いちおう起きたけれど、まだ早朝。
もう少し寝ていても、いいわよね……。
それにしても、お布団、あったかくて、気持ちいい。
× × ×
……部屋のドアを強打する音で目が覚めた。
『お嬢さま、お嬢さま』と、しきりに蜜柑がわたしを呼んでいる。
寝ぼけまなこでドアに近づくわたし。
眼をこすりながら、
「どうしたのよ、大雪でも降ってるの?」
『なにを言いますか、お嬢さま』
「だって、あなたそんなに慌てて――」
『慌てもしますよっ!』
怒るように蜜柑は言う。
「どうして?」
そう言ってドアノブに手をかけた瞬間、
『ハルくんがもう来てます』
――びっくりして、即座に手を引っ込めた。
えっ……、
もう、そんな時間!?
『……いま何時だと思ってるんですか、アカ子さん』
置き時計で時間を確認する。
ようやく、事(こと)の重大さに気づく。
寝坊しちゃったんだ……わたし。日曜の朝だからって、油断してた。掛け布団にくるまるのが、あんまり気持ちよかったから。
「ハルくんはどこにいるの」
『1階の客間で待機です』
パジャマのままで出ていくわけにもいかないし……いろいろと、このままではまずいので、
「もう少し時間がかかるって、彼に伝えておいて」
× × ×
急(せ)いては事を仕損じる、とは言うけれど、
それなりに、急がなければいけない。
いろいろ、ちゃんとしないと。
ふだんより速く、身だしなみを整え、部屋をセッティングする。
また部屋をノックした蜜柑が、
『スタンバイ、できました?』
今度はドアを開けて、
「いちおう、ね」
「アカ子さんが朝ごはんを抜くなんて、久しぶりですねえ」
「ごめんね、蜜柑。朝ごはんせっかく作ってもらったのに。それから、寝坊したのも、ごめんなさい」
「寝坊したのはハルくんに謝らないと」
「そうね……でも、蜜柑にも迷惑かけたから」
蜜柑のありがたみを感じるのは、こういうとき。
「――怒ってる?」
「なにをおっしゃいますか、怒ってるわけありません」
「あしたから、もっときちんとするから」
「はいはいはい」
わたしの頭にポン、と手を置いて、
「アカ子さんは……よくやってると思いますよ。むしろ、楽しいですわたし。こうやってアカ子さんがてんてこ舞いになるのを見るのが」
「楽しいの」
「だって、めったに見れないじゃないですか、ドジっ子なアカ子さんは」
「ドジっ子言わないでよ」
「いいえ言います」
「言わない!」
「言います!」
「だめ!!」
「だめじゃないです!!」
「だめといったらだめ!!」
「だめじゃないといったらだめじゃないですっ!!」
× × ×
「ごめんなさい、ハルくん、いろいろと……」
「しょげないでよ、アカ子」
「……蜜柑と茶番劇を繰り広げて、さらにあなたを待たせてしまった」
「言い合いの声が、客間まで聞こえてきたよ」
「恥ずかしいわ」
「や、面白かったから、べつにいいんだよ」
「わたしと蜜柑のやり取り……そんなに面白いかしら……?」
「うん」
「いっしょに住んでるから……ウンザリすることも、多々あるのよ」
「きみは蜜柑さんにもっと素直になるべきじゃないかな」
「素直になるって……なに?」
「蜜柑さん相手だと、なぜかツンツンしてるよね」
「すっ、素直に向き合ってるってことよっ」
ハルくんは軽く笑って、
「あるいは、そうかもしれないね」
おしゃべりしてる場合じゃない。
お勉強、始めないと。
まずは、漢字と英単語の小テストを解かせる。
そしたら、きょうはずいぶん出来がよかったから、驚き。
わたしが怒り狂うほど、先週は悲惨だったのに。
もちろん、持ち直してもらわないと、困るんだけれど、
ハルくん――今回は、ちゃんと復習してきてる。
「――復習、がんばったのね」
「ほめてくれるの?」
「努力の成果が――出てる」
ほめたいのは山々(やまやま)だけれど、
いったい、どうほめればいいのかしら。
「ごめんねハルくん――ほめたいけれど、ほめることばが見つからないわ」
ハルくんはおかしそうに笑って、
「いいんだよ、無理にほめことばを探そうとしなくたって。
おれは――合格したとき、きみが『おめでとう』って言ってくれたら、それでじゅうぶんだよ」
「『おめでとう』は、お祝いのことばでしょう」
「似たようなもんだよ」
「ほめことばと?」
「そう。」
「雑(ざつ)ね」
