秋葉原駅が近づいてきた。
文庫本を閉じ、車窓を見る。
東京に――帰ってきたんだ。
× × ×
背の高くて見栄えのする甲斐田しぐれを、人混みのなかから見つけるのは、難しくなかった。
大きく手を振っている甲斐田に、手を振り返す。
「――おかえり、麻井」
甲斐田の、『おかえり』。
甲斐田が満面の笑みになると、大人っぽさが、少しほぐれるような気がする。
ちんちくりんに小柄なアタシは、目線を上げ、甲斐田の顔面をしばし見つめる。
「――どうしたっての。
私が『おかえり』を言ってんだから、『ただいま』で返してよ」
わかったわかった…。
「…ただいま。
帰ってきたよ、甲斐田」
× × ×
積もる話は甲斐田の実家でやるんだから、とりあえずJRに乗ろうよ……とアタシが急かした。
ふたり並んで、吊り革を持つ。
――都会だなあ。
あたりまえだけど。
「順調?」
となりの甲斐田が訊いてくる。
「順調。ぼっちだけど」
「タハ……ぼっちなのか」
「『順調』で、『ぼっち』。この2語に、アタシの大学生活は集約される」
「……ひきこもってんの? ふだん」
「そうだね。部屋で本読んだり、映画観たり」
「サークル、入ってないんだ」
「そこそこサークルは存在するんだけどね」
「どっかに入ればいいじゃん。いまからでも、遅くないでしょ」
それも、そうか。
「考えておく。サークルのことは」
「ぼっち脱却だよ、麻井」
「サークル入ったら入ったで――めんどくさくなるかもしんないけどね」
JR線の車窓風景がどんどん流れていく。
「甲斐田」
「ん? 麻井」
「アンタさ」
「うん、」
「オシャレになったでしょ――ぜったい」
「こ、根拠」
「そんな私服のバリエーション――中学高校のときは、なかったもん」
「そ、そうかなあ」
「――すっかりモテ女だ」
「――おだてなくてもっ」
「おだてるよ――。
親友なんだもの」
× × ×
甲斐田の部屋に入るなり、足を投げ出して、だら~んとくつろぐ。
甲斐田のお母さんが持ってきてくれたお菓子類と飲み物類が、テーブルの上にある。
甲斐田のお母さん……例によって、アタシの姿を見たとたん、すごく喜んで、アタシの目線になって、抱きつくような勢いで……両肩に手を置いてくれた。
母親がふたりいるような、そんな錯覚を覚えてしまう。
甲斐田母の温もりを、まだ肌に感じ続けたまま、
「電車の中では、アンタのほうの大学生活事情を、聴けずじまいだった」
と言う。
「私も、言わなきゃ…フェアじゃないよね」
正面に行儀よく腰を下ろしている親友が、そう言ってくるから、
「ぜひともキャンパスライフのことを」
とアタシは返す。
国立受験失敗のこととかは……もう掘り返さない。
東京都渋谷区某所の私立大学に通い始めた甲斐田は、はたしてどんなキャンパスライフを送っているというのか。
きょうの甲斐田は終始元気そうだから、心配無用なんだろうけども。
「なんてことないよ。さすがに英語科目とかはレベル高いから、手こずるけど、その手こずりも、常識の範囲内」
「学業以外は?」
すかさず甲斐田は、サークルやらバイトやらの話をし始めた。
やたら、しゃべる。
テンション高く、語りまくっていく甲斐田。
「……やるじゃん、甲斐田も」
「こうして語ってると、私のリアル、ずいぶん充ち足りてるんだね……って、自分自身で思っちゃう」
「アタシも嬉しいよ、アンタがリア充で」
「麻井っぽくないこと言うねえ」
「そう? 素直に言ったまでよ」
「ふぅん」
「リア充で、安心だけど――あとは、」
「あとは?」
「あとは、オトコだけ、だな」
不意を突かれて、甲斐田の背筋が必要以上にピーン! と伸びる。
「ふ、フンッ」
反発まじりに、顔を少し逸らすアタシの親友。
そんな仕草が、くすぐったいぐらいかわいくて、
「候補、いないの」
「……」
