるより、徹底的に無視したほうが、ダメージを与えられると思って、アタシは問題集を解き始めた。
「おしゃべりはそのへんにして、手を動かしなよ、篠崎くん」
甲斐田の言うとおりだ。
なのに、
「これはウォーミングアップだ」
……徹底シカトという方針を転換して、殴って黙らせたほうがいいんじゃないかと思えてきた。
「それに、おまえらとしゃべりながらでも、手を動かして問題が解ける余裕がある。マルチタスクには、自信があるのだよ」
……笑いながら言うな。
腹立つ。
でも、マルチタスクに自信があるのは、嘘じゃなかったらしい。
ほんとうに篠崎は悠々と手を動かしながら、アタシたちふたりに、あることないこと、さかんに話し続けてくるのだ。
悔しいけど、勉強が得意でないと、こんな芸当はできない。
頭が良いか悪いか、はべつとして――少なくとも、学業では、アタシたちふたりを圧倒している。
だから、余計にムカつく。
アタシだって甲斐田だって、定期テストでは常に10位以内にランクインしてるのに。
2学期の期末の結果が、すべてを物語っていた。
学年1位が篠崎だったのだ。
なんでこんなオトコが……桐原高校3年の頂点に君臨してるわけ。
不条理だよ。
「どうしたんだ麻井、手が止まっているぞ」
アタシが無視を決め込むと、
「試験前日でナーバスになっているとでもいうのか? おまえにしては意外だな」
癇(かん)にさわることを、いちいち……。
「うるさい。アタシ、あしたのことを考えてたわけじゃない」
「それなら、なにを考えていたのだ」
「しのざきくーん」
たしなめるように言ったのは、甲斐田。
「麻井を追及するのはそのぐらいにしなよ」
「追及とは人聞きの悪い。心配しているのだ――物思いにふけっているようだったから」
「ありがた迷惑、ってことばがあるでしょ。あんがい麻井はデリケートなんだから。そっとしておく、っていう選択肢もあるんだから」
「む……」とたじろぐ篠崎。
甲斐田の思いやりはうれしかったが、
「――アタシ、深刻なことなんて、考えてないよ」
ほんとうに? とアタシを見る甲斐田。
「アタシはさ、」
篠崎のおめでたい顔に視線を向けて、
「コイツの学業優秀を、呪っていただけ」
不意を突かれた篠崎。
「の、呪う、とは、物騒な」
「アンタには是非とも赤門の手前でスベってほしいわ」
不合格祈願に逆上したらしく、
拳(こぶし)をワナワナと握りしめたかと思うと、
ガバアッ、と篠崎は立ち上がった。
「…短気なんだ」
「共通試験の前日なのだぞ。不用意にもほどがあると思わないのか」
「篠崎のほうが、よっぽどデリケートなんじゃん…」
頬杖をつきながら、
篠崎とにらみあう。
「まぁまぁ」
甲斐田の、仲裁(ちゅうさい)。
「落ち着きなさいよ。とりあえず篠崎くんは座って」
「挑発に乗るなというのか、甲斐田」
「つべこべ言わずにおすわり」
「……」
「麻井も大人げないよ。ひとの不幸を願うなんて」
甲斐田の、お叱り。
納得できず、
「だって――、炎上したほうが楽しいじゃん、篠崎は」
「炎上だと!? なぜわざわざネットスラングを使うか」
「心当たりないなんて言わせないよ」
鋭い視線を篠崎に突き刺す。
「『羽田愛さんの私設応援団騒動』」
――ほら、一発で、篠崎、どうしようもなくうろたえてる。
「アタシのKHKも噛んでる事案だからねー。ずいぶん2学期、炎上してたよね」
スマホ社会は怖い。
一瞬で拡散し、炎上するんだから。
篠崎の自業自得とはいえ、憐(あわ)れんでやりたいぐらい、ひどい仕打ちを受けていた……みたいだ。
「……認めたくはないが、百歩譲って、甘んじて認めるにしてもだ」
落ち武者の亡霊みたいな声になって、篠崎は、
「炎上と……受験失敗は……結びつかんだろ…」
だんだん笑えてきたアタシ。
「アンタだったら、東大落ちた瞬間に、炎上しそう」
「どんな理屈か……俺に怨(うら)みでもあるのか……怨むなら、怨み返すぞ…」
「爆笑しちゃ篠崎くんがかわいそうだよ、麻井。あんただって、不合格はイヤでしょう?」
「――そうだった」
「自分の不幸ほど、つらいものはないからね。お互い様、ってやつ」
甲斐田、いいこと言うねえ、アンタ。
「篠崎、顔上げなよ。怨んでなんかないって。アタシがイジメすぎちゃった」
篠崎がヌ~ッ、と顔を上げる。
「あのさ。せっかくだから、訊いておきたいことがあるんだけど」
篠崎の反応、希薄(きはく)。
虚空(こくう)を見つめるようになってる。
構わずにアタシは、
「アンタの下の名前って、大作(だいさく)だっけ、大輔(だいすけ)だっけ」
曖昧なのは、ハッキリさせておきたい性質(タチ)だから、訊いてみた。
しょぼしょぼと篠崎は、
「…大輔」
「そうなんだ。ありがと」
――これだけで、コイツを解放する、わけがない。
「そ・れ・と」
まだ――篠崎で、楽しみたくて、
「もうひとつ、訊きたいこと、あるんだけど」
さっきまでの威勢(いせい)とはまるで違うテンションの低さで、
「…俺のなにに興味がある」
と言ったから、
「興味があるのは、アンタの甘党」
スマホ社会。
SNS全盛。
甘いものを食べるのが好き――という篠崎情報も、容赦なく拡散しているのである。
あまねく全校に行き渡る、篠崎の弱み。
「甘党を…差別するな」
「してないよ。でも、おもしろいよね」
「それが甘党をコケにしてるという証拠なのだっ」
「わかった、わかった。ブドウ糖は大切」
「……俺の甘党について、いったいなにを訊き出したいのだ」
「えっとねー」
「焦(じ)らすのは許さんぞ麻井」
わかった。
わかったから。
あーっ、おもしろい。
「篠崎、
じゃあ、訊くんだけどさぁ――」