【愛の◯◯】弾き続けて、満たされて、満たして。

 

アカちゃんが、ムカムカしながら、アカちゃんパパに対する愚痴を言っている。

アカちゃんパパが、『宇宙刑事シャイダー』という特撮ヒーロー番組のブルーレイを夜通し観ていたらしい。現在(いま)アカちゃんとわたしの居るリビングの大画面液晶テレビで、1人だけの『上映会』を行っていたらしい。『シャイダー』の放映40周年記念だから……というのがアカちゃんパパの言い分(ぶん)だった。

「夜11時台にわたしがこのリビングを通りがかったら、『おまえも呑(の)みながら一緒に観ないかぁ?』って、間の抜けた声で言ってきたのよ。経営者にあるまじき言動だと思わない!?」

「アカちゃんアカちゃん。前のめり、前のめり」

やや恥ずかしげに背筋を伸ばして、

「何が放映40周年よ、って感じだわ。どうしてあんなにオタクなのかしら。この前も、東京臨海部で催された某お買い物イベントに、『お忍び』で『参戦』していた疑いが……」

「疑惑のレベルに過ぎないのね」と、苦笑いしながらわたし。

「疑惑が出る時点で問題なのよ」と、苛立ちながらアカちゃん。

わたしの眼前(がんぜん)にコーヒーが置いてある。アカちゃん邸に来てから2杯目のホットでブラックなコーヒーである。わたしは、コーヒーカップにそっと両手を伸ばし、持ち上げて静かにコーヒーを口に含み、味わいつつ飲んでそれから、

「わたしは、アカちゃんパパのお気持ち、ちょっとだけ分かっちゃうかも」

驚愕して、

「分かる余地が……存在してるの!? 愛ちゃんには」

と青ざめた声で言うアカちゃん。

コーヒーカップを持ったまま、わたしは、

「たぶん、『漫研ときどきソフトボールの会』ってサークルにわたしが所属してるからだと思う。単に所属してるだけじゃなくて、幹事長だし。サークルも4年目で、現代視覚文化的な色にだいぶ染まってきちゃってるのよね」

「げんだい……しかく……ぶんか……??」

「『宇宙刑事シャイダー』だって、現代視覚文化の1つよ」

困惑するアカちゃん。

申し訳無くて、

「ごめんごめん、変わった言い回しになっちゃって」

と謝るも、

「だけどね。アカちゃん、あなたにしたって、就職先が玩具(おもちゃ)メーカーなんだから、現代の視覚の文化的な分野と密接に関わるワケでしょう?」

アカちゃんの顔が痛い所を突かれた美人の顔になった。

「少しだけなら、パパさんの『こだわり』も理解してあげても良いんじゃない? テレビシリーズ1話分ぐらいなら、呑みながら一緒に観てあげても良いじゃないのよ。そうやって少しだけ寄り添ってみるの。それも親孝行の1つよ」

美人な大親友が顔を赤くした。アルコールとか注入されてないのにね。もっとも、彼女、アルコールが入ったって、劇的に強いから、結局は全然赤くならないんだけど。

 

× × ×

 

25分ぐらいかけて、アカちゃんは平静を取り戻した。25分。特撮ヒーロー番組が1話分視聴できる時間だ。

「……あまり、メタルヒーローシリーズ愛好者の父の話題を引っ張りたくないから」

社長令嬢は柔らかく静かにソファから腰を浮かせ、

「場所移動をしてみたいんだけれど」

「どこにー?」

「お隣の、ピアノがあるお部屋に……」

応接間も兼ねた、ピアノが鎮座しているお部屋の方角を向きつつ、

「愛ちゃん」

と、わたしの名前を呼んだかと思うと、

「ピアノが、弾きたくならない?」

と問うてくるではありませんか。

「アツマさんとマンション暮らしだから、楽器はなかなか演奏できない。マンションの近くにストリートピアノが存在してるらしいけれど、あなたにはチヤホヤされたくない想いがあるから、多くの聴衆を前にしての演奏は躊躇(ためら)う。となれば、ピアノを存分に弾ける機会は――」

「アツマくんの実家のお邸(やしき)か、このお邸(やしき)に来た時ぐらい」

「――そういうコト。あなたはせっかく、国際的なピアニストも震え上がらせるぐらいの技量を持っているんだから」

「アカちゃん、誇張し過ぎ、誇張し過ぎ」

ツッコミを入れたわたしに視線を寄せつつ、

「あるでしょう? 『弾きたい』という気持ちは」

「あるわよ。」

わたしからの答えに安堵し、ソフトな笑顔になる大親友の女の子。

「だったら、場所移動しましょうよ」

「そうね」

ロングスカートに両手を当てつつ、わたしも立ち上がる。

 

