早稲田の創造理工学部の入試まで、1週間を切った。
建築学科は、2日間にわたって試験があるから、たいへんだ。
体調を崩さないようにしないとね、キョウくん。
きょうはキョウくんの家に出向いて、試験勉強の追い込みをサポートする。
明日が祝日だから、泊まらせていただくことになった。
ありがたい。
わたしの家庭教師も、ラストスパートだ。
「ーーでもちょっとさみしいかも」
「え!? なにがさみしいの、むつみちゃん」
「(あわてて)ひとりごと、ひとりごと。
…えーとね。
ほらもし、キョウくんが受験に合格しちゃったら、もう家庭教師は終わり、なわけじゃない」
「おれに2浪してほしい?w」
「そっそういうことをいってるわけじゃなくってね」
「……また、だれかの家庭教師になればいいじゃないか」
たしかに。
来年度は羽田さんの家庭教師になろうかしら。
あの子、とうとう来年が大学受験。
あの子ならなんでも自分でなんとかしちゃう気がするけど。
でも、成績が少しだけ悪化してるみたいで、そこはちょっとだけ心配。
ならば、こんどはわたしのほうが、あの子の支えになる番なのか。
だけど。
そうだとしても。
「わたし、家庭教師じゃなくって、なにか新しいことがやってみたいかもしれない。」
「へぇ。具体的には?」
「それはね…」
「……」
「……」
「………」
「………キョウくんが、無事に早稲田に受かってから決めるの。」
× × ×
「もう5時よ」
「ほんとだ」
「(ノートを閉じて)このくらいにしておきましょう。朝からずっと勉強してるでしょう」
「夜はやらなくていいの?」
「日曜日が本番でしょ。入れ込みすぎないの。でないと本番でイレコミすぎて、ちからを出せないよ」
「本番でイレコミすぎるって、どゆこと?」
「(・_・;)ご、ごめんたとえが悪かった」
「?」
「( _・;)こっちの話。忘れて」
「あー」
「Σ( _・;)」
「あんまり今からハッスルしてると、本番でテンパって、落ち着きのない競走馬みたいになるってことか」
「どうしてわかったの、わたしの言ってること……?!
というか、競馬の話、キョウくんにしたことないよね!?!?」
「むつみちゃんw」
「なんで、どうして、」
「むつみちゃんがテンパってるねww」
「 」
「と…とにかく、リラックスするのよ。
夜は勉強よりも自分の好きなことを…ほら、『鉄道ファン』(雑誌)の写真を眺めるとか。
そういう、好きなことして、くつろぐの。
わかった?」
「はい、むつみ先生」
「(少しずつ顔が熱くなるのを感じて)わかれば……よろしい。」
× × ×
・夜
『むつみちゃん、お茶飲むー?』
キョウくんのお母さんの鈴子(すずこ)さんが、
温かいほうじ茶を淹(い)れてくれた。
「おつかれさまむつみちゃん」
「はい、つかれました」
「(笑顏で)正直でいい子ね、むつみちゃんは」
「ははは……w」
「日曜かぁー。もう本番はすぐそこ、なんだよね。
あの子ちゃんと早稲田までたどり着けるかしら」
「試験場を間違えないようにしないといけないですね。早稲田といっても、試験会場になるキャンパスは分かれてますから」
「あらら」
「大丈夫ですよ、わたしが都心の地理には詳しいですから」
「頼もしいわ~~」
「(ほうじ茶を静かに飲んで、)
…むつみちゃん。」
「なんですか、鈴子さん」
「『鈴子さん』じゃなくって、『おかあさん』って呼んでもいいのよw」
「(ゴクン)」
「ーー、
母として、たったひとつのお願い。
これからも、ずっとキョウのそばにいてあげて」
「ーーーーーーおかあさんーーーーーー」
「(微笑んで)いいでしょ、?w」
「おかあさん、でもわたし、そういう、そんざい、に、ふさわしいかどうかっ、」
「ふさわしい・ふさわしくないの問題じゃないの!w」
「いいえ、問題です…!
だから!!
お、おしえてください、
キョウくんのこと、
もっと。
それからっ、
もうひとつ、おしえてください、
キョウくんとーー、
ずっとそばにいられる、
ーー寄り添いかたを。
おしえてください、おかあさん」
× × ×
@寝室
なんで鈴子さん、あんなことを急に言ったんだろう。
ーーうれしかった、
うれしくないわけなかったんだけど、
意識しちゃう。
ベッドの中で、
キョウくんのことも、意識しちゃうし、
鈴子さんの『お願い』 のことも、意識しちゃうし、
キョウくんのことと、鈴子さんのことが、ごちゃまぜになってーー
ふと、起き上がる。
窓から、暗いけれど、かすかに海の様子が見える。
ーーあの海は、いま、どのくらい、波立ってるんだろう。
ふたたびわたしは、ベッドにもぐり込むようにして、横になった。
・・・・・・
波に揺られるような、夢を観た。
耳鳴りのような海のざわめきに包まれるようにして、心地よいまどろみのなかに、長い時間たゆたっていた。
…カーテンに、朝の光がさし込んできていて、掛け布団がやわらかにあたたかかった。
窓から、あかるい海の光が見えた。