家の雰囲気が悪くて、月曜から調子が出ない。
「麻井会長。」
羽田がこっち来た。
やだ。
さとられたくない。
「会長。」
おそるおそる、アタシは羽田の顔を見る。
「どうしたんですか? きょうの『ランチタイムメガミックス(仮)』」
アタシは少し眼をそらして、
「どうってこと――ないでしょ」
「いいえありました」
羽田の否定を否定する気力が出ない。
「テンションがものすごーく低かったですよ」
「そうそう。会長の声が消えてしまわないかどうか心配なくらいでしたよ」と、なぎさも羽田に乗ってくる。
「言い過ぎかもしれませんけど――放送事故っぽかったです」クロはさらにキツい一撃をお見舞いしてくる。
「放送事故はひどいよぉ、黒柳くん」となぎさ。
「やっぱり?」肩を落とすクロ。
「でもね、会長」
いきなりなぎさが神妙な面持ちでアタシをじーっと見据える。
このなかで、いちばん敏感にアタシの「異変」を感じ取れるのは――たぶんなぎさだ。
「わたしたち3人とも、会長のことが気がかりなんですからね」
いやだ。
追及してこないで、なぎさ。
どこまで知ってるの、どこまで!
「――落ち込んでるんですか?」
違うよなぎさ、落ち込みとは、ちょっと違うから。
「あんまりうつむいてばっかりいると、元気が逃げちゃいますよ」
たぶん今なぎさは、『しょうがないなあ』という顔をしてる。
3人のほうを見たくなくて――視線は泳ぎっぱなし。
焦点が、定まらない。
「もしかして…ストレスがたまってるんですか?」
そう言ったのは羽田だった。
自然と、「どうしてわかるの……」という呻(うめ)きにも似たつぶやきが、アタシの口から漏れ出した。
おもむろに、羽田の顔を見上げる。
再度、「どうしてわかるの、羽田」と、声が出る。
羽田は不思議そうな表情になり、
「なんだか……姉と接してるみたいです」
えっ、どういうこと。
急に姉を持ち出すな、羽田。
しかし羽田は話し続ける。
「姉は――『どうしてわかるの……』が口癖なので」
え。
なにそれ。
「なにその口癖。おかしい」
ひとりでに、笑い声になっていたみたいだ。
「いきなり笑い出さなくてもいいじゃあないですか」羽田は不満そうに首をかしげる。
羽田にストレスをさとられたショックの反動だろうか。
アタシは笑い始めていた。
× × ×
「そろそろ下校時刻ですね」
ミキサーのそばでアタシを見守りつつ読書していたなぎさが言った。
「ひとりで帰れますか? 会長」
なぎさのそういうお節介なところ、アタシは嫌いじゃないけど、
「……帰りたくないかも」
「ど、どういうことですか!?」
「どうもこうもないじゃん。アタシ……ここから動きたくないのかもしれない。ずっとこの部屋に、とどまっていたいのかもしれない」
「よくないですよ、帰りたくなくても帰らなきゃ……。ね? 会長」
なぎさの言う通りだ。
「帰らないと、親御さんが心配しますよ?」
なにもかも、なぎさの言う通りなんだ。
そうだ――アタシ、じぶんの家に、帰らなきゃ。
「そうだね。アタシ帰らなきゃ」
そう言いつつも、いつになく重い腰が、上がらない。
「あれ、どうしたんだろ。ヘンだな。帰らなきゃなのに、からだが帰りたがってないみたいに…」
メチャクチャなことを言ってるのは、自覚してる。
「――帰らなきゃって思うほど、帰りたくなくなってきちゃった」
いつでも、本能は、ウソをつかないんだろう。
アタシ、じぶんの家に帰るのが、こわいんだ。
でも――なんとかして、帰らなきゃいけない。
というよりも、帰る以外の選択肢が、親に食べさせてもらっているアタシには、存在しない。
「もっとしっかりしろ。現実と向き合え、アタシ」
じぶんに言い聞かせたことばが、口に出ていた。
「きょうは、解散」
× × ×
心配そうにアタシを一瞥(いちべつ)しながら、クロと羽田が退室した。
なぎさは居残っている。
「アンタも帰ったら?」
座りながら、文庫本に左手を置いて、意味深な表情でアタシを眺めやるなぎさ。
「会長はすごいと思います」
「いきなりなんなの……」
「じぶんに厳しくって」
「……そうかもね」
「でも、じぶんに厳しすぎて、今は強がってる」
否定、できない。
否定のしようがない。
強がってる、強がってて、最近は空回りばっかり。
「会長、もうちょっと、ここに居たいですか?」
「……居たい。感情の整理をつけたい」
「じゃ、お伴(とも)するとしますか」
「なぎさは帰ってもいいんだよ」
「『イヤだ』って言ったらどうしますか?」
ことばを返せない。
「会長の気が済むまで、残ってあげますから」
…お節介。
「きょうは途中まで一緒に帰ってあげますから」
悔しい。
悔しい、から、アタシはなぎさに、頼った。
悔しくて、それでもだれかに頼って、それでまた悔しくなって。
やがて、アタシはなぎさに頼ったことを悔いるだろう。
後悔が、負のスパイラルを描いていく。
悔しい思いの繰り返しから、抜け出したくて。
けれど、抜け出す術(すべ)も全然わからなくって。
そうやってくすぶっているうちに、一学期も終わってしまう。
夏休み、もう、すぐそこ。
『どうしていいかわかんないよ、なぎさ』という弱音を口に出せず、呑み込んでしまう。
そうやって、弱音を吐けなかったじぶんを、恨んで。
恨んで、悔やんで、恨んで、悔やんで、そんな、出口のない日常。
おかしくなっちゃいそうだ。
いっそのこと――、
家出しちゃおっかな。