ハルくんのご両親が、とても恐縮そう。
「うちのハルがいつもお世話になっております」
お父さんにそう言われて、わたしは、
「お世話になっているのは、わたしのほうです。よく迷惑をかけてしまって」
「えっ」
予想外のことを言われた……といったふうな、お父さんの表情。
「ハルくんには助けられてるんです」
そう言って、笑顔を全開にして、お父さんに向き合う。
笑顔フルスロットル。
「ハルが勉強を教わってるみたいですけど……出来の悪い息子じゃありませんか?」
今度は、お母さんに、尋ねられる。
「よく頑張ってますよ。とくに年が明けてからは」
無難にそう答える。
勉強を教え始めた初期は――ほんとうに出来が悪かったけれど、それは過去のこと。
「あの子は運動神経はいいんですけど、頭を使う活動となると、どうもねえ……本も読まないし」
お母さんはそうおっしゃいますけれど――、
「本を読まないわけじゃないと思いますよ」
「そう……ですかね?」
「読書量が少しずつ増えてるんです。わたしが保証します」
わたしの影響を受けたのかどうかは知らないけれど、以前より本に関心を持つようになったのは、事実。
「そういえば――本棚の本が、少し増えてたかも」
「それ、気のせいじゃないと思います」
「あの子が、マンガ以外の本を読むようになるなんて――」
「いいことじゃないですか」
「――そうね。本は、いいものよね」
感慨を込めて言い、お母さんは、わたしに穏やかな微笑みを向けるのだった。
× × ×
「ところで、ハルくんは?」
「あー、自分の部屋にいると思いますよ」
お父さんはそう答え、ハルくんの部屋への道筋を教えてくれた。
――で、部屋の前。
男の子の部屋をノックするなんて、生まれて初めて。
控えめに、ドアをこんこん、と叩く。
ドアが開く。
すると、
わたしの眼の前に、現れたのは――、
非常にラフな格好をした、
若い女性。
ど、
どういうこと……。
気が動転して、
ことばも出ない。
「あなた!」
抱きかかるような勢いで、わたしに迫りくる、彼女。
「あなた、アカ子ちゃん!? そうよね!!」
シャワーを浴びたあとなのか、彼女の髪が少し湿っているのを感じ取る――のはいいとして、
「どうして……わたしの名前」
「ハルが言ってたんだもん、きょうアカ子っていう女の子が来るんだ、って」
とりあえず、
ハルくんとのご関係は?
ご関係は!?
「…しーちゃん、なにしてんだ」
ペットボトルを両手に持ったハルくんが、ようやく登場。
「部屋を使うならひとこと言ってくれって、何度も…」
「ハル、あんたの部屋、暖房が効いてていいね」
『しーちゃん』と呼ばれた彼女は、冬場とは思えない、薄い服装。
「アカ子が困っちゃってるよ」
「そうかなぁ?」
からだが触れ合うような距離の近さで、わたしの表情をしげしげと見る。
「――ハルくん、このひと、あなたのお姉さん?」
「違うよ」と彼は即答。
「ということは、親戚…」
「そうだよ。従姉妹(いとこ)」
× × ×
『しーちゃん』。
正しくは、椎菜(しいな)さん、らしい。
ハルくんの部屋のなか。
なりゆきで、椎菜さんと向かい合いになっている。
「椎菜さんは……大学生、ですか?」
「ひみつ」
「そ、そんなっ」
ハルくんに助けを求めて、
「あ、あなたなら、知ってるわよね」
しかし無情にも、
「……どうだったっけ」
なんでよ……。
椎菜さんは余裕しゃくしゃくとわたしを眺めている。
会話が続かない。
彼女のほうがおもむろに口を開いたかと思うと、
「――奇跡って、あるのね」
はい!?
「奇跡――ですか?」
なんのことやら、だが、
「そ。ハルがこんな子をゲットできたのが、奇跡だってこと」
そして2本しかないペットボトルの片方を勝手にぐいぐい飲む。
ハルくんとわたしが飲むぶんのペットボトルだったと思うんですけど。
それにしても、このひとの口ぶり、ちょっとイラッと来る。
わたしの不快感の芽生えを察知したのか、ハルくんが、
「奇跡とか……言わないでくれよ」
「じゃあなんなの?」
答えに窮(きゅう)するハルくん。
空気がよどむ。
突然しゃしゃり出てきて、わたしたちの関係をからかう。
いくら大人のおねえさんの余裕だからって、
やられっぱなしじゃ、くやしい。
――わたしは、意地悪な椎菜さんのペースを乱したくて、
「椎菜さん。」
彼女の視線がハルくんからわたしに移る。
すかさず、
「メガネが――良く似合ってますね」
彼女のメガネをほめることで、
興味を、逸(そ)らす。
「そう? ありがとう」
ありがとうと言いながらも、不敵な笑みを見せつつ、彼女は自分のメガネに手をかけて、
「でもねえ」
わたしの反発を打ち返すように、
「――伊達(だて)メガネなんだ、これ」
今度は、わたしがことばに窮してしまう。
彼女との会話を、紡(つむ)げない。
わたしが困りに困っていると――、
「意地の張り合いは、よしなよ」
見かねたように、ハルくんが、わたしたちふたりを、たしなめる。
「とくにしーちゃんだよ」
「あたし、意地張ってなんかないよ」
「いいや、しーちゃんアカ子を見くびってる」
「ふ~ん、そう思うんだ」
「とぼけんなよっ」
怒(おこ)りっぽくハルくんは、
「だいたい、おれたちふたりのあいだに割って入ってくる筋合いなんてないだろっ」
「だってー、せっかくアカ子ちゃんと、運命的に出会っちゃったんだしー」
「運命的とか言うなっ」
「……かき回したほうが、面白いじゃん」
ハルくんの顔を見ずに、椎菜さんはそう言った。
顕(あら)わになる、本音の鋭さ。
椎菜さんの本音が、ひやりとして、冷たい。
「とにかく、どっか行っててくれ、しーちゃんは」
「え~、でもここ、あったかいし~」
「重ね着すればいいだろっ!」
ピシャリ、と、自分の従姉妹を叱りつける。
ハルくんの、めずらしい側面。
叱られた椎菜さんは完全にスネて、
「…ハルのケチ。」
「…なにがケチなんだよっ」
「恩知らず」
「なにがっ」
「サッカー馬鹿。サッカー馬鹿のリア充っっ!」
「こらっ」
「――お幸せにっ!!」
× × ×
「……ほんとは、あんなに性格が曲がってるだけの従姉妹じゃないんだけどね。もしかして、ヤキモチ焼いてんのかな?」
「わたしに?」
「きみに。」
「――あなた、よく渡り合えてるわね。正直、面倒くさい性格のひとだと思ってしまったんだけれど」
「もう慣れっこだよ」
「またこの部屋に乱入してこないかしら。お勉強を邪魔されると、すごく困るんだけれど…」
「……きょうは、勉強は休憩にしないか」
「……どうして?」
「きみの言うように、ちょっかいをいつ出してくるかわかったもんじゃないし、気が休まらないよ」
「……なにをいってるの」
「あ、アカ子…?」
「1日サボるごとに、大学が1つ不合格になると思ってよ」
「え……」
「『え……』じゃないわよ。そういう意識をあなたには持ってもらわないと!」
「……しーちゃん対策は? もし乱入してきたら――」
「そのときは、いっしょに勉強させるわ」
「……」