朝、登校して、自分の机にカバンを置く。
始業までの時間つぶしに、文庫本を読み始めていると、となりの席の児島(こじま)くんが教室に入ってくる。
わたしの右どなりの机に、放り投げるようにしてバッグを置く児島くん。
座りながら、
「おっはー、あすか」
とわたしに挨拶。
……なんとも、軽い挨拶だ。
もっと言えば、チャラい。
児島くんの「おっはー」に、わたしの読書が妨(さまた)げられる。
「おはよう、児島くん。わたしに読書する気を無くさせてくれて、ありがとう」
「どーいたしましてっ」
わたしは文庫本をバタン、と閉じて、
「どーいたしましてっ、じゃないよ。児島くんも、少しは本でも読んでみたら?」
「なんで~」
頭が空っぽに見えるから……なんて、言えるわけがない。
「なんでだよ~、あすか」
しつこいから、口止め――というわけじゃないけど、
「この本、貸そうか?」
「え~、めんどい」
「児島くんでも読めるよ」
「どうせ、借りても読まないし」
『児島くんでも読めるよ』に軽蔑のニュアンスが含まれていることには気づいていないらしい。
「それよりさぁ」
さらに馴れ馴れしい口調で、彼は――、
「作文の宿題、出てたっしょ」
出てましたねえ、たしかに。
わたしはもう書いたよ。
どうせ、彼は一文字も書いてない。
一文字も書いてなくて、それでいて作文の話題を持ち出すってことは。
――次になにを言うか、もう、予測できてる。
「代わりに書いてくんね?」
瞬間的にため息をつくわたし。
「頼むよ~~」
このパターン……一度や二度じゃなかった。
「銀メダリスト、なんだろ?」
……『作文オリンピック』で銀メダルを獲(と)ってから、わたしに作文の代筆を依頼するひとは激増していた。
児島くんだけではない。
でも、児島くんが、いちばんしつこい。
「あいにく、そういうのは受け付けてませんから」
プイ、と窓際を向く。
「たまにはいいじゃんかー。オレ、最近、めっちゃ忙しくってさ」
なにが忙しいの。
なにが。
…人づきあい?
…彼の交友関係だけは、知りたくない……。
× × ×
数学の授業で、宿題をホワイトボードに書いた。
そしたら、見事に答えが間違っていた。
文系科目と比較して、理系科目は不得意ではある。
でも、文理関係なく、宿題をホワイトボードに書いて間違えると、恥ずかしい。
肩を落として、トボトボと席に戻った。
児島くんがニヤニヤとわたしを見てくる。
文庫本で殴ってやりたい気分だ。
どうせあなただってできないでしょ……という気持ちをどうにか押し殺す。
× × ×
となりの席の劣等生に笑われて、週のしょっぱなからとてもイヤな気分。
おまけに、きょうは弁当を持ってきていない。
お昼に購買に行くことを――強いられているのだ。
購買でパンをヤケ買いして、ヤケ食いしたら、気分も紛れるだろうか。
昼休みになったと同時に教室を出る。
早足で、購買部がある校舎への経路を突き進んでいく。
外では、弁当を食べているグループが、ちらほら。
アベックも、いないではない。
えっ?
『アベック』なんて死語ですよ、って言いたいんですか、読者の皆さん??
たしかに『アベック』ということばは昭和の遺物かもしれない。
いま、令和ですからね。
2003年生まれのわたしが使うには似つかわしくないことばかもしれない。
わかります、それは。
でも。
でもね。
『アベック』の代わりに『カップル』ということばを用いるのも……わたし、なんだか気恥ずかしいんです。
だって、そうじゃありません!?
『アベック』が昭和の遺物なら、『カップル』も同等に――。
言いすぎでしょうか、わたし。
『アベック』や『カップル』に代わる言い表しかた、ないんでしょうか!?
