「あすかさん。バイトを始めるのは、いつからでしたっけ」
私の右斜め前のソファに座る利比古くんが訊く。
左斜め前のソファには、あすかちゃん。
昨日もこんな構図があった。
既視感。
「4月1日」
答えるあすかちゃん。
「エイプリルフールからなんですね」と利比古くん。
「そ。万愚節(ばんぐせつ)とも言う」とあすかちゃん。
「それは知りませんでした」
「うそぉん」
利比古くんより1つ年上として翻弄したい……という気持ちの籠もった笑い顔だ。
今日もあすかちゃんは攻めていくんだな……という感想を抱きつつ、ふたりのやり取りを見守り続ける。
「心構え、できてるんですか?」
問う彼に、
「できてるに決まってんじゃん。わたしをだれだと思ってんの☆」
と答え、なぜか自らの黒髪をサラリ、と撫でる彼女。
あすかちゃんの黒髪、キレイ。手入れがちゃんと行き届いてる。
ヘアケアに関しては、私の負けだな。
……じゃなくって、
「あすかちゃんあすかちゃん。利比古くんが唖然としちゃってるよ」
「ですね、梢さん。こうやって唖然とする利比古くんを何万回見てきたことか」
にわかに利比古くんが、
「『何万回』とか言わないでくださいあすかさん!! どれだけウソ・大げさ・紛らわしい表現を使う気なんですか」
「あー」
と、あすかちゃんは落ち着き払い、
「利比古くん、JAROだ」
「!?!?」
「大学のCM研究サークルでCM沼にハマり込んだ結果、中身がJAROみたいになっちゃった」
「意味分かりません。ぜんっぜん分かりませんッ」
「センス無いなぁ~~」
ついに座り続けられなくなった彼は、
「ぼ、ぼく、ちょっと外に出てきます!!」
「逃げたな」
と、彼女はニッコリニコニコ。
「散歩は、『逃げ』では、ありませんから!!」
精一杯の彼の反発がカワイイ。
× × ×
利比古くんの「負け」は否めないかなー。
彼が可哀想だけど、負ける姿も、それはそれで可愛い。
リビングでの火花散るバトルが終わったあとで、私はダイニング・キッチンに来ていた。
びっくりするほど大きな冷蔵庫に量販店ではなかなか入手できない生搾り果汁のジュースを発見する。
早い物勝ちなので、飲ませてもらう。
引っ越しの時に持ち込んだ私専用のコップをダイニングテーブルに置き、椅子に腰掛けてコップにジュースを注ぐ。
飲んでみる。
うん。美味しい。手間暇かかった味わい。
コップをいったん置いた。
そしたら、明日美子さんが、ダイニング・キッチンに姿を現してきたではありませんか。
「おはよう~~、梢ちゃん」
彼女のあいさつ。
時刻は午後の3時半を過ぎてるんだけどな。
それでも私は、
「おはようございまーす、明日美子さん」
とお返事してあげる。
すると、
「さっきまでリビングで、あすかと利比古くんと3人で、楽しく過ごしてたみたいね」
「え? あすかちゃんから聞いたんですか」
「聞いてないわよ」
「えっ??」
「シックスセンスよ、シックスセンス。そういう痕跡がリビングに残ってたのよー」
どこまで明日美子さんが本気で喋っているのか、分からない。
これまで無かったパターンの明日美子さんだったので、戸惑ってしまう。
私の左斜め前の椅子に彼女が座った。
スマイル100%な温(あたた)かき笑顔……なのだが、
「あすかと利比古くんの掛け合いを観察するの、梢ちゃんは楽しいでしょ」
と言ってくる。
なぜだか、自分の背中が涼しくなる。
明日美子さんに次に告げられるコトバを、恐れてしまう。
「梢ちゃんが楽しいのは、120%理解できるけど――」
満面の笑みを崩すこと無く、彼女は、
「あんまり、あのふたりをイジくるのは、ダメよ?」
背筋の涼しさが、一気に寒さになり、
「わ、私、まだ、そんなにイジくっては、いませんけども」
と、急激な焦りを覚えながら言い、
「明日美子さんは……感心しないですか? 私が、彼女と彼のコンビに、深く介入するのは……」
と、恐る恐る視線を向けながら、弱々しく訊く。
「梢ちゃん」
「……ハイ」
「『深く介入』とか、わざわざそんな表現を使わないの」
明日美子さんのたしなめ。
口調はもちろん柔らかい。でも、まったく怒ったり叱ったりしないのがデフォルトの『はず』の彼女だから、たしなめられると、かなり動揺してしまう。
動揺のせいで、うつむいて、
「すみません」
「解(わか)ればオールオッケー。無問題(モウマンタイ)」
「……」
「梢ちゃーん。顔、上げてちょうだいよ」
まだ、なにか、ある。
不安いっぱいに、顔を上げていく、私。
120%スマイルで、母性? のようなモノも感じられる彼女の表情。
しかし、
「『明日美子パワー』よ。梢ちゃん☆」
!!
く、食らっちゃった。
『明日美子パワー』。
これが、噂の……。
「初めての『明日美子パワー』おめでとー、梢ちゃーん!!」
祝福の裏に、厳しい強制力がある。
明日美子さんに『明日美子パワー』と言われたら、明日美子さんの告げるコトに、絶対服従。
これが、このお邸(やしき)の掟であるとは、知らされてはいたんだけど。
いざ、『明日美子パワー』を放たれてみると、そのパワーの強さに負けて、カラダにチカラが上手く入らなくなる。
やっぱり、明日美子さんは、ニコニコしてるだけじゃないんだ。
痛感。