日曜日ということで、ハルくんを自宅に招いて、受験勉強を教えてあげる。
運が悪いことに、きょうは父が在宅……。
× × ×
「さすがに恐縮そうだったわね」
「当たり前だろー。お父さんの前だったんだぞ」
「そんなにガチガチにならなくてもいいのに」
思わず、ハルくんの両肩に手を乗せる。
「ア、アカ子!? いきなり――」
「そんなに驚かなくてもいいじゃない。あなたがまだ緊張していたからよ。リラックスしてもらわないとこっちが困るわ。これから勉強するっていうのに」
「――きみも大胆だな」
「落ち着いた? あなたが『落ち着いた』って言うまで、離さないから」
ハルくんにしがみつくのは、わりと慣れている。
× × ×
「では始めましょうか」
「きょうはぬいぐるみとか投げないでくれよ」
「…あなたが悪いんでしょ」
「悪かったけどさぁ」
「あんまりわたしを怒らせないでね」
「不用意に、怒らせてしまうことがあるかもしれないけど、そのときはゴメン」
「予防線…」
そのとき、不都合にも蜜柑のノック音。
「蜜柑タイミング悪すぎよ。いま、勉強始めようとしてたのに」
『お嬢さまわたし出かけますので』
「お好きにして」
『邸(いえ)に3人きりですね~~、アカ子さんとハルくんと、お父さん』
「それがどうかしたの」
『アカ子さんとハルくんは部屋でふたりっきり。お父さんの預かり知らぬところで、こう……』
「卑猥よ」
× × ×
「――ごめんなさい。蜜柑がいつものように変なこと言ってたけど、聞こえちゃったかしら」
「聞こえちゃった」
わけもなく恥ずかしくて、頬が熱くなる。
「お~い、リラックスしろって言ったのはきみじゃないか」
「み、蜜柑が外に行っちゃったから、余計なプレッシャーがなくて、リラックスできると思うわ」
「アカ子」
「なぁに!? いつまでたっても勉強できないじゃないの」
「深呼吸」
わたしがどうして深呼吸しなきゃならないのよ……。
× × ×
まず国語。
「漢字の読みを勉強しましょう。漢字問題の点数も、侮(あなど)れないから」
それで、とりあえず問題を解かせてみたわけだが――。
「――こんな漢字も読めないの!?」
唖然。
「中学生だって、間違いようの無いような読みよ、コレ」
「なんか……先週と同じようなこと言われてる気がするな」
「だって」
「だって、?」
「……先が思いやられるんですけど」
「深刻そうな顔しなくたって」
「現実を把握して。11月も折り返しよ。入試まで3ヶ月切ってるのよ」
うず高く積まれた国語関係テキストを眼で探(さぐ)ってみたが、漢字だけの問題集というのは見当たらない。
「わたしで……作るしかないのかしら」
「なにを」
「あなた用の漢字ドリルよ」
「そんなの作れるの」
「舐めないでよ。作れるわよ」
「PCで?」
「PCで」
「きみPC持ってるの」
「自分のは、ないけれど……PCなら、邸(いえ)にいっぱいあるから」
「まあそうだろうね」
「でもこの際、わたし専用のPCを持ったほうがいいかもしれないわね」
蜜柑と共用とか、シャクだし。
「ちょっとお父さんと交渉してくるわ」
「交渉?」
「『わたし専用のPCください』ってことよ」
すでにわたしは部屋から出ようとしていた。
「たぶんすぐに戻るわ。留守番してて」
「行動が早いねきみは」
「……その椅子から動いちゃダメだからね」
「なんで」
鈍(にぶ)すぎっ!
「なんでもよっ、少し考えたらわかるでしょっ」
ハルくんは少し考えて、
「あー」
「生返事(なまへんじ)やめなさいよ。
……とにかく、椅子に座ってじっとしておいて。
命令よ!」
× × ×
父が、通販と思(おぼ)しきダンボール箱を前にして、コーヒーを飲んでいる。
「お父さん。」
「用事かー?」
「用事。」
「用事もいいが、『自転車くん』もここに呼んで、3人でコーヒーでも飲まないか」
「用事があるんですけど。」
「まぁまぁそうイライラするなよ」
「あとハルくんのこと『自転車くん』って言わないで」
「すまん」
「用事はこういうことです。――わたし専用のパソコンが欲しいんですけど、邸(いえ)にあるものを1台、いただいてもよろしいですか」
「よろしいよ」
即答。
「1台と言わず、2台でも3台でも。わざわざ許可取るようなことでもあるまい」
「1台でいいわ」
「――もっと欲しがれよ」
「欲しがらないわよ!!」
お父さんの眼の前に置いてある箱が、気になってしょうがない。
「……また通販でプラモデルでも買ったの?」
「買った」
「こりないんだから」
「ライフワークだ」
「……」
「今回は、某ロボットアニメに登場した機体のプラモなんだ」
某ロボットアニメって。
いい歳こいて。
「どうせ、ガンダムとかなんでしょ」
「いや、違う」
「じゃあなに……?」
「ブレードライガーだ」
「ぶ…ぶれーど、らいがー?????」
「そんなにおまえが気になるのなら中身を見せてやろう」
× × ×
ライオンをモチーフにしたような、青い四足歩行ロボット。
「ZOIDS(ゾイド)……聞いたことがあるようなないような」
「お父さんが子どものときから、ゾイド自体は売られていたわけだが……」
こうなると、わたしの父は止まらなくなる。
「アニメはおよそ20年前、土曜夕方6時に放送されていた。
ふたつの国家間の戦争が背景にあって、ミリタリー色も濃かった……要するに、単なる子供受けおもちゃ販促アニメではなく、土曜夕方放映ながら、大人の鑑賞にも堪えうる内容だったわけだ。
そしてこの『ブレードライガー』は、主人公のバンが物語の途中から乗り込むゾイド――つまり、2代目主役メカなんだな」
「『大人の鑑賞にも堪えうる』って、観てたのね、アニメ」
「毎週観ていた」
「性懲りもなく……」
「ゆとり世代には思い出深いはずだ」
「お父さんゆとり世代でもなんでもないでしょっ」
「ゆとり世代とカラオケに行って、オープニングテーマを歌うと、そりゃもう盛り上がる」
「お父さんそれ実体験じゃないでしょ、デッチ上げでしょっ」
「名曲なんだ……これが。『Wild Flowers』って曲でな」
この場で歌い出しそうで、こわい。
「また、作中のゾイドはすべて3DCGで描かれていて、これがまた90年代末期放映開始とは思えないクオリティの高さ……『オーパーツ』と言われることもあるぐらいに」
「――で、お父さんは、これからゾイドを組み立てるわけね?」
「ブレードライガーだ」
「――ごゆっくりどうぞ」
父の講釈に耐えかねて、階上(うえ)の部屋に戻りかけた。
そしたら……向こうから、ハルくんが、階段を下りてきた……。
「じっとしておいてって言ったわよね!?」
「でも、『すぐに戻る』とも言ったよね、きみ」
「あ……」
「気になったから、下りてきた」
「……お父さんのせいよ」
「ひとのせいにしない」
「趣味に走るのが悪いんだわ」
「お父さんのグチをぼくに向かってこぼさない」
「ハルくんに漢字テスト」
「え?」
どこからともなくメモ用紙とペンを持ち出して、
「『愚痴』を漢字で書いてみて」
おとなしくメモ用紙とペンを受け取ったハルくん。
しかし、書いた答えは、
『悪茄』
「……よく『茄子』の『茄』を知っていたわね」
「ほめられた!」
「……ほめるところはそこしかないから」