【愛の◯◯】また、サクラ、咲く

 

6年間。

 

小学校の6年間と、その長さは、同じなんだけど、

意味合いはぜんぜん違う。

 

計り知れない思い出が、

中等部・高等部と過ごした6年間には、詰まっている。

 

いろいろあった。

いろいろあったんだ。

この学校で――。

 

 

 

× × ×

 

卒業式は滞(とどこお)りなく進行した。

 

 

もうすでに、わたしたちは自分の教室に帰っていて、

最後の、ロングホームルーム。

 

伊吹先生が教壇に立っている。

彼女がしゃべり始めるのを、わたしたちは今か今かと待っている。

 

「――えっと、

 式も、無事済んだし、

 あたしとしても、無事にあなたたちを送り出すことができそうで、まずはホッとしています。

 

 うーん、

 ロングホームルームなんだよね。

 あたしから、あなたたちに伝えたいこと……とか、言うべき場面なんだろうけど、

 正直、あたし、なんにも用意して来ませんでした――ごめん」

 

満員の教室が、卒業生と保護者のあたたかい笑いに包まれる。

 

先生は、恐縮そうに、教卓に両手をついて、

「みんな――ありがとう」

 

先生にわたしは、

「もっと、肩の力、抜いてくださいよ。最後なんだから、先生らしい見送りかた、してほしいです」

 

すると、苦笑いして、

「あたしらしい見送りかたって、なんなんだろ、羽田さん」

 

するとすると、

「先生。先生とは、明るくお別れがしたいです」

言ったのは、アカちゃんだった。

「卒業式というと、しめっぽくなりがちだと思うんですけれど、

 未来にひと続きみたいな、前向きな巣立ちかたを、わたしたちはしてみたい。

 ……だから、まず、先生には、もっと自然体になってほしいんです」

 

「アカ子さん……。

 なんだか、羽田さんもアカ子さんも、厳しいな。

 どっちが先生なんだか。あたしが、教えられる側みたいで」

 

最後まで不真面目なわたしは、

「そういうこと、これまでも多かったじゃないですか。教える側と教えられる側が逆転するみたいな」

と容赦なく指摘してみる。

 

「――羽田さんは、鬼ね」

「わたし、先生をイジめたいんじゃないんです。

 ぶっちゃけて、どうしようもない先生だなぁ、と思っちゃったこともあったんですけど」

「ぶ、ぶっちゃけすぎ」

「待ってください先生。この話、続きがあって」

「続き……?」

「はい。

 ――立場が逆転するような場面も、あったかもしれないけど。

 それでも、

 伊吹先生は――紛れもなく、わたしたちの、先生で。

 わたしたちのほうが、教えられることが、やっぱり多くって。

 いろんなことを、先生は教えてくれたし、与えてくれた。

 これからも、

 伊吹先生なら……あとに続く子たちを、いい方角に導いてくれるって――わたし、信じてますから」

 

「――あたしよりたくさんしゃべってるね、羽田さん」

「ごめんなさい、先生」

「最後の最後まで――しょうがない子だ」

 

もちろん、伊吹先生は笑っている。

 

 

さて――、

そろそろ、来るかな?

 

 

「……あたしがどれだけ貢献できたかは、心もとないけど。

 だけど、いま、教室にいるみんな……なんだか、キラキラして見えるから。

 あたしも少しは――教師としての仕事が、できたのかな。

 

 ――お説教みたいなことは言いたくないし。

 もとから、そんなマネできない性質(たち)ではあるんだけどさ。

 

 それこそ、説教じみると、しめっぽくなっちゃうよね。

 

 あなたたちは――この先、どんなことがあっても、うまくやっていける。

 あたしがそう信じてるってことだけは、覚えておいてくれたら、うれしいな。

 楽しくないことが、あったとしたら――あたしのドジな顔でも、思い出してみてよ」

 

そう言って、伊吹先生は、教室の卒業生ひとりひとりに目を配る。

ほんとうに、丹念に、ひとりひとりに、眼差しを与えて。

 

――ロングホームルームが、クライマックスに達しようとしていたとき、

教壇の近くの扉が、ノックされる音がした。

 

 

「えっ」

不測の事態に、困惑する先生。

 

控えめに、扉を開けたのは、

花束を抱えた――川又さんだった。

 

「かっ川又さん――なんでっ」

 

驚愕する先生。

構わず、わたしは起立して、

扉付近の川又さんに歩み寄っていく。

 

「センパイ、あとはセンパイにおまかせですよ」

「まかせなさい、ちゃんとやるから」

 

そういうやり取りもそこそこに、

川又さんから花束を受け取った。

 

教壇の先生と、まっすぐ向かい合う。

 

「川又さんから、聞きました。

 この頃ずっと、伊吹先生、保健室通いが続いてたって。

 授業の途中で、保健室に行くこともあったって――大変でしたね」

 

「羽田さん……も、もしかして……一ノ瀬先生にも!?」

 

「そうです先生、裏を取ってないわけがないじゃないですか」

 

わたしはくすぐったい気分になって、

「まだ、大人じゃないから――こういうとき、どう言えばいいのか、わきまえていないんですけど。

 おめでとうございます、じゃ、月並みですか?