「いないのなら、『いない』って否定したらいいのに」
「……いない。いまのところ」
「甲斐田に関わりのあるオトコだと――」
「……なにを言い出すのかな? 麻井ちゃん」
口調がヘンになり、うろたえ、眼を泳がせ始める甲斐田に、
「――篠崎は、どーよ」
「し、篠崎くん!? なんで彼の名前出すの」
「仲良かったでしょアンタ、篠崎と。
アイツ……東大スベって、早稲田に行ったんだよね」
「ずいぶん良く知ってるんだね……」
「知ってるよ、これくらいは」
「……なにもあるわけないでしょ。彼と、よく絡んでいたからって」
「ホント?」
「ウソを言うわけないじゃん」
「――なら、そういう認識にしとく」
「完全にからかいモードだな、麻井……」
「せっかく部屋でふたりっきりなんだし」
甲斐田は、呆れ顔。
ただ、その呆れ顔が、だんだんと、思案顔に移り変わっていくのを……アタシは見て取る。
今度はなにか、甲斐田のほうから訊いてきそう。
アタシの覚悟は――間に合わず、
甲斐田が口を開く。
「男の子のことで、さんざんからかってくるけどさ。
麻井が投げたブーメラン、じぶんのほうに返ってくるんじゃん。
一途(いちず)な男の子が、いるでしょ? あんたには。
……利比古くんのこと、忘れられないでしょ」
心拍数が、耳に届いてくる。
「親友同士だから――パンドラの箱、開けたって、許してくれるよね」
「……許す、けど。」
「――会いたくないの?
愛さんのお邸(やしき)に行けば、すぐに会えるんじゃん?」
ぶん、ぶん、ぶんっ!! と、大げさに首を振って、
「まだ、まだ、そんなタイミングじゃないって、アタシ、思ってるからっ」
「そう……。
でもさ、
内心、見たくないわけ?
彼の――ハンサム顔が。」
「ど、どうせ、ひとつ学年が上がったからって、アイツのルックスに変化なんてないでしょっ、
――ハンサムなのは、アタシも認めてるけどっ」
「――どうかなあ」
すこぶる面白そうに、甲斐田は揺さぶってくる…。
そして、
「もしかして――会うのが、怖かったりも?」
なんでそんなにアタシを図星にしてくんのっ。
……しょうがないから、
「正直言うと――怖くも、ある」
すると甲斐田は、
「ま、気持ち、わからないでもないよ」
と言ってから、
ニヤケにニヤケて、
「再会するのが怖いくらい――利比古くんに対して一途で、好きなんだね」
心臓の音が騒ぎ立てる。
「べ、べつに、『一途な想い』とか……そういう乙女チックなのが、あるわけじゃないし」
「でも、好きなのは、否定しないんだ」
「べ、べ、べつに!?」
「――麻井の、つよがり。」
「つよがりじゃないから!!」
柔らかい笑顔、柔らかい声で、
「あんたとやり取りしてると――やっぱし、楽しいよ」
「どうぞご自由に楽しんでよっ、まったく」
「――スネた? 麻井」
「スネるに決まってんでしょっ。
……アタシの腹の虫がおさまるまで、ここ、動きたくないっ」
「それはべつにいいけど」
「甲斐田。…アンタは、親友だけど、ほんっとう悪い親友だよ」
「光栄だなぁ」
「なにが光栄だか…」
腹の虫も、
動揺も――羽田利比古のことを蒸し返されて襲ってきた動揺も、
おさまりきらず、
腹の虫と動揺を、ごまかすために、
テーブルのお菓子を、取っては食べ、取っては食べ……を繰り返す。
甲斐田のぶんが、どんどんなくなっていくが……、
お構いなしに、どんどんとお菓子のむさぼり食いをしまくっていく。
大量のお菓子の包み紙を眼の前に――半ばアタシは放心状態。
甲斐田はまだ、ニコニコ。
アタシが取り乱してるのは――、
甲斐田のせいだけでなく、
羽田のせいでもあるんだっ。
羽田……罪深いよ、アンタはっ。
年下のくせに、こうも、アタシを……とりこにして。
ますます、再会したくなくなるのは、
ぜったいぜったいに……惚れた弱みのせい。