「椛島先生の都合がついてよかったな」
竹通(たけみち)くんは、そう言うけど、
「――ダメだったの? どっちかの家で勉強する、じゃ」
なにも、土曜にわざわざ制服着て、登校しなくても……とわたしは思った。
でも、こうして、土曜にもかかわらず制服姿で、学校に来て、椛島先生を竹通くんと待っているのである。
けっきょくは、彼の意見に、折れたのだ。
「きょうは、あなたの言うとおりにしたけど――べつに、わたしの家に来たっていいのよ。こころの準備はできてるし」
「こころの準備って」
大げさだろ、と言わんばかりの、彼の顔。
「むしろ、あなたのほうが、女の子の部屋に入るのをためらっちゃうかしら」
「桜子の……部屋?」
「どうなの」
「いきなり、桜子の部屋に、お邪魔……するのか」
「遠慮なしよ、竹通くん」
「だって――」
彼が言いかかるのを遮(さえぎ)るように、
「わたしたち、いつまでも子どもじゃないのよ、わかるでしょ。わかってよ」
「――それ、どういう意味」
「……ニブっ」
「――なんか言ったか?」
「言ってない」
やれやれ、といった口調になって、
「椛島先生、来たみたいだぞ」
と竹通くんは言う。
彼と同じ方角を向くと、遠くから椛島先生がやって来るのが確かに見える。
× × ×
「土曜出勤、ご苦労さまです」
「いいのよ一宮(いちみや)さん、やらないといけない仕事もあったし。ほかの部活も、けっこう練習に来てるでしょ」
積まれた仕事に、部活動の指導……。
「教師って、たいへんなんですね」
ねぎらうつもりでわたしは言ったのだが、
「いまさらかよ? 桜子」
竹通くんに、横槍を入れられる。
「竹通くんはわかったような口をきくのね」
「バカにすんな」
「してないっ」
「してるっ!」
「してないっ!!」
「――仲良しね、ふたりとも」
えっ。
そんな。
「口喧嘩(くちげんか)が――仲良しなんですか」
焦り気味に、わたしは先生に問いかけるけれど、
「仲良しじゃなきゃ、口喧嘩できないと思う」
ぐうの音(ね)も出ない意見が、返ってきた。
「仲良しの根拠はまだあるよ。たとえば、一宮さん、岡崎くんを『名前』で呼ぶようになったでしょ?」
とたんに上昇するわたしの体温。
「――どうして名前呼びになったのかな、って、わたしは思っちゃうな」
だいぶ婉曲(えんきょく)的な言いかたで、先生は関係の変化を探ってくる。
これが、オトナの……余裕。
わたしたち3人は、いつもの活動教室の扉に近づいていた。
「わたし、職員室で仕事してるから」
カギをあけながら先生が言う。
「顧問がいないほうが――はかどるでしょ?」
はかどるって、なにがですか、先生。
「あなたたちふたりは、なんだかんだで、マジメだから」
マジメだから、なんなんですか、先生。
「信頼してるってこと」
そう言ったかと思うと、
「信頼してるから……安心して、あなたたちを送り出していける。次の進路に行っても、きっとうまくやっていける」
まさに……教師目線の、語り口。
「椛島って先生がいたことも、ときどきは思い出してね」
先生は、言い添える。
「あの、先生――」
「なーに? 一宮さん」
「ありがとうございます。それと、ありがとうございました」
感謝に感謝を、重ねて。
「どういたしまして」
先生は、微笑む。
× × ×
ふたりともお幸せに――と言いたそうな、若干イジワルめいた表情を見せながら、椛島先生は活動教室から離れていった。
「椛島先生ペースだったな」
「そうね……わたしたちのこと、覚(さと)ってるみたいだった」
「ま、とにかく勉強だ」
「そうね」
竹通くんの言うとおり。
× × ×
だいぶ勉強したな、と思ってきたとき。
「――休憩がてら、おれの話につきあってくれないか」
「つきあうわよ。つきあってるんだから」
「……そうですか。
じゃあ、話すけど。
夏休みの終わり頃に、夏祭りに行った。
あすかさんに、誘われたんだ」
「わたしも誘われたけど、受験勉強を理由にして、断っちゃったのよね」
