みなさま、あけましておめでとうございます。
アカ子さんの邸(いえ)の住み込みメイドの蜜柑です。
今年もよろしくお願いします。
さて。
まだ三ヶ日なわけですが、「ハルくんにお正月なんてないわよ!」と、受験生のハルくんを邸(いえ)に呼んで、さっそくアカ子さんは勉強を教え始めています。
いわば、『逆家庭教師』ですよね? これ。
だって、アカ子さんがハルくんの家に行くんではなくて、ハルくんに来てもらうんですから。
「――どう思いますか? お母さんは」
「え、みーちゃんなに、いきなり」
「お嬢さまの『逆家庭教師』のことなんですが」
「『逆家庭教師』? ……あ~、あーちゃんとハルくんのことね」
「一方的にハルくんにこちらに来てもらうだけでいいんでしょうか?」
「いいんじゃない? ハルくんに不都合がなければ」
「それでも、一度はお嬢さまがハルくんのお宅にうかがったほうが……あちらのご家族へのごあいさつも兼ねて」
「あーちゃん、まだハルくんのお家(うち)に行ったことないんだっけ」
「ないです」
「そう。……ま、あーちゃんが自分で決めることでしょ。おうかがいするか、しないかは」
「でも、いずれは……」
「そうねぇ。ごあいさつしないとねぇ。だけどそれもあーちゃん自身の問題であって、外野がとやかく言うことでもないわ」
「…『外野』って」
「意外だわ、みーちゃんがそんなにあーちゃんの恋愛模様を気にしてるなんて」
「お嬢さまの初恋なんですもの」
「恋愛経験豊富なみーちゃんとは対照的よねぇ」
「微妙に話がそれてませんか…?」
ふたりで、箱根駅伝のテレビ中継を観ながら、こうやって話しているわけです。
アカ子さんとハルくんも、下(お)りてきていっしょに観ればいいのに。
4人で観たほうが楽しいじゃないですか。
あ、でも、昼過ぎまで中継あるのか、これ。
それはいけませんね。
ハルくんが勉強を教わりに来たんだか、箱根駅伝を観に来たんだかわからなくなっちゃう。
アカ子さんが進学する大学も出てないし。
学生連合の一員としてなら出てるんですけど、その子はもう走っちゃいました。
早稲田は毎年のこと出てるんですけどね。
「――7区も、そろそろ終わりですか」
「10区までだよね?」
「はい」
お母さんは、大きな大きな液晶テレビの画面をしげしげと眺めて、
「……寒くないのかしら」
「……寒くなかったら、むしろヘンですよ」
「一生懸命走ってたら、あったまるのかもよ?」
「それはランナーにしかわからないことでは」
「あ、タスキ渡った」
平塚中継所。
「がんばれ~」
テレビ画面に向かって声援を送るお母さん。
「ご贔屓(ひいき)のチームとか、あるんですか」
「全員を応援してるのよ、わたしは」
「はぁ……。」
「がんばれ~」
× × ×
ティーポットの紅茶が切れたので、
「わたしお湯を沸かしに行ってきます」
とお母さんに言ったときでした。
ダダダダダッ、と、ものすごい勢いで階段を駆け下りてくる音。
『ハルくんのことなんか知らないんだから!!』
お嬢さまの叫び声が響き渡ってきます。
箱根駅伝のランナーがビビってしまうくらいの迫力。
「ケンカがスタートしたみたいねぇ」
面白がるようにお母さんは言います。
「……見てきましょうか? わたしが」
「あっちから駆け込んでくるわよ」
数秒後、ほんとうにお嬢さまが駆け込んできたではありませんか。
「ほらねー、言った通り」
駆け込み乗車に間一髪で成功したひとみたいになっています。
しばらく喘(あえ)ぎ続けたかと思うと、無言で近くのソファに腰を下ろした彼女。
ガンッ、と、いきなりテーブルを右拳(みぎこぶし)で叩くのです。
「だめよーあーちゃんー、ケガしちゃうわよー」
軽~くお母さんにたしなめられるのですが、
「このテーブルがハルくんだったらよかったのに」
と穏やかでないことを言い出す彼女。
「そんなに怒ってるの?」
「聞いてよっお母さん」
「聞くけど。」
「――年が明けたら、漢字も英単語も全部全部忘れてるのよ、彼。『復習して』ってちゃんと言ったのに、してないのよ、復習。『やる気あるわけ!?』って怒ったら、苦笑いでごまかすし。『危機感ないの!?』ってもっと怒ったら、なぜかまた苦笑いではぐらかそうとするし!!」
「ふぅん」
「箱根駅伝のランナーは、あんなに必死で走ってるのに。ハルくんは1ミリも本気じゃない……」
「強引に箱根駅伝を比較対象にしなくても、アカ子さん」
「受験は箱根駅伝よ」
「ええぇ……」
「あーちゃんも上手いこと言うわね」
「真理でしょう。お母さん」
「真理かどうかはべつの話として――」
ゆったりと、娘の顔を見て、
「――逆ギレしないだけ、ハルくんは優しいじゃないの」
お母さんがハルくんの肩を持つのが不満そうに、
「逆ギレの余地なんてないから」
「まーまー、カリカリしないであーちゃん」
「彼が『ごめんなさい』を言いに来るまで、ここに居させてもらうわ」
「じゃあ、カリントウでも食べる? カリカリしてるだけに」
「お母さんダジャレはやめて」
「真剣ね」
「アカ子さん――」
「なぁに!? 蜜柑もハルくんの肩持つとか!?」
「いえいえ。――この場合は『ケンカ両成敗』が適用されると思われるのですが」
「わたしのほうに非なんかない」
「ほんとうにそうでしょうか?」
「やっぱり肩持つんじゃないの」
「――自分の胸に手をあてて、じっくり考え直してみたらどうですか?」
「笑いながら言わないで!! いやらしい」
「――どこが、いやらしいんでしょうか」
「それこそ、蜜柑が蜜柑の胸に……」
「――ハルくんは、あと5分したら、こっちに謝りにやって来ると思います」
「……5分の根拠は」
「恋愛経験豊富な女のカンです」
「……ばかっ」
「バカにできないものですよ。
身体(からだ)で覚えるんです、相手がどれだけ反省してるか、あとどれくらいしたら謝りにやって来るか、そのとき自分はどんな対応をするべきなのか――」
「……実体験入ってる?」
「ええ。入ってます」
「蜜柑は……こんなとき、ズルいんだから」
「わたしがズルい女でよかったですねぇ!」
「……」
「――ほら。
だれかの足音が、聞こえてきたじゃありませんか」