【愛の◯◯】わたしの恋はE判定

 

模試の結果が微妙だった。

焦る。

前向きに、前向きに……と思うけれど、

気持ちをうまくコントロールできない。

焦る。

 

一宮桜子(いちみや さくらこ)、

ここに来て、絶賛焦り中。

 

× × ×

 

12月になったという事実に、ドキドキする。

もう入試まであと少ししか時間がない。

 

放課後。

ドッサリと教科書・参考書・問題集・赤本・プリント・筆記用具etc…を自分の机に積み上げる。

ただし、ここは自習室ではない。

スポーツ新聞部の、活動教室である。

もはや部活動の場なのか受験勉強の場なのか区別がつかない。

が――、本来は、もちろん、部活動をすべき空間なのだろう。

 

「桜子ー、勉強サークルじゃないんだぞー」

…さっそく、瀬戸くんがたしなめてくる。

「しかも桜子、おまえは部長なんだからなー」

なんだか…チャラい。

「ず、ずいぶん余裕あるね、瀬戸くんは」

そう言うと彼は右腕をグルグル回しながら、

「おれだって睡眠時間削ってるんだよ~。部活をやってる分、夜ふかしして勉強してるんだ」

…体力があるから、できるんだ。

中学まで、競泳で鍛えた、体力が、瀬戸くんには……。

わたしにはなんにもない。

コンプレックスみたいなものを覚えながら、

「それにしたって――、余裕、ありそうじゃない」

え~~? そんなことないよ

 

軽薄そうに言うんだから。

 

わたしの気も知らずに。

 

神岡さんにうつつを抜かして、受験に滑っても、知らないんだから……。

 

「ところで瀬戸くん」

世界史の一問一答をやりながら、

「あなた最近、プールに行ってないみたいね」

と探りを入れてみる。

プール、とは、校内プールのことで、

しばしば教室を抜け出して、瀬戸くんは「水泳部の取材」という名目で、神岡恵那(かみおか えな)さんの様子を見に行っているのだ。

「季節を考えろよ」

「季節?」

「屋外プールで泳ぐには寒すぎんだろ」

「――たしかに」

「あのなあ。――なんだ、水泳部の動向でも知りたいのか?」

「部長として、各運動部の動向は、把握しておきたいかも」

「3年はとっくに引退した。水泳部も、世代交代だ」

「神岡さんも――引退したのね」

「ピンポイントで、恵那かよ…」

「だって瀬戸くんといったら神岡さんじゃないの」

 

ピリピリし始めて、瀬戸くんは、

「恵那のことそんなに気になるか」

「……瀬戸くんが悪いのよ」

「ハァ!?」

「瀬戸くんが取材してきたのは水泳部だったの、それとも神岡さん個人だったの」

 

嫉妬が、先走る。

 

瀬戸くんが、舌打ち。

彼が舌打ちするのを、初めて見た。

 

「……桜子おまえ、受験より恵那のほうが気になるってか」

 

ヒリヒリした空気になって、

岡崎くん、

あすかちゃん、

加賀くん、

ほかのみんなの注目が、わたしと瀬戸くんに集まってくる。

 

「違う。わたしがほんとうに気になるのは、受験よりも、神岡さんよりも――」

 

――ここで言うべきではないという自制心で、喉まで出かかったことばを押し留める。

 

だけど、

わたしが気持ちを押し殺そうとしても、

彼には、瀬戸くんには、様子がおかしいのが、伝わってしまったみたいで、

どうして伝わったってわかったかっていうと、

瀬戸くんが――赤面してるから。

 

 

……悪い、桜子

 

 

秒速で、瀬戸くんは活動教室から脱走する。

 

大変なことになってしまった。

 

自分の身体(からだ)が、凍りついたようにガチガチになる。

 

溶かして。

だれか、溶かして。

 

 

 

 

桜子

 

岡崎くん、

溶かして、溶かして!!

 

追いかけなくて……いいのか?

 

――岡崎くんがそう言った瞬間に、わたしは動き出していた。

追いかける。

脇目も振らず、追いかける。

 

 

 

× × ×

 

 

「…トイレにでも、隠れてるのかと思った」

「おれは……逃げないから」

「じゃあなんで脱走したの? 矛盾してるよ」

「逃げたくないから、逃げたんだ」

「気持ちの整理が、できてないんだね」

「桜子のせい、でもある」

「……瀬戸くんは無防備だね」

「それは、どういう……」

「瀬戸くんが行き着く場所は、限定されてると思ったから、だから、簡単にあなたをつかまえられた」

「悪かったなっ、鬼ごっこが不得意で」

「嘘をつき通すのも不得意」

「……恵那のことで、か? あいつのことで、嘘なんかついた憶えない」

「そこは百歩譲ってあげるとして……ごまかし続けて、はぐらかし続けたのは、否定できないでしょ」

「……ほんとうのこと、言ってもいいか」

「どうぞ。むしろ、わたしは言ってほしい」

 

ごくん、と唾を飲んでから、彼は、

 

「夢を……重ねてるんだ、恵那に」

「どんな夢を?」

「おれが描けなかった夢。ケガで競泳を断念したおれが、届きたかった地点、そこに……あいつなら、届いてくれると思って」

「……重ね続けてるの? 神岡さんに、現在(いま)でも」

「ああ。重ね続けてる。現在進行形だ」

「卒業しても」

「卒業しても」

「いくつになっても」

「…いくつになっても」

 

そっか。

意地の……張りようも、ないみたいだ。

 

「――E判定、食らっちゃった

 

模擬試験なんかよりも、

ずっと、重い。

 

重い、想いの、なれのはて――か。

 

わたしのE判定発言の影響を受けて、苦虫を噛み潰したような顔で、黙りこくる、瀬戸くん。

 

「でも、志望校はまだ、E判定じゃないから。

 勉強もがんばるし、もちろん部活もがんばる。

 部長として、卒業まで務めあげる。

 だから――サポートしてよ、副部長として、

 ね?」

 

「……よく開き直れるな、そんな、すぐに」

 

「開き直れるよ。

 立ち直れるかどうかは……別として」

 

 

 

 

× × ×

 

 

帰った夜。

自分の部屋。

ベッドに仰向け。

天井が見えるだけ。

 

 

放心状態だった。

 

「嘘をつき通すのが得意じゃない」とか、彼には言ってしまったけれど、

嘘をついていたのは、わたしのほうだったのかもしれない。

彼に対しても、神岡さんに対しても、

そしてなにより――わたし自身に対しても。

 

「…ウソツキ。」

 

毛布をかぶって、うつ伏せになって、かじりつくように枕に顔を寄せて、

そんなふうに、独(ひと)りごちる。

 

自己欺瞞(じこぎまん)』

 

現代文のテストの問題文に、そんなことばがあったような気がする。

 

わたしは……わたしは、わたしが、わからなくなってきた。

高3の12月にもなって、アイデンティティをこんなにも燻(くす)ぶらせるなんて。

 

 

× × ×

 

ひとつだけ、決意した。

もう、スポーツ新聞部には、受験勉強を、持ち込まないって。