【愛の◯◯】わたしはニーチェを、彼はサルトルを

 

アツマくんが仕事場から帰ってきて、ダイニング・キッチンまで来たので、

「今日の晩ごはんはトンカツよ、アツマくん」

と言ってあげる。

「お、いいな」

「いいでしょ」

キッチンからアツマくんのところまでペタペタと歩いていき、

「楽しみにしててね」

とココロを込めて言う。

愛情表現だ。

わたしの愛情表現、上手く伝わったかしら。

伝わってるわよね。

アツマくんの顔、仄(ほの)かに照れ顔になってるもの。

エプロン姿のわたしはさらに彼に近付く。

彼を見上げ、ジンワリと微笑みの視線を注いでいく。

 

× × ×

 

トンカツを盛り付けたお皿がダイニングテーブルに2つ。

向かい合って着席。

「美味しそうでしょ」

とわたしがアツマくんに言う。

「美味そうだ。おまえのトンカツを揚げるスキルを考えれば当然だが」

「なんだかキラキラしてると思わない?」

「トンカツのコトか?」

「そーよ」

「確かにな。黄金色(こがねいろ)というか、キラキラ輝いてるみたいで」

「さらに輝きが増す方法があるの」

「方法?」

「岩塩(がんえん)で食べるのよ」

「あ、よく見ると、皿の端っこの方に岩塩らしきモノが」

「なかなか無いでしょ、塩でトンカツを食べる機会なんて」

「天ぷらだったら塩はポピュラーなんだけどな」

「天ぷらから発想を得たとも言えるわね」

「岩塩はおまえのオリジナルなんか?」

「そんなワケ無いでしょ」

「そーなんか」

「ソースをかけるよりも味は淡白かもしれないけど、オトナっぽい味わいを楽しめると思うわ」

「じゃあ、早く食っちまおうぜ」

「待ちなさいよ」

「へ?」

「『いただきます』をするのよ。あなたは立派なオトナでしょう?」

 

× × ×

 

アツマくんは、岩塩で食べたトンカツをベタ褒めしたあとで、

「食う前に、おまえが『あなたは立派なオトナ』と言ったが……。おれも来年の1月には、24歳になっちまうワケで。どれだけオトナとして成熟していけるかどうか」

彼と向かい合ったまま、例によって食後のブラックでホットなコーヒーを飲んでいるわたしは、

「あなたは成熟期だってコトね」

「セイジュクキ? なんだそりゃ」

あれ。

わかんないの、アツマくん。

デジモンよ」

デジモン? あのデジモンか?」

「そ。ポケモンとたまごっちのあとを追うように発売されたけど、『デジモンアドベンチャー』が放映されてた時はポケモンを凌ぐ勢いもあって……」

「まーた、おれたちが産まれる前の話を」

彼に構わず、

デジモンの『成長期』の次の段階が『成熟期』なのよ」

「たとえば?」

「成長期のアグモンが進化すると成熟期のグレイモンになるの」

「アニメだと進化したあとで元に戻るんじゃなかったか?」

「意外! あなた、『産まれる前の話』だとか言っていながら、アニメの設定ちゃんと知ってるのね」

「アレだろ、第21話を細田守が作って話題になったんだろ」

「あなたってそんなにオタクだったの」

「たまたま知ってただけだが」

わたしは、意図的に邪(よこしま)な眼つきを作り、

「『デジモンアドベンチャー』は細田守だけの作品じゃないのよ?」

「なんでおまえ、産まれる前のアニメをそんな熟知してるような感じなんだ」

「アツマくん!! ところでところで」

「ど、どうした」

「時計を見て。『読書タイム』の時刻が迫ってるわ」

「ホントだ」

デジモンもいいけど、読書もね」

「なんやねんその言い回し」

どうしていきなり関西弁繰り出すのかしらね。

 

× × ×

 

リビングに移動。

わたしは本棚から迷いなく、フリードリヒ・ニーチェの『善悪の彼岸』を抜き出す。

右隣に立ったアツマくんが、

ニーチェか。さすが哲学専攻」

「あなたも読んでみたら? 『ツァラトゥストラ』とか」

「『ツァラトゥストラ』なんか読み始めたら、季節が秋になっちまうよ」

上手い比喩を使えているんだけど、

「そういう消極性は良くないわね。もっと成熟期のデジモンらしくするべきだわ」

デジモン引っ張るのかよ。おれをデジモン扱いしやがって」

「アツマくんはグレイモンっぽい」

「グレイモンと言われても分からん。イメージできん」

「思考放棄〜」

「なーにが思考放棄じゃっ!! 今夜のおまえも相変わらずメチャクチャだよな」

クスクスと笑いつつわたしは、

ニーチェがダメなのなら、サルトルに挑戦してみたら?」

サルトル?」

「そーよ。ジャン=ポール・サルトル

「哲学者つながりでか」

サルトルは哲学だけじゃないんだけどね」

「小説とかか。『嘔吐』だっけか」

「文学部出てるだけあるわね、あなたも」

「ホメてんの?」

「ホメてるのよ」

彼の顔に顔を寄せて、

「こうやってホメてあげると、あなたのことがもっともっと好きになっていくわ」

「ななななっ」

「ねえ。『スキ』っていうコトバを後ろから読んだら……どうなるっけ?」

「こ、これ以上恥ずかしくなりようも無いセリフを、言っちゃいかん!!」

慌てて本棚から、サルトルの『実存主義とは何か』を抜き出した。

そんなアツマくんだった。

わたしの勢いに今日も負けちゃってるわね……。