【愛の◯◯】赤門の赤本と数学のお手本

 

さて、えらいこっちゃ、である。

月曜日の、麻井の電話。

利比古くんとデートした挙げ句、

利比古くんに対して、

初恋みたいに、ドキドキする

なんて、そんな気持ちを抱いてしまったなんて。

 

そりゃ、恋愛感情だよ――麻井。

 

どこまで自覚してるんだか、わかんないけど。

案外、惚れっぽいヤツなんだってことはわかる。

腐れ縁だもの。

でも、まさかの年下好み。

ちょっと、理解の範疇(はんちゅう)超えてる。

超えてるから、

どういうことなんだって、麻井に詳細説明を要求したかった。

麻井をつかまえて。

 

だけど、あいつはすばしっこくて。

きょうも、授業が終わった途端、野良(のら)ウサギがぴょんぴょん飛び跳ねるみたいに、あいつは旧校舎へと消えていってしまった。

きょうの放課後を逃すと、来週までチャンスなくなっちゃうんだけど。

もう、土日、私のほうから麻井のスマホに連絡するよりないんだろうか――。

『アンタにこれ以上話すつもりない!』って、突っ張られるかもしれないけど。

デリケートな問題だからな。

干渉が逆効果になるのかもしれない。

 

「甲斐田、なにずっと廊下につっ立って腕組んでるの?」

不審そうに、同じクラスの親友・平原が背後から声を掛けてきた。

「――美味しい肉じゃがの作りかたを考えてただけだよ」

「なにそれ」

バレバレの、嘘。

ごめん平原。

ちょっと――デリケートな問題があってね。

お茶を濁すしかないんだ。

 

× × ×

 

進路指導室の隣の部屋が、自習スペースになっている。

私が自習スペースに入ったら、先客がいた。

 

「篠崎くん、奇遇ね」

 

篠崎大輔くんである。

篠崎くんの真向かいの席に、私は着席する。

思わず、

「――寒くないの?」

と言ってしまう。

篠崎くんが学ランを腕まくりしていたからだ。

「いつもどおりだ」

「冬になっても、腕まくりで通すわけ?」

「どんな季節だろうと関係ない」

「道理で――病気にならないわけだ」

「なにが言いたい」

「カゼひいて欠席したことなんてないんでしょ」

「そうだ。俺はカゼなんぞひかん」

「――成績の良さと頭の良さに、相関関係なし、と」

「は?」

 

「ところで甲斐田は放送部はいいのか?」

「私はセミリタイアだよ、もう」

セミリタイア?」

「気づいたら11月、でしょ。部長はもはや名目だけで、半分ご隠居状態」

逆に、

「篠崎くんこそどうなの? 応援部。代が変わったんでしょ。いい加減潔(いさぎよ)く引退しないの」

「俺はスーパーアドバイザーだ」

どうしようもないなぁ……。

「それってつまりは居座り続けてる、ってことでしょ。引き際が肝心なんじゃないの」

「いつも居座ってるわけじゃない。こうして受験勉強にいそしんでいる」

…疑わしい。

「そして俺は、どんな場所にいても、応援部の後輩たちを気にかけているんだ、スーパーアドバイザーとしてな!」

随分おめでたいこと……まったく。

 

でも、バカなこと言い続けてるクセに、机の上にある赤本の表紙が――彼の学業の優秀さを裏付けていて、なおさらムカムカしてくる。

「さすがに分厚いね――篠崎くんの、赤本は」

赤門の赤本だからな!」

「うまいこと言わないでよ」

「くやしいか」

「不満」

「くやしかったら、模試の成績で俺の偏差値を乗り越えてみろ」

「くやしくはないからっ」

「本郷で、記念写真を、撮ってきた」

「呆れた! もう受かったつもりでいるってわけ」

「夢は現実になるんだ」

「……ポジティブシンキングだかなんだか知らないけど、入学したら最初は本郷じゃなくて駒場なんでしょ」

「そうではある」

 

心底……落ちてほしい、とか言わない。

他人の失敗を願っていたら、自分が足もとをすくわれるものだし。

だけど……、

「ふざけてないで勉強に集中しなよ。おふざけで合格できるほど、日本の最高学府は甘くないよ」

そうたしなめ、数学の問題集とノートを広げていると、

「ときに、甲斐田」

「なに」

「おまえの志望はどこだ?」

私はシャープペンをカチカチと鳴らして、

「……勉強させてよ」

「俺がこうやって赤本で志望校を晒してるんだから、おまえも情報公開するべきだ」

ハァ!? 無茶振り!?

「――自習スペースで怒鳴るべきではないぞ」

そんなこと知ってるよ。

あなたの態度がそうさせるのよ。

 

……キレ気味に私が舌打ちしたので、

「まぁ…、無理には、訊かない」

「そうしてくれる?」

 

× × ×

 

そして20分経過。

 

どうしても解けない数Ⅱの問題に、手こずっている私。

 

「いつまで同じページとにらめっこしているんだ?」

「余計なお世話でしょっ」

やにわに東大志望が身を乗り出してきて、私の数学問題集に視線を落とす。

「――なんでこんな易しい問題に手こずっているんだ?」

「り、理系科目は不得意なの」

「解法がなぜ自然に浮かんでこない」

そう言うと、篠崎くんは私のノートにすらすらと解法の流れを書き込んでいく。

「ここまで来れば、もう答えまで一本道だ」

「た、たしかに…」

 

くやしい。

私、くやしい。

 

「………人間チャート式」

「? なんか言ったか」

なんでもない、ぜんぜんなんでもないっ、

 なんでもないついでに、

 ――、

 せっかく、問題の解きかた教えてもらったんだから、

 第一志望を――教えてあげてもいい」

「気が変わったんだな」

「変わってないっ!!」

「うそこけ」

「目標を――具体的にひとに話すと、やる気出るから。あなただってそうなんでしょ?」

「甲斐田もたまには良いこと言うじゃないか」

「バカっ、道理でカゼひかないわけだわ」

「照れるんじゃない」

………府中にある、国立の、外国語大学

「なぜ正式名称を言わんのか?」

「察してよ! いろいろと」

「赤本、持ってるんだろ?」

「見せる気なくなった。絶対見せない」

 

× × ×

 

「――まぁ、甲斐田は、そんなところに落ち着くだろうとは思っていた」

「ひとの気も知らないで……」

「でも――結構がんばらなきゃ、だぞ」

「わかってる。それにいちばんがんばらなきゃ、なのはあなたでしょう篠崎くん」

「確かに」

「スベったら、カッコつかないよ?」

「じゃあ――スベらなかったら、俺を『カッコいい』と思ってくれるか!?」

ずいぶん厚かましいんだね!!

 

× × ×

 

茶番も終わりを迎え、ふたりして校舎を出た。

木枯らしが吹きそうな気候。

夜に向かって、ますます冷えそう。

 

「――ホントに寒くないの? 大丈夫なの」

篠崎くんは学ランを腕まくりしたまま。

「大丈夫に決まっている。ただ――」

「ただ――?」

おでんが食べたくなってこないか」

 

「……また、唐突な」

 

「大根が好きだ。さつま揚げもいいな」

「私も――練り物、好き」

「ロールキャベツなんかあったら最高だ」

なに考えてんの、ロールキャベツとか最悪でしょ