【愛の◯◯】ピアノを弾かせてもらったあとで◯◯

 

有給休暇を取り、葉山むつみちゃんのお家(うち)にやって来た。

ピアノの練習をさせてもらうのである。

お昼過ぎ。玄関で出迎えてくれた葉山ちゃんを見てあたしは、

「パジャマみたいな服着てるね」

言った途端に彼女は照れ始め、目線を徐々に下降させながら、

「『みたいな』というか……パジャマです」

「あ、起きてから着替えてないんだね?」

「すみません」

「謝る必要無いよ。そんな日だってあるよ」

「でもっ」

あたしよりほんの少しだけ背の高い葉山ちゃんの頭頂部に敢えて右手を置き、

「あたしに何かして欲しいコトある? ピアノ練習よりもそっち優先させるけど」

と言いながら軽くナデナデしてあげる。

「例えば、お部屋の掃除だとか」

「あのっ。実は、午前中に何時間もかけて、自分の部屋の床に散乱してた本や漫画を片付けてて」

なるへそ。

「それで、着替えるのまで手が回らなかったんだね」

「はい、そういうワケなんです」

葉山ちゃんの声は弱々(よわよわ)。

あたしは、彼女の頭頂部に右手をあて続け、

「頑張ったんじゃん。『よくできました』シールが何個あっても足りないぐらいだ」

「どういう喩(たと)えですか、それ」

彼女の顔が少しほころんだのをあたしは見逃さなかった。

「葉山ちゃんはあたしのピアノの先生なんだけどさ。それ以外のコトだと、あたしの方が先生で、葉山ちゃんは教え子みたい」

彼女は仄(ほの)かに笑い、

「教え子って、もしかして、小学生の教え子みたいに思ってるんじゃないですか?」

「ヒミツ」

「ずるいんだから、ルミナさんも」

彼女の目線がようやく上昇していく。

「葉山ちゃん、今日はなんか蒸し暑いじゃん? 早く自分の部屋に行ってクーラーかけて涼みなよ」

「ハイ。ルミナさんがピアノを練習してる間に、ちゃんとした服に着替えようと思います」

 

× × ×

 

ピアノのお部屋もクーラーが効いている。

平日の昼間にこういう環境でピアノ練習できるなんて贅沢だ。閑静な住宅街の中にある家だから、時間が緩く遅く流れているみたい。あたしにはそれが嬉しい。

さて、あたしはピアノの前の椅子に腰掛け、かばんから楽譜を取り出す。

BUMP OF CHICKENの楽曲の譜面である。

どの曲なのかは敢えて伏せる。どういうルートで譜面を手に入れたのかもオトナの事情で伏せておく。

あたしは1998年産まれだけど、あたしが産まれた数年後にはBUMP OF CHICKENはもうバリバリに活躍してたんだよね。「天体観測」は幼稚園に入ったのとほとんど同じ時期の曲。

そういえば、あたしの幼馴染の山田ギンは高校時代に、最初期のBUMPの音源を盛んに聴いていて、周りにも布教したりしていた。

クラスで隣の席になった時、あいつがいきなり話し掛けてきて、『おれはRADWINPSよりBUMP OF CHICKENなんだよ』とか若干気持ち悪いコトを言ってきたコトもあったっけ。

あの頃のあたしは、自分がピアノを弾き始めるなんて、思いもしなかったな。

高校時代だから、10年くらい前になるのか……。

「ずいぶんオバサンになっちゃったな、あたしも」

ピアノに語り掛け、苦笑い。

譜面をセットする。

 

× × ×

 

「少し前のBUMPの曲を弾いてたんですね」

「ありゃ、葉山ちゃんに聞こえちゃってたか」

「聞こえますよー」

「てれるなぁ」

「照れなくても」

「うん。ホントはそんなに照れてない」

「難易度が高くありませんでしたか?」

「高かった。だから、何回もミスった」

「ミスったのも聞こえちゃってたけど、それも含めてルミナさんらしい演奏で、とっても良かったと思います」

ホメられた!

「あんがと。葉山ちゃんにホメられたから、職場で子どもたちの前でエレクトーン弾くコトに何の不安も無くなったよ」

「スゴいですよね、ルミナさんは」

「なにがー?」

「児童文化センターの職員なんて、わたしだったら絶対に務まらない。そもそも、務まる務まらない以前の問題なんだけど……。わたし今、フリー過ぎるし」

葉山ちゃんの分の紅茶が冷めてしまいそうだ。

午後3時前の「おやつの時間」で、ダイニングテーブルで向かい合い、紅茶や柔らかいビスケットを飲んだり食べたりしている。

ティーカップに手をつけなくなった葉山ちゃんが自虐モードに入ってしまいそうな勢い。蟻地獄に入り込んでしまうのを回避させてあげたい。

「『フリー過ぎる』って言うけどさ」

穏やかに、なおかつ優しく、

「肩にチカラ入れて生きる必要も無いんだから、良いんじゃん。フリーなのを存分に味わい尽くした方が絶対に良いって」

「でも」

「それにしても、今の葉山ちゃんのコーディネートは良いよねえ〜」

「ルミナさん!? ど、どうして、話を、急に……」

「シャツとスカートが絶妙な塩梅だ」

右腕で頬杖を突きながら、

「まず、シャツだけど、淡い水色がとっても繊細かつオシャレ。胸元の星マークも良いアクセントになってる」

とベタにホメていく。

彼女は遠慮気味な話し方で、

「あの……今日の、コレは……『ろまんちっくうぉりあー』の『しょうぶふく』を参考にしたんです」

「ろまんちっくうぉりあー?? しょうぶふく??」

途切れてしまう彼女の説明。

あたしはテーブルに両肘をくっつけ、指を組み、

「もしや、お馬さんのコト? 『しょうぶふく』って、騎手の人が着る『勝負服』のコトでしょ」

彼女の顔が赤く染まり始める。

せっかくコーディネート同様にオシャレな顔なんだけどねえ。

でも、くすぐったいぐらい可愛くもあるから、これはこれで。

あたしは、

「次に、ロングスカート」

と、彼女のオシャレをホメるのを継続し、

「ベージュの色合いがとっても良いよ。シャツの水色と完璧に響き合ってる。薄いピンクとかでも良いと思うんだけど、やっぱベージュのスカートがベストだよねえ」

「そんなに、このロングスカート、良いですか? 割りと安物なんですけど……」

「かんけーないよ」

ベージュのロングスカートにじーっと眼を向けるあたし。

四捨五入すれば三十路のオバサンであるがゆえの邪(よこしま)なトコロが出てしまっているんだけど、それはそうと、

「葉山ちゃんの脚は元々キレイだけど、そのロングスカートのおかげで、キレイさが引き立てられてるよねえ」

「ま、まさかの、脚フェチ!?」

下を向いてぐぐっ、と両手でロングスカートを押さえる葉山ちゃん。

15歳の女の子のごとき慌てぶり。

たのしい……!