文房具店で、隣にクールビューティーな女の人が来たな…と思ったら、愛の中高生時代の保健室の先生だった。
一ノ瀬先生。
自然な流れで――喫茶店に向かい、お話することに。
「羽田さん、おごってあげるよ」
一ノ瀬先生の微笑みがまぶしい。
「いいえ、別々で」
「あら」
「別々って、おれに払わせる気まんまんだろ、おまえ」
「よくわかってるわねぇ~」
愛の不埒(ふらち)な笑みが……苛立(いらだ)たしい。
――ったく。
おれと愛、隣同士で一ノ瀬先生と向かい合っているわけだが、
例によって、大人のお姉さん相手に気後(きおく)れしてしまうアツマくんが発動してしまって――、
つらい。
『ポニーテールでも、こんなに大人っぽいなんて……すごいな』とか、どうでもいいことを考えて、気を紛(まぎ)らす。
カッコいい女上司、と喩(たと)えてみようか。
この女性(ひと)は会社員じゃなくて先生だけど、もし会社員だとしたら、バリバリ仕事ができそうで、ミスなんかしなくて、その有能さが憧れの的になって――とか妄想する。
もちろん、保健室の先生としても、凄く仕事のできる女性(ひと)なんだろう。
そんな、あることないことを、思い出話に花を咲かせるふたりをよそに、考えていたところが、
「ちょっと、アツマくんもなんかしゃべりなさいよ」
と愛に要求される。
「しゃべるっつったって」
「言えないの? なにも」
「ぐ……」
「ほらぁ、一ノ瀬先生に、なにか訊いてごらんよ」
むむむぅ……。
一ノ瀬先生の綺麗に整った目元を上手く見られないながらも、
「……い、一ノ瀬先生は、生徒の人気、抜群ですよね」
え? という表情の彼女。
「なんでそれを先生に訊くのよっ」
怒(おこ)りっぽい声で愛がツッコんでくるが、
「いやぁ……さぞかし、生徒から憧れられて、尊敬されてるんだろうなあ……という印象で」
一ノ瀬先生は小さく笑って、
「それは……ホメてる、ってことよね」
「……」
「どうしてそこで押し黙るの!? 不自然だよアツマくん」
うるせぇ、愛。
「先生は人気抜群に決まってんじゃないの。みんなから信頼されてる」
信頼、か。
そうだよな。
あらためて、ぎこちなくも、一ノ瀬先生に向き合い、
「おれの勝手なイメージなんですけど……仕事で失敗なんか、しないんだろうなあ、と」
『その質問もどうなの……』という疑問を伴う視線を、愛が送ってくるのがわかる。
ふふ……と、また小さく笑って、コーヒーカップに口をつけたかと思うと、一ノ瀬先生は、
「思い違いね。アツマくん」
とズバリと言ってくる。
「……なんか、すみません」
「失敗なんか、しょっちゅうよ」
「……ですか」
「クールで、強くて、カッコいいとか、そういう評判も、耳に届いてくるけど。
わたしが、しばしばヘマをやらかすのは――羽田さんなら、知ってるよね」
「――そこも含めて、わたしは一ノ瀬先生が好きなんです」
「羽田さん……」
「基本テキパキしてるけど、時にテキパキできなくなる」
おいおい、率直すぎねーか。
「そういう、『玉にキズ』なところが――杉内先生も、好きになったんじゃないですか?」
……なにを言い出すんだ、こいつは!?
突拍子もなく。
というか杉内先生ってだれだよ。
クールな雰囲気を保ちながらも、一ノ瀬先生は、うっすらと頬(ほほ)を赤くする。
「からかうつもりは、なくって――。ただ、わたしだって、一ノ瀬先生を後押ししたいから」
「後押しって、なんの後押しだよ」
「……どこまで鈍いのよ」
そりゃ……大人の女性を前にして、いつもより感覚が鈍くなってるのは、認めるが。
「羽田さんには……かなわないな」
そう言って、照れ気味になる一ノ瀬先生の顔が――今度は、なぜだか、可愛かった。
× × ×
「はぁ」
「なに朝っぱらから溜め息ついてんの? アツマくん」
「昨日のことを――回想してただけだ」
「あ~ら、そんなに一ノ瀬先生のことが忘れられないわけ」
「だってよ…」
「『だってよ…』の続きを言いなさいよ」
「…単純に、一ノ瀬先生が、『いい大人』だなって、思っただけ」
「言う必要もないぐらい当たり前なことでしょ」
「もっと、話せればよかったって……少し、悔やんでるんだ」
「萎縮(いしゅく)してたもんね」
「萎縮しちまうクセが、どうにも直らんみたいだ」
「良くも悪くも」
「なんとかならんかなあ…」
「あなたの努力次第よ」
「…その通り、だな」
愛が大学に行く時間になったらしい。
「じゃあ、ひと足お先に、わたし行ってくるね」
「行ってこい」
玄関に突き進む愛だったが、
突如、ピタッと立ち止まり、
おれのほうに戻ってくる。
「忘れ物か? おい」
「忘れ『物』じゃなくって、忘れてた『こと』」
「は?」
近づきすぎるぐらい近づいて、
真正面からおれに向き合い、
次の瞬間、
おれの胸に――抱きついてくる。
「……ベタつきやがって。
母さんや流さんに見られでもしたら……」
「いいじゃん、『公認』なんだし」
「TPOって概念はどこ行った」
「……わたしが大学入ってから、あんまりひっつけてなかったし」
「だからって、平日の朝にこんなところで、おかしいだろ」
「おかしくない!」
これが仕上げだ、と言わんばかりに、ギューーッと、抱きしめる力を強くする。
それから、パッ、と身体(からだ)を離して、
「――急がなきゃ」
身をひるがえし、早足で、愛は玄関へと歩いていくのだった。
朝から――、
愛の愛情を、まともに受け止めちまった。
おれが乗る電車の時刻も、忘れちまうぐらいに――。