いつも通り早朝に起きて、朝ごはんの支度をしようとする。
そしたら、ダイニングの入り口に麻井さんが姿を現した。
どうしたんだろう。
こんな時間に。
何も言わず麻井さんは立ちんぼ状態。
とりあえず、
「トイレならあっちだよ」
しかし彼女は、
「違うから」と否定して、
「牛乳が…飲みたくて」
なるほどそういうことか。
「『なにか飲みたくなったら、冷蔵庫にある飲み物好きに飲んでいい』って言われたから……飲もう、と思って」
わかったわかった。
「――どの牛乳がいい?」
「どの牛乳、って――」
わたしは苦笑しつつ、
「いろんな銘柄のがあって」
冷蔵庫を開け、
「これなんかどうかな」
すると麻井さんは眼を見開いて、
「アンタそれ……『白バラ牛乳』じゃない。
白バラ牛乳って、山陰地方のメーカーのやつだよ!?
どうして白バラ牛乳が冷蔵庫にあるの……」
詳しい。
「詳しいね」
「…それ、飲む」
「白バラ牛乳?」
「白バラ牛乳」
× × ×
お湯が沸いたので、
「わたしコーヒー飲むけど麻井さんはどうする?」
「ん――」
「ごめん、気が進まなかったかしら」
「ううん、アタシも飲むよ」
いつものようにわたし専用のマグカップで、何も足さない黒々としたモーニングコーヒーを飲む。
気持ちがシャッキリ。
砂糖やミルクを入れる代わりに、麻井さんは白バラ牛乳をコーヒーにどばどばと注ぎ入れて、飲み始めた。
そしてポツリ、と口を開く。
「アンタさ」
「?」
「弟がいるって、どんな感じよ」
「――かわいくて、しょうがない」
「羽田が?」
「利比古が。――抱きしめたいぐらい、かわいい」
「仲――いいんだね」
「当然よ」
にわかに麻井さんの顔が曇ってきた。
マズイかな? と思いつつも、訊いてみたくなって、
「あなたには、きょうだいはいないの?」
「…兄がいる」
「ふたりきょうだい?」
「うん…」
「じゃあ、うちのアツマくんとあすかちゃんのきょうだいとおんなじだね」
麻井さんの曇り顔に、さみしさの感情が加わったような気がしたので、
「……この話題、マズかったかな」
彼女はかぶりを振って、
「仲がいいみたいね――あのきょうだい」
「ケンカが絶えないけどねえ」
「アタシと兄は――もう何年も、ケンカすらしてない」
び、微妙な空気になっちゃいそうだ。
しかし麻井さんは話し続ける。
「兄が国立の受験に3回失敗してさ」
「国立――国立大学?」
「そ。そんでもって、兄のメンタルが、こう――なんだかおかしくなっちゃって。人格がまるっきり変わっちゃったみたいに。部屋に引きこもりになって、親の前で暴れたりして――」
マグカップを持っているわたしの右手が固まった。
「むかしは、そんなんじゃなかったんだけどな。
アタシ、お兄さんが好きで、ほとんど『お兄さん子』みたいな感じだったのに。
たとえば――そうだな。
小さいとき、ごはん食べてて、アタシがお兄さんのお皿の唐揚げを欲しがっていたら、黙って唐揚げを分けてくれるような……優しいお兄さんだった。
妹想いの。
小学生のころは、あちこちに旅行で出かけて――よかった、あの頃は。
時間を巻き戻したいなんて、思わないけど」
哀しそうに笑う彼女。
「麻井さん……。
つらかったんだね……」
「なーにアンタが感じ入ったような顔つきになってんのよっ!」
わたしのマグカップを見て、
「飲みなよ、ブラックコーヒー」
「そだね…」
「たしかに、つらいよ? つらいけど――こうやって話してると、少しラクになったかも。自分語り、ゴメンね」
「ううん、全然いいんだよ、麻井さん。それに――ここに麻井さんが来てなかったら、話す機会もなかったかもしれないじゃない」
「……アタシ……他人に、関わりたいと思って、頼り切ってばっかり。寄りかかってばっかり。…依存だね。はっきし言って」
「わたしは依存じゃないと思うよ。」
ちょっとだけ、麻井さんは戸惑い顔。
「白バラ牛乳……おかわりする?」
× × ×
だんだん、夏の気温も上がってくる。
まだだれも起きてこないけれど。
「…ねえ、愛さん」
ぽしょっ、と麻井さんがつぶやく。
「なになに?」
「愛さんは――どこの大学受けるの?」
進路の話題か。
おたがい高3の夏だし、気になるよねぇ。
「やっぱ――東大、とか?」
覚悟してたけど、やっぱり言われるか~。
――、
自分の本心は、包み隠さず伝えないとな。
「わたし、東大も京大も受けないよ、たぶん」
「え、え、羽田に言わせると、アンタあんな名門でも成績優秀だって――」
「あんまり――関係ないんじゃないかな」
麻井さんがテンパり始める。
でも、
「偏差値がすべてじゃないでしょ?」
「そ、損だよ。できるだけ上を目指したほうがいいと思うよ、アンタみたいな子は」
「麻井さんの言うことも、もっとも。
理解してる、それは。
でもね――、
もう決めちゃったんだ、わたし」
そう。
グズグズしている時期は、終わりを告げたから。
わたしは考えて、自分で進む道を確定させた。
「麻井さん。
わたし――ファッションと大学だけは、ブランド志向じゃないの。」
あっけにとられる彼女。
やりたいこと。
それを、実現できる場所。
自分で考えて、考えて、ようやく見つけた。
迷わない。
「迷わないよ、わたし。
こういう決意表明するのは――あなたが初めてかも、麻井さん」
そう言って、
できるだけ優しく、
彼女に笑いかけてみる。