もしあったら、このブログの中の人のツイッターアカウントにでもご連絡をください。
情報提供お待ちしてます。
わたしも、探すよう努力しますから。
× × ×
文字数稼ぎのような、まったく不必要な、地の文の脱線を経て、
どうにかこうにか、購買のパンをわたしは購入できた。
さて、どこで食べようかな、と思っていると、
購買部の近くの廊下に、さっき数学の授業でわたしをバカにしてきた児島くんが、佇(ただず)んでいるではないか。
眼が合ってしまった。
「児島くん、こんなとこでパン食べるの?」
思わずわたしは言っていた。
彼はなんとも答えない。
わたしが購買までやってくるなんて思いもしなかったのか。
もしかしたら彼は、こういうところを見られたくなかったのかもしれないけど――あとの祭り。
「しかも、いちばん安い菓子パン1つと、パック牛乳だけ」
「……それがなんだよっ」
教室での振る舞いとは、打って変わった反応。
これはチャンスかもしれない。
つまり、仕返し。
「ダイエット?」
「んなわけない」
「じゃあ、節約かぁ」
「……」
「だってそれしか考えられないし」
「……言っただろ、朝。オレはいろいろ忙しいって」
「食費を切り詰めるぐらい交際費が必要なんだ」
「お、おまえ、オレのこと、なんだって思ってんだ……!?」
「チャラ男(お)」
愕然とする児島くん。
「え、そうじゃないの?」
児島くんの青ざめぶりが、次第に笑えてくる。
「遊ぶカネ欲しさに食費をギリギリまで抑えてるとしか、わたしには思えないよ」
これぐらい、彼を追い詰めないと、わたしの気が済まない。
日頃の鬱憤(うっぷん)も……だいぶ積もっているのだ。
逆ギレするかな……と思っていた。
逆ギレされる準備はできていた。
だけど。
児島くんは――逆ギレするどころか、いきなりわたしに背を向けて、校舎の外に向かってダッシュし始めた。
あっという間に、児島くんの背中が見えなくなっていく。
――なにごと!?
もしかして、
交際費とか以外に、彼にはなにか、食費を切り詰める理由が……!?
遊ぶカネ、なんて、そんな余裕、もしや、無かったんじゃ。
マズいこと言ったかもしれない。
マズいことになったかもしれない。
× × ×
午後は、放課後まで、ひとことも話さなかった。
話せなかった。
気まずい沈黙が、となり同士のわたしと児島くんを隔(へだ)てていた。
放課後を告げるチャイム。
なぜか、児島くんが帰ろうとしない。
「児島くん……帰らないの?」
おそるおそる、訊いてみた。
すると――、
「……謝らなくちゃ、いけないと思ってさ」
強烈なインパクトを伴うことばが返ってきた。
児島くんのほうから、謝ろうとしてる。
これは――、
「――なにかヘンなものでも、食べたの!?」
「――食べてねーよ」
「お昼の菓子パンに良からぬものが混ざってたとか」
「なんだ、そりゃ」
真面目くんと化した児島くんは、
「いきなり、あすかから逃げ出すようなことして……みっともなかったから」
「反省してるんだ……」
「そうだ、悪かったな、と思って」
せっかく児島くんが真面目くんであるのに免じて、
「わたしも、あのときは、いじめすぎたよ。
『遊ぶカネ欲しさに…』とか言って、児島くんのことカンペキ誤解してたかもしれない。
ほんとうは、別に理由があったんだよね。
チャラチャラ遊ぶとか、そんな理由じゃなくって、ちゃんとした節約の理由が。
もっと、真面目なことに、お金を使いたいんだよね?
忙しくて作文の代筆を頼む、っていうのも、遊びに忙しいんじゃなくて、もっと真面目なことで忙しいんであって、例えば、家庭の事情とか――」
「――なに妄想勝手に作ってんだ? おまえ」
え。
「忙しいのは、遊ぶのが忙しいに決まってんじゃん」
あのー、児島くん。
ちょっと、意味がわかりかねるんですけど。
「……じゃ、なんで、慌ててわたしから逃げ去ったりしたの?」
「恥ずかしかったから。いちいちおまえの言うことが図星だったから」
――けっきょく、
「わたしがぜんぶ、思い違いしてたってことか」
大げさに心配して損した。
「『食費を切り詰めるぐらい交際費が必要なんだ』ってわたしが言ったら、突っぱねたのも――」
「図星だったから」
「『遊ぶカネ欲しさに食費をギリギリまで抑えてるとしか思えない』っていうのも――」
「図星だった。すっげえ恥ずかしかったから、逃げた」
「紛らわしいよ」
「……『チャラ男』ってあすかに言われたのは、図星以上に、ショックが残った」
「もう『チャラ男』って言われたくない?」
「言われたくない!」
「だったら――宿題の作文は、なおさら自力で書くべきだよ」
「そんな」
「カッコつかないでしょっ、自力で書かないと」
「――そういうもん?」
「児島くん、あなた、根本的に間違ってる気がする」
「ひでぇよ」
自分のほうがよっぽどひどいって、認識していない……。
こりゃ、ダメだ。
わたしがとなりの席であるうちに、なんとかしてあげないと。
それぐらいの世話焼きは――するってものが、人情だ。