リビングのテーブルの上に、
無造作に置かれている、少女マンガの単行本。
りぼんマスコットコミックス的ななにかだ。
そうとう、時代が古そうな……。
90年代か。
もしかしたら、80年代までさかのぼる……?
いったい、だれが置いたんだ。
この乙女チックなマンガ単行本を。
――母さんか?
× × ×
「母さん」
「なーにアツマ」
「このマンガ……もしかして、母さんのか?」
「え、ちがう、わたしのじゃない」
「でも、年代的に……」
母さんはフフフッと微笑んで、
「たしかにねえ」
「読んだこと、あるんでは?」
「読んでたかもねー、でも、わたしの所有物じゃーない」
「母さんの所有物じゃなかったら、いったいだれの所有物なんだ……」
「――気になるの?」
「き、気になるって、?」
「読んでみたいとか」
「かっ、勝手に読めるかよっ」
「――そこらへんは律儀なのね、アツマ」
「しかも、おれが読むようなマンガじゃないし」
「少女マンガ、苦手なの」
「……」
「黙り込むってことは、苦手なんだ」
「……だって。」
「わかった。読んでるとこ見られるのが、恥ずかしいのね」
「どうしてわかるんだよ……」
「親だから」
クウッ……。
× × ×
こういった作品を読もうとすることに、
すごい抵抗感がある。
少女マンガの壁。
たとえば――妹の『りぼん』をコッソリ盗み読むとか、
そういうことすら、勇気がなくて、できなかった。
妹の影響で兄が少女マンガにハマるケースも、まあ、多いんだろうが、
うちの場合は当てはまらず。
――あすかから少女マンガを借りて読んだ記憶がない。
あすかのほうが、一方的におれからマンガを借りまくっている気がする。
× × ×
「お兄ちゃん、マンガ貸してよ」
ほら。
リビングを通りがかったあすかが、おれに気がついた途端、言ってきた。
妹のおねだりは現在進行形なのだ。
「『約束のネバーランド』の16巻から最終巻まで」
ずいぶん少年ジャンプな妹である。
「わかった、あすか。だが……少し待ってな」
「いつでもいいけど」
「よし、いい子だ」
……問題の少女マンガが置いてあるテーブルのほうに視線を向けたかと思うと、一気にニヤけた顔になる、妹。
「なんだ、ニヤニヤして……」
「――お兄ちゃん、読みたいんじゃない? そのマンガ」
くうううっ。
「は、反対だっ。少女マンガは、読まん主義だ」
「なんでそんな意固地(いこじ)なの?」
「おれは……少女には……なれないから」
声を出して笑うあすか。
ひとしきり笑ったあとで、
「――もっと心開いてもいいのに」
心を開くのも勇気が要るし、ページを開くのも勇気が要るんですが。
「頑(かたく)なな兄貴で悪かったな」
「捨てゼリフ?」
「そうともいう!」
「やけっぱちだね」
「……そうかもなっ」
それはそうと……、
「このコミックスは、あすかの所有物というわけではないんだな」
「わたしのじゃないよ」
「じゃあだれがここに置いたのか」
「知らない、わたし」
「迷宮入りになるのか…」
「えっ、もしや探偵気取り!? お兄ちゃん」
「もはやミステリーだろ、これは」
「…お母さんが持ってそうな気も」
「いや、母さんはシロだ。さっき訊いたら、違うと言っていた」
「じゃ、残るは……」
「母さんのでも、あすかのでもない。もちろんおれのでもない。
可能性があるのは……愛か、利比古か、流さんだ」
「……おねーさんは、違うと思う」
「女のカンってやつか?」
「直感……。おねーさんの好みとは重ならない気がするし、そもそも第一、おねーさんはマンガにそんなに詳しくないでしょ」
なるほど。
愛に、『このマンガ知ってるか?』と訊いたとしても、『知らない』と速攻で返される気はするな。
「んー、愛の可能性が薄いとなると――」
「――利比古くんと、流さんしか、残らない」
ふうむ。
「おれは、『流さん説』のほうが、有力だと思う」
「なんで?」
「――彼女さん経由で、このマンガが流さんの手元に渡ってきた、という線が、考えられるだろう?」
「あー、つまり、もともと彼女さんが持っていたマンガで、いまは流さんが借りてるってことね」
「おれの推理どうだ」
「推理って域には達してないと思うけど……彼女さん経由っていうのは、説得力がある。というか、説得力、ありあり」
「流さんを呼んで確かめてみようか」
「やめなよ、流さんがかわいそうだよ」
それもそうだよな……。
そっとしておくに、限るか、
流さんも、この少女マンガも――。
兄妹のあいだで、『流さん説』が濃厚になってきたところに、
フワ~ッと、利比古が登場してきた。
「利比古くんだ」
「はい利比古です」
あすかと利比古の、お決まりのやり取り。
「さいきん、神出鬼没っぽくなってるよね、利比古くん」
「神出鬼没……ですか?」
「ランダムエンカウントってわかる?」
「……わからないです」
「ゲーム用語」
「ゲーム用語?」
「とくにRPG」
「は、はぁ…」
そのへんにしてやれよ、あすか。
茶番を見かねたおれが、
「なぁ利比古、このマンガは、おまえの持ち物じゃないよな?」
と、確認がてら言ってみると、
「ぼくの持ち物ではないです」
「やっぱりか。」
「ないんですけど……」
「んっ??」
「それを置いたのは……ぼくです」
んんん!?
どゆこと。
「野々村さんからの借り物で。つい、このテーブルに置きっぱなしにしてしまっていて」
「の、ののむらさん、だれ」
「あっすみません、アツマさんご存知なかったですか、野々村さんは、ぼくのクラスメイトです」
「――女子?」
「女子です」
そっかぁ。
クラスメイトの、女の子から――。
「おまえも――ずいぶん気軽に、少女マンガ、借りるんだな」
「野々村さんの頼みを断れなかったんです」
「頼み?」
「『頼むから読んでほしい!』って、迫られて」
「迫られちゃったか」
「迫られちゃったんです」
「それは――仕方ないよな」
「それなら、もっとちゃんと読んだほうがいいよ、利比古くん」
「あすかさん」
「借り物なんだし、テーブルに雑に放置しちゃ、ダメっ」
「わかりました……今後、気をつけます」
「――利比古くんが読み終わったあとでさ、」
「?」
「わたしにも――読ませてよ」
「の、野々村さんからの、借り物なんですよっ!?」
「わかってるよ。コッソリ、コッソリ読ませて」
「強引な……」
「野々村さんに返すときは、わたしが読んだのは秘密で」
「強引に強引を重ねないでください」
「……約束ね」
少女マンガの謎は――意外な結末を迎えた。
事実は推理小説よりもブログよりも奇なり。
なによりも、ミステリーなのは――、
利比古に対する、あすかの強引さか。