「そうだ、桜子は、いなかった。
それで――おれ、じつは、あすかさんとふたりで、屋台をまわったりしたんだけど――」
「初耳」
「――ほんとは秘密なんだ。でも、この際言ってしまったほうが、むしろ誠実だろうと思って」
「わたしに対しても、あすかちゃんに対しても」
「そういうことだ」
「話って、それ?」
「いや、違う。
話したいのは、べつのことで。
べつのことといっても、夏祭りのときのことであるには変わりないんだが。
大所帯だったんだよ。
あすかさんやアツマさんの知り合いだけじゃなくって、いろんな方面から、人が来て。
――桜子は、羽田愛さんと会ったことはあるか?」
「ないわね。この学校に来たことがあったみたいだけど、そのとき話したりはしてない」
「そうだよな…。
まあ、羽田愛さんは、あすかさんとアツマさんの自宅に住み込んでるわけだが」
「なおかつ、アツマさんと恋人同士」
「おれの話を先取りしてくれるな」
「いいじゃないの。――とうぜん、愛さんも夏祭りにいたんでしょう」
「浴衣が、よく似合ってた」
「……そんな眼で、愛さんを見てたの?」
「違う、誤解してくれるなっ」
「……それで」
「――まあ、愛さんは、アツマさんのとなりに、立っていたわけだが」
「自然の成り行きよね」
「――まぶしく見えた」
「ふたりが?」
「ふたりが。
両想いって、いいな……って、素直にそのときおれは思った。
もとから、おれはアツマさんに憧れてたんだけど。
愛さんがとなりにいると、アツマさんがもっとまぶしく見えて。
もちろん、愛さんの浴衣姿も……キラキラしてて、まぶしかったんだ」
「やけに愛さんの浴衣姿を強調するのね」
「仕方ないだろ。おれと同い年でこんな女の子がいるなんて信じられなかったんだから」
「妬(や)くわ」
「そう言うと思った……おれが好きなのはおまえだけどな」
「……サラリと恥ずかしくなるようなことをブチ込んでこないでよ」
「おれはおまえが好きだから、妬(や)かなくたっていい」
「……話の続きをどうぞ」
「――愛さんがキラキラしてる理由も、あるんだろうなと思って。理由ってのは、やっぱ、アツマさんの存在だよな、って」
「で?」
「ここからが本題なんだが」
「まだ前置きだったの。あきれた」
「本題というか、いちばん言いたいこと。
おれたちふたりも――あんなふうになれたらいいなあ、と、思うんだ」
「愛さんとアツマさんみたいに? 理想が高くない?」
「理想が高くて悪いか?」
みょうに、「理想が高くて悪いか?」と言ったときの竹通くんの顔には、説得力があった。
思わず、竹通くんの顔を見つめてしまう。
「ほら、夏目漱石だって言ってんだろ、『向上心のないやつはバカだ』って」
「それは漱石が書いた『こころ』の登場人物が言ったことばだと思うんだけど」
「細(こま)けぇよ」
「こういうところで細かくないと、理想には近づけないわ……愛さんだって、細かいところに気を配ってるはず」
「悪かったな、現代文の授業の、付け焼き刃な知識で」
「ほんとうに付け焼き刃ね。向上心もなにもない」
「ないわけではない」
「いいえ。あなたの向上心は、まだまだよ。
でも……」
「んっ?」
「あなた……いい顔をしてる」
「……なんで、顔の話になるのかな」
本心だから。
話題を無理やり変えたみたいだけど、彼をバカにするよりも、彼のいいところを、これからたくさん見つけていきたいから。
いいとこ探し。
これまでわたしは彼に、厳しく接しすぎた――そんな自己反省がある。
接しかたを変えたい。
だから、手始めに、彼の顔を、ホメてみる。
「いまの竹通くん、アツマさんより、いい顔してる」
「なんの根拠があるってんだ……」
「根拠なんて、あるわけないでしょ」
「おいっ」
「根拠で好きになんか……ならないよ」
「…桜子?」
「好きだから……あなたをどんどんホメ倒してあげる」
いいでしょ?
直感で、好きになっても。
直感で、あなたをホメ倒しても。
竹通くん……。
あなたこそ、とってもまぶしいよ。