保健室の一ノ瀬先生について、とんでもない噂が飛び交っている。
なんでも、ドイツ語の杉内先生と、ふたりでデートしてる姿が目撃されたとか。
本当かしら。
たしか6月? だったっけ、一ノ瀬先生が廊下で倒れてしまって、杉内先生に介抱された――そんな出来事はあった。
そこから――仲が進展した、ってことよね。
夏のあいだに、もしかしたら恋人同士に……。
本当かしら?
2学期になってからの、一ノ瀬先生の素振りに、それとなく注目してみるとしますか。
× × ×
夏は気分が高揚するっていうからなー。
そういう関係が、芽生えるタイミングだったのかも。
それはそうと、
夏、といえば、
とうとう夏休みも最終日を迎えてしまった。
高等部生活最後の夏休みが終わろうとしている。
終わるんだな――ほんとうに。
ひとつずつ、終わっていく。
その代わり、始まっていくものもある。
これから始まっていくものは、いろいろと挙げられるけど、
いまはただ、期待を馳(は)せるだけ。
× × ×
夏の終わりの総決算として、美容院に行くことにした。
まだまだ酷暑なので、すっきりさっぱりしたいのである。
『アリア』という美容院。
本ブログではひさびさの登場である。
なんと『アリア』が出てくるのは約1年ぶりらしい。
ということは、美容師のサナさんもひさびさの登場。
サナさん、出番がなくて、かわいそう……。
「……もうちょっといろんな人に気を配ってほしいですよね」
「え!?!? だれが」
「ごめんなさい、こっちの話で」
「こっちってどっち」
「楽屋落ち方面…でしょうか」
「??????」
サナさんをこれ以上動揺させるわけにはいかないので、髪についての要望を伝えることにする。
「長さはほとんど変えずに、軽くしてください」
「わかった。――伸びたねえ、それにしても」
制服のスカートにかかるぐらい、わたしの長髪は長く長くなっている。
とやかく言われない校風でよかった。
「わたし身長がそれほど高くないから…バランス的に長過ぎるのかもしれないって、思うこともあるんですけど」
「愛ちゃん、わたしと比べたらぜんぜん身長あるじゃん」
「そうでした」
サナさんは小柄なのだ。
そこがチャームポイント。
「まぁ、そういう悩みがあるってのはわかるけど…、
でも短くはしないんだね」
わたしの「想い」を理解してくれているサナさんが微笑(わら)う。
「いつか短くします」
「その『いつか』が楽しみだよ」
「たぶん――もうすぐ、だと思います」
「マジで!?」
「はい、でももうちょっとだけ待ってください、もうちょっとだけこの長さで」
ひとまず、シャンプー。
お湯のかけ方からして、サナさんはプロである。
入念にお湯を髪全体に行き渡らせる。
ボリュームが多いので、時間がかかるのだが、
サナさんはここで妥協しない。
入念に入念に、丁寧に丁寧に。
お湯を行き渡らせていく。
手抜きがない。
時間はかかるけれど、お湯が行き届かないところがない。
髪のぜんぶに浸透していく。
ゆっくりゆっくり。
じんわりじんわり。
ここで手を抜かないから、シャンプーをかけたあとの爽快感が生まれるんだと思う。
酷暑なので、ひんやりとしたミントシャンプーが塗布(とふ)される。
サナさんによれば「秘伝のミントシャンプー」らしい。
詳しいことはわかんないけど、秘伝というからには独自の調合がなされているんだろう。
しゃかしゃかしゃか、と小気味よい洗髪の音。
特筆すべきはサナさんの力強さだ。
華奢な体型からはまったく想像できない。豪腕。
痛くなる寸前の、絶妙なゴシゴシ感で、うっとりするぐらい気持ちいい!
『アリア』に来てよかった、と思える最高の瞬間。
これで髪がキレイにならないわけがない。
ボリュームが多いゆえ、じっくりとしゃかしゃかしてもらえる…。
永遠に髪を洗われていたい、
そんな気持ちよさ。
すすいだあとの、スーーーーーーーーーーッとする爽快感、
最高の中の最高。
× × ×
カットの最中、恒例の野球トークになる。
「広島負けちゃってましたね」
サナさんは遠距離恋愛中の彼氏さんともどもカープファンである。
「うん、肝心なところで、粘りきれなかったね」
「でも、立ち上がりも――いきなりサンズに3ラン打たれてるんだもの」
「サンズがいけないのよ」
サナさん――阪神タイガースには、人一倍対抗心を燃やしている。
まあ、気持ちは分かる。
広島と阪神、これまでの経緯的に――ね。
もろもろと……。
「でもよくマツダ(スタジアム)の試合のこと知ってるね、愛ちゃん。
愛ちゃんはDeNAファンでしょ?」
「…わたしはセ・リーグ全体を応援していますので」
「あ、わかった」
「?」
「DeNAも負けちゃったから、あんまり語りたくないのね。
わかるよ――贔屓(ひいき)の負けに、触れたくない気持ち。
愛ちゃんも案外、デリケートなんだ」
「…いま、サナさんの贔屓の負けに、わたし思いっきり触れちゃったんですが」
「わたしはあなたよりお姉さんだから」
「え……?」
「強いのよ、オトナは」
――笑いを絶やさないサナさん。
カープファンの、オトナのお姉さんは、ちょっとばかし手ごわいようだ。