1年生部員の野島始(ノジマ ハジメ)くんがわたしに近付いてきた。
「これ、できたので見てください」
差し出されたのはプロ野球の打者成績と投手成績。
打者は打率順、投手は防御率順に成績がリストアップされているのは分かる……んだけど、
「『見てください』と言われても、細か過ぎて見方がよく分かんないな、正直」
「細か過ぎる!?」
何故か派手な声を上げるノジマくん。
何故に。
「野球記録は細かいから良いんじゃないですか!! 野球記録以上に魅力的な『数字』はこの世にありませんよ!?」
「ええぇ……」とわたしは思わずうろたえの声を漏らす。
興奮気味に眉間に指を持っていき、メガネの位置を調節するノジマくん。
「貝沢(かいざわ)センパイ」
「な、なあに」
「この際ですから逐一レクチャーしてあげます」
「逐一って……野球記録のコト?」
「まさに」
それからノジマくんに野球記録について長々と解説された。
30分以上が過ぎていった。
「……そっか、出塁率と長打率を足すとOPSになって、OPSの数字が大事なんだね」
「はい!!」
ノジマくんはやる気まんまんに、
「野球の統計は日々進歩していて、新しい記録の概念も生まれてきているのです。これから貝沢センパイにそれらを……」
と言いかけるも、
『おーいノジマぁ。野球記録トークで貝沢センパイを縛り付け過ぎじゃないのか』
という声に遮られる。
遮ったのは、やはり1年生部員の唯川竜雄(タダカワ タツオ)くん。
ノジマくんの背後にやって来る。
大きなカラダだ。
わたしたちの部長のなつきセンパイは女子としては長身で170センチを超えている。タダカワくんはさらに高く、1年生の男子にして既に170後半だと思われる。
そんなタダカワくんがノジマくんとわたしを見下ろし、
「貝沢センパイ、困ってるぞ」
とノジマくんに向かってたしなめる。
「彼女はぼくの話にノッてきてくれてるが? 問題は無い」とノジマくん。
「そりゃーノジマの錯覚だ。30分以上も野球記録について熱く語られたら、誰だってドン引きさ」とタダカワくん。
「彼女はドン引きなどしてない」と反発のノジマくんに、
「内心は気持ち悪がってるかもしれないだろ」とタダカワくんは。
「気持ち悪いなんて思ってないよ」
わたしは優しく言う。
「でも、そろそろ取材に出かけたいけどね」
と付け加えちゃうけど。
「ほらよ、野球記録を熱く語り過ぎて、貝沢センパイの時間を食っちまったんじゃないか」
「タダカワ。ぼくはよーく分かった」
「何をだ」
「きみには野球記録に対するリスペクトが欠けてるんだな」
「あのなー。記録なんかにリスペクトもなんにもねーよ。単なる数字だろ」
「タダカワはぼくを怒らせる気か!?」
「叫ぶな。声が大きい」
「大きくもなる!!!」
完全なる呆れ顔のタダカワくんは、
「ノジマ。おまえは5月に入ってからプロ野球の試合中継を何試合観た?」
ノジマくんは答えない。
記録の数字に夢中な反面、実際の試合を観ることがおろそかになっているんだ。
だから、彼は押し黙ってしまう。
彼が押し黙ってしまっているのがちょっぴりカワイイと思ってしまった。だからわたしは苦笑いしてしまった。
ごめんねノジマくん。
「おれは5月になってからプロ野球の試合中継を15試合以上観たぞ。リアルタイムでな。5月病など『どこ吹く風』だ」
タダカワくんは勝ち誇る。
× × ×
外に出て、なつきセンパイと合流し、野球部のグラウンドへと歩を進めている。
取材予定の時刻に遅れてしまうけど、なつきセンパイが野球部に『遅れる』とおことわりの連絡をしているから大丈夫だ。
「1年生男子コンビが面白くって」
わたしはさっきのやり取りを思い出しながら言う。
「タダカワくんとノジマくんの凸凹(デコボコ)コンビか」
となつきセンパイ。
「センパーイ。凸凹コンビだなんてヒドいですよー。体格の差のコト考えると確かに凸凹ですけど」
「体格の差だけじゃないよ、オンちゃん」
スポーツ新聞部の中でただ1人わたしをニックネームで呼ぶなつきセンパイが、
「体格差以外にも凸凹なトコロあるじゃん」
「どんな??」
「教えてあげない」
「え」
「野球部グラウンドが近付いてきたから」
「えー。ずるーい」
「センパイ女子に口ごたえしないのっ」
「口ごたえじゃないですよぉーっ」
双方ニコニコしながらの掛け合い。
戯(たわむ)れというか何というか。
× × ×
無事に野球部への取材を終えた後で、
「オンちゃん。活動教室に行く前に、少し寄り道しても良い?」
「どこに行きたいんですか?」
「進路指導室」
「あっ。なるほど」
「残念なコトにわたしは高校3年生なんだよ」
進路指導室入り口横の掲示板に貼られた大学の偏差値表。
その眼の前になつきセンパイが立つ。
わたしは彼女の斜め後ろから、
「数字がいっぱい。ノジマくんが喜びそう」
「彼は数字大好きボーイだからねえ」
「『大好きボーイ』って。またまた」
わたしは苦笑いしながらも、
「入学したばっかりだけど、ノジマくんもここに来たりしてるのかもしれませんね」
「ノジマくんはまだ目撃してないんだけど……」
「?」
「タダカワくんなら見かけたコトあるよ」
「タダカワくん!? ノジマくんじゃなくって!?」
「そ。彼のカラダはスケール大きいから、すぐに分かった。敢えて声は掛けなかったけども」
「タダカワくんは意識が高いんですね」
「そうだね。……負けてなんか、いられないよ」
1年生と張り合う必要なんか無いと思う。
そう思いはするけれど。
偏差値表に視線を注ぐなつきセンパイの眼、真剣そのもので、1年生には真似できない、最上級生特有のカッコ良さがあった。