 おめでた、なんだから、

 そりゃもう、おめでとうございます、な案件には違いないにしても……、

『ご懐妊』じゃ、仰々(ぎょうぎょう)しくって、なんとなくヘンなのは、わかってるんですけど」

 

ドギマギにドギマギを重ねる先生に、

「とにかく、花束贈呈! のお時間です。

 じつは、花束だけじゃ、ないんですけどね」

 

アカちゃんも立ち上がり、

もうひとつのプレゼントを携えて、教壇のほうに向かっていく。

 

わたしのとなりにやってきたアカちゃんが、

「これは、寄せ書きです」

上(うわ)ずる声で、先生が、

「寄せ書きって――、いつの間に――、どうやって――、」

アカちゃんは満面の笑みで、

「企業秘密ですよ。」

 

「ほら、時間もないし、早いとこ渡しちゃおうよ、アカちゃん」

「そうね、愛ちゃん」

 

わたしは、伝える。

「先生。わたしたちからの、ささやかな、安産祈願です。

 もちろん、6年間の、感謝も込めて」

 

花束と寄せ書きの贈呈。

そのふたつが、先生の手に渡った瞬間、

万雷の拍手が巻き起こる。

 

感極まって、眼に涙を浮かべながらも、

寄せ書きを見ながら、

「『伊吹みずき先生へ』――って、間違ってんじゃないの。ホントは『白川みずき』よ? あたし」

「この期に及んで、細かすぎますよっ。旧姓の『伊吹』のほうが、馴染み深かったんです、みんな」

「――そっか。細かくてごめんね羽田さん」

「……先生には、お手上げです」

 

 

 

× × ×

 

「『お元気で』って、どうしても言いたくて。

 教室を出るときに、『お元気で』って伊吹先生に言おうとしたら、

 こみ上げてくるものがあって――しばらく、うまく言い出せなくって」

 

「でも、言えたんだろ?」

 

「言えたよ、言えた。

 でも泣いちゃった。

 先生とは、泣かずにお別れするんだって、心に決めてたのに――無理だった」

 

「もらい泣きもあったんだろ」

 

「伊吹先生のほうから、泣かれちゃうとね――花束、渡したとたんに」

 

「あれは感動的だったと思うぞ」

 

「――アツマくんも、教室の後ろで見てたんだから、終わったあとで、伊吹先生にあいさつしに行っても、よかったんじゃないの?」

 

「……勇気がなかった」

 

「年上の女性相手だと、弱気ね」

 

「……ったく」

 

 

アツマくんと並んで歩く。

母校の校舎が、歩くごとに遠ざかる。

 

「保護者役、ありがとう」

「母さんひとりで来るはずだったんだけどな」

「でも、明日美子さん、『あなたも保護者になってあげなさい』って、強引に」

「『明日美子パワー』だ……『明日美子パワー』に負けた」

 

そんな他愛ないやり取りのなか、

ふと、アツマくんが、

「――名残惜しいんじゃないのか?」

「母校が?」

「母校が。」

「ん~~、

 名残惜しいし、名残惜しくない」

「曖昧な」

「けど、やっぱり、名残惜しいかも。

 だけど、」

「だけど?」

「だけど……これが終わりじゃないんだなってことだけは、言える」

「…まあなぁ」

「始まってもない、というか。これから始まる、というか」

「そっか……なるほど」

「な~にひとりで納得してんのよ」

「いや……愛の言うことも、もっともだなあ、と」

「――いつももっと、素直に納得してくれたら、わたしはうれしいんだけどな~」

「……努力する。」

 

 

開花予想が、まだ先なのは、わかってた。

 

それでもわたしは、桜の木の下で、思わず立ち止まる。

 

「おいおいなんだよ、母さん待ってんだぞ」

「わかってる」

 

――そう言いつつも、いまだ咲かない木を、見上げてみる。

 

そして、この木の桜が、満開になっている情景を……精一杯、足りないイマジネーションで、イメージしてみる。

 

桜の花が咲き乱れたら、

春で。

 

また、春がやってきて。

 

はじまりが、はじまって。

 

 

「ねえ、アツマくん!!」

 

「どうしたんだよ」

 

「いまのわたし……幸せそうに、笑えてる?」

 

「……笑えてるよ。」

 

「しょーじきに言ってよねっ。ウソ言ったら、大学留年する呪い、かけちゃうよ」

 

「ウソなんて、言うもんか」

 

「それを聞いて安心」

 

「安心したなら、母さんのとこに急ごうや」

 

「――せっかちなんだから」

 

「――悪かったな」

 

「悪いなんて、言ってないでしょっ」

 

「……」

 

「どしたの」

 

「……、

 いい笑いかたしてんな、おまえ。

 きょうは、とくに」

 

「あら~~っ」

 

「な、なんだよそれっ!! 『ありがとう』って言ってくれても、いいだろ!?」

 

「ありがとう」

 

「お、おお」

 

「――何度でも、言ってあげる」

 

 

× × ×

 

 

ひとまず、さよなら、

わたしの母校。

 

バイバイ。

忘れないよ。

 

きっと、いつまでも――、

この場所と、つながっているから、

過ごした6年間という時間が――、

いつだって、わたしを、

支えてくれる。