「え」
ほめるのと、お祝いするのを一緒くたにするなんて、雑にもほどがあるけれど。
ハルくんが無事に受かって、彼に『おめでとう』を言えるように、わたしもがんばって教えなくっちゃ……と思った。
× × ×
サッカーで鍛えただけあって、集中力が途切れないのは、さすがだと思う。
休憩を挟まず、ぶっ通しで教えていたら、もう正午近く。
「――時間が経つのが早いわね」
「おれもだよ」
「疲れない?」
「ぜんぜん」
「疲れなんて知らないぐらい、勉強に没頭してたのね」
「きみだって、夢中になって教えてたじゃないか」
「ようやく、あなたが本気になってくれたからだと思うわ」
「そりゃあね。入試近いし」
「これまでは、『マジメに勉強する気があるのかしら?』って思うことが多かったけれど」
「けっこう、きみを怒らせてしまっていたよね」
「毎週毎週、あなたに怒っていた気がする」
「これからも、叱ってくれよ、だめなときは」
「…わたしだって、叱ってほしい」
「…きみを?」
「たまにはわたしを叱ってほしい。至らないことが、必ずあるだろうから。たとえば、今朝みたいに、寝坊したときとか……。もっとわたしに厳しくしてくれてもいい」
「厳しく、かあ。
――きっとアカ子は、他人にも自分にも厳しいんだね」
「他人(ひと)に優しくないわけじゃないわ。
……言われてみれば、自分には、厳しいのかもしれないけれど」
自分に厳しく、他人に優しいのなら、最高。
――なかなか、そう上手くはいかないのが、人間という生き物だけれど。
「ちょっと、自分に厳しくしてみようかしら」
「ん?」
「ハルくん、わたしを見て」
「見てるよ?」
「もっとしっかり見て」
「しっかりって、どういうふうに」
「3分間。3分間、わたしを観察して」
「観察!?」
「観察…というより、点検、っていったほうがいいのかしら。
きょうわたし、寝坊しちゃったでしょう? 急いで身支度したから、どこかヘンになっていないかしら…と思って。鏡もろくに見てないし。寝グセだって、言われないと気づかないと思うから」
「蜜柑さんには、なにも言われなかったの?」
「蜜柑はイジワルだから、気づいても言わないのよ」
「そんなもんかなぁ」
「とにかく!! 3分間だけ、わたしの身だしなみをチェックしてっ」
そして、
3分間きっちりと計(はか)って、ハルくんにわたしの身なりを点検させた。
「どう……? 寝グセが立っていたりしたら、遠慮なく言って」
「寝グセは、なかった」
「……信じるわよ」
「にしても、きみの黒髪ストレートはきれいだなぁ」
「すぐ関係ないこと言うんだから!!」
「おこられちゃった」
「……次。服装」
「ん~」
「なにか……気になった?」
気になるような眼、だったから、
不安になって、彼の返事を待った。
「――いつもより、適当かな」
言われちゃった……。
「……間に合わせだったの。寝坊の影響」
「ま、しかたないよ」
彼はそう言うけれど、悔しがる気持ちは抑えられない。
あと15分早く起きていれば、服装が間に合わせにはなっていなかったはず。
だから、自分を悔やむ。
「……わたしいま後悔してる」
「そんなに悔やまなくたって。
たしかに、『パジャマを脱ぎ散らかして、手っ取り早く着られるもの探して、すっぽり被(かぶ)るだけのワンピースを選びました』っていう言い訳がぴったりの服装だけど」
「……」
「お~いアカ子?」
「……わたしの着替えを説明してくれてありがとう」
「図星か~!」
「ほとんどあなたの言ったとおりよ……でも、」
「でも?」
「あなたの想像力が……若干気持ち悪かった」
「えっ」
「男の子って……そういうこと、想像するものなの?」
「ん~~、どうだろう」
「するのよね、ハルくんだってするんだから」
「――無神経かな、おれ?」
「ハルくんも蜜柑と同等にスケベだったのね」
「そ、そんなに、『すっぽり被るだけのワンピース』とか言ったのが、無神経だったのか」
「無神経というか、とにかくスケベ」
「……いやらしかったのなら、ごめんなさい」
その想像力を……現代文の小説問題の読解で発揮させてよ。
男の子の想像力って、あらぬ方向に行きがちなのね。
よくわかったわ。
ほんとうによくわかったわ。
わかりすぎるくらいわかったから……今回は許してあげる。