× × ×

 

70分間ぐらいぶっ通しで弾いちゃった。

リスナーはアカちゃん独り。わたしが気になってしまったのは、終わりの3分の1ぐらいは、ずーっとジョン・コルトレーンを演奏してしまっていたコト。コルトレーンが何故マズいかと言うと、

「……弾き始めてから思い出しちゃったんだけど、アカちゃんって、コルトレーンが苦手じゃなかったっけ。ごめんね、なんだかわたしのピアノ、身勝手過ぎて」

振り返って背後の彼女に謝った。機嫌を損ねた様子ゼロの彼女は、おしとやかに首を横に振って、

「身勝手だなんてあり得ないわよ。苦手だからといって、コルトレーンのアンチを標榜してるワケでも無いし」

苦手なのは認めちゃうかー。

ずっと音楽好きでいると、ジャズにおけるコルトレーンのような巨大な存在に価値を認めない嗜好にも出くわすものだ。極端な例かもしれないけど、ビートルズなんて大嫌い! とかね。ちなみに、わたしの彼氏すなわちアツマくんは、『マイルス・デイヴィスはいつ聴いてもなんじゃらほい、だ』という発言を最近していた。もっとも、彼のマイルス無理解は、「馬の耳に念仏」の如き諺(ことわざ)にそっくりそのまま言い換えられそうだけど。

彼氏のジャズに対する理解の稚(おさな)さはどーでも良いとして、

「あなたを疲れさせちゃったかもしれないわね。当初は、こんなに長く弾き続けるつもりなんて無かったのに。8月になってから1回もピアノに触れてなかったし。ほぼ自己満足で、70分間も弾き続けちゃった」

カラダごとアカちゃんの方に向き、弁解、したのであるが、

「何を言うのよ愛ちゃん。愛ちゃんの奏でる音色を聴いて疲れちゃうヒトなんか、居るワケも無いでしょう? わたしはひたすらに幸せだったのよ? 時間なんて忘れてたんだから」

と、心からのハッピースマイルでアカちゃんは言って、

「自己満足だなんて言わないでよ。わたしのココロも満たされたわ。あなたに謝られるよりも、あなたに感謝がしたい」

と。

アカちゃん……!

双方、何も語らずに、見つめ合いになっていく。

感謝されたのがココロから嬉しい。「満たされた」とアカちゃんは言ってくれた。そのひとことで、胸がとっても温かくなった。感謝されたから、今度はわたしから感謝する番。だけど、なんだか上手にコトバを引き出せない。感謝してくれた大親友が眩しくて、美人度も50%増に見える。わたしの栗色の髪とは違う黒髪のロングストレートがキラキラ輝いているし。綺麗な目元に優しさみたいなモノが感じられて、女子同士なのにドキドキしたキモチにもなっちゃうし。

……やっとのコトで、

「わたしからも、ありがとうって言わなきゃね。わたしの演奏を受け容れてくれて、ほんとうにありがとう、アカちゃん」

「どういたしまして。愛ちゃん」

「……あのね? ピアノとは、全く関係がないんだけどね」

「なにかしら」

「当たり前、なんだけども。今日も、アカちゃんの黒髪ロングストレートが……すっごく、整ってるな〜、って」

「えっ」

「わたしみたいに不器用じゃないから、わたしみたいに寝グセを放置したままヒトと会うコトなんて、全く無いのよね」

ほんのちょっとだけ戸惑って、ほんのちょっとだけ考えてから、アホ毛なんか発生させたコトの無い黒髪ロングストレートの大親友は、

「愛ちゃん、あなたの栗色の超ロングヘアだって、わたしの黒髪と同じぐらい魅力的じゃないの。張り合うつもりは毛頭無いけれどね。アホ毛、ですっけ? そういうのも、チャームポイントなんだから」

チャームポイントだと指摘してくれたのが嬉しかった。すごく嬉しかった。

彼女は、眼を穏やかに細くして、

「あなたの鮮やかな栗色の髪を見た瞬間に、ドキッとしちゃう時もあるの。もちろん、良い意味でドキッとしちゃうのよ? 眼を奪われるの。さながら、ココロまでも奪われて、栗色の髪に恋しちゃうかのように……。女の子同士なんだけれど。わたしは、あなたの髪が、羨ましい以上に、大好きだわ」

と、大絶賛してくれる。

こういう瞬間が、アカちゃんとトモダチで良かった、とココロの底から思える瞬間。