甲斐田しぐれ、桐原高校3年女子、放送部部長。
好きな少年漫画は、『スラムダンク』。
…えっ?
「産まれる前の漫画だよね」って、誰か言いましたか??
…それがどうかしましたか。
× × ×
例によって放課後。
部活に行こうかな~と思い、放送室のある方角に廊下を歩いていく。
そしたら、麻井律が、階段に腰掛けて、なにか読んでいる。
私は麻井をスルーした。
声をかける用事もなかったし、そもそも私、麻井と仲良しの反対状態だから。
それに、
なんだか、ただならぬ雰囲気だった――麻井。
地球上の誰が何度声をかけても、反応してくれないだろう――そんなぐらい、さっきの麻井は殺伐として、本と睨(にら)めっこしていた。
麻井が、なんの本を読んでいたか?
たぶん、単語集だ。
難関大学受験生がよく使うような単語集だ。
単語集と一心不乱に睨(にら)めっこして。
険しい眼つきで。
――やっぱり余裕がないんだ、麻井。
× × ×
麻井のことは麻井で自己解決するのがいいと思って、基本放っておくんだけど、
無理してないよね……麻井?
無理してるんじゃないの?
ひょっとすると、ひょっとしなくても。
余裕がないどころじゃなくなってる気がするよ。
階段でスルーしないほうが正解だったかもしれない。
でもたぶん、麻井はあのあと旧校舎のKHKに向かっていったんだろう。
そのはず。
麻井がKHKをほっぽりだすわけないもん。
でも……ひょっとすると、きょうはKHKに行かずに、帰宅部みたいに、自宅に直行したのかもしれない……。
いや、麻井に限って!
しかも、
麻井にとって、自分の家は……必ずしも居心地がいい場所じゃない……。
麻井に言えない言葉、言ってはいけない言葉がある。
『お兄さんは現在(いま)、どうしてるの?』
× × ×
こんがらかった思いを抱えたまま帰宅した。
「しぐちゃ~~ん、おかえり~~」
お母さんが優しく出迎えてくれる。
私のお母さんは、いつも優しいのだ。
もう子どもじゃないのに、私。
――でも、去年私が夏風邪をひいたときとか、つきっきりで看病してくれたな。
もう子どもじゃないんだけどな。
だけど、本心では、うれしかった。
「はい、ただいま。」
靴を脱ぎながら、全身で娘への愛情を表現してるみたいなお母さんに「ただいま」を言う。
「おフロわいてるよ♫」
「わかった、じゃあ入る」
× × ×
で、湯船につかる。
こんがらかった麻井への個人的感情が、少しだけほぐれるような気がする。
少しだけ、ね。
なんだか、根本的なことを先送りにしている気がしてならない。
お湯でからだの汗は流せても、こころの汗までは流せない。
気が紛れるかと思って、好きな歌のメロディーをハミングしていると、
『素敵な歌声ですね』
え……誰の声!?
『天の声です。天井から聞こえてくるでしょう?』
「どちらさま………ですか!?」
『ですから天の声です』
「こたえになってない」
『テレビ番組のナレーションみたいなものです。貴女放送部部長だからナレーションには詳しいでしょう?』
「詳しい詳しくないの問題じゃないです。というか、どうして私のことそんなに知ってるの…」
『天の声だからです』
気が動転する私を置き去りにして、
『お知らせがしたかったのです。
本シリーズも、どうやら今回で通算500回を迎えたみたいなのですよ。
読者の皆様、いつもご愛顧いただいてありがとうございます。
やっと折り返し地点ですか。
500回。
これがまだ折り返しではないのかもしれませんが――、
キリ番なので、どうしてもこの場を借りて報告したかったのです。』
私はムカついて、
「この場を借りて、って、わざわざ女子高生の入浴シーンにしゃしゃり出てこなくてもいいじゃないですか!!」
『ちなみに本シリーズ・【愛の◯◯】の過去ログはブログタイトル下のリンクから辿(たど)ることができます』
「……聞いてますか!?」
× × ×
あーーーーーーーーーーーっ。
ひどい目に遭った……。
悪い夢を見てたみたい。
おかげで、麻井関連のモヤモヤがどっかに吹っ飛んでしまった。
× × ×
で、夕食後。
「ごちそうさまでした」
「はい、お粗末様♫」
「お母さん、私部屋で勉強するから」
そう言って、食器を自分で洗おうとしたが、
「置いておくだけでいいのに~~♪」
「そ、そう」
「じゃあ2階あがるね」
「しぐちゃん、根を詰めすぎないのよ♬」
「わかってるって。しょうがないなー」
しかしお父さんが、
「たまには父さんとテレビでも観ないか? しぐれ」
「ありがとうお父さん、でも中間テストあるし、模試も近いから」
そう言って私は階段に行こうとしたけれど、
お父さんはお父さんで、穏やかな口調で、
「――結果がすべてじゃないぞ、しぐれ」
「もー、お父さん、いつもそれ。」
苦笑いしながらも私は、
「でも、ありがとう。心に留(と)めておくよ、お父さん」
喜ぶお父さんに、振り向いて、こう約束する。
「――9時まで待ってて。
9時になったら、階下(した)に来るから」