【愛の◯◯】これからの呼びかたで◯◯

 

午前9時過ぎの某駅。

先に待っていたボクに水谷ソラが近づいてくる。

卒業式ぶり。

「お久しぶり会津くん」

「なに言うか。お久しぶりでも無かろう。卒業式は先週の金曜日――」

「ばか」

「お、おいコラッ!!」

「ねえ、わたし、プラネタリウムの開始時刻忘れちゃったの。会津くんなら当然知ってるよね」

無理な振りかた。

だがしかし、

「知っている。ちゃんと控えてある」

「よかった~」

 

× × ×

 

「じゃ、グズグズせずにプラネタリウムに向かうか」

「そうだね」

いったんはそう言った水谷なのだが、

「でも、その前に」

と少し小声になって言い、それから、ボクにまっすぐに向き合い、

「……」

と沈黙して見つめてくる。

どこを見つめてきたかというと、ボクの顔面。

水谷ソラの身長は160センチだ。

ボクより10センチ以上低いワケで……だから、見上げて見つめてくる。

いきなり水谷が右手を伸ばしてボクの左腕を掴んだ。

どうした!?

会津くん、ビックリし過ぎだよ」

「だ、だって、だってな」

「デート以外の何物でも無いでしょ!?」

「主語を省かないでくれるか」

「……妙なトコロで面倒いんだから」

水谷が腕を引っ張り始めた。

ボクはぐいぐいと引っ張られていく。

水谷の後頭部を見る。

帽子が無い。

阪急ブレーブスだとか南海ホークスだとか近鉄バファローズだとか、身売りもしくは消滅した球団の野球帽をかぶるのが、彼女の外出時の定番だった。

だが現在(いま)は帽子が無い。

そして。

気付くのだ――いつの間にやら、水谷ソラの髪が伸び、髪先が今にも肩に触れんとしているコトに。

卒業式の日はもちろん無帽(むぼう)だった。

それなのにその日は気付かなかった。

 

× × ×

 

気付かなかったのか、気付けなかったのか。

水谷はずんずん進む。

最初左腕を掴んできた右手が、左手のトコロに移動している。

水谷のほうから握るチカラを強くしてきて、

「もっと近づいてよ。隣同士がいいよ」

「水谷。頼むから、小恥ずかしいセリフはあまり……」

「イライラするコト言うねー」

「……」

「しかも、ずーっとわたしのコト、『水谷』って名字で呼んで」

「だめなのか」

「だめだめっ」

「しかし、そっちだって。『会津くん』呼びで通しているだろう」

なぜかピタリと水谷の足が止まった。

ボクの反対側に顔を向け、可笑しそうに笑い声を出す。

「お、オイっ」

クスクス笑い続けたかと思えば、一気にこっちに振り向き、それから、

「ダイチのバカ。」

と、混じり気の無いがごとき笑顔で罵倒してくる。

とうとう名前を呼んできた。

なんとも言えない感情が、来る。

呼ばれたボク。今度はボクのほうから『名前で呼ぶ』コトにチャレンジしなければならなくなる。

プラネタリウムの施設を目前にして試される、勇気。

 

× × ×

 

滞りなくプラネタリウムの上映が終わった。

ボクたち観客がプラネタリウムから吐き出される。

「ステキだったよね。『ステキだった』って言うだけだと、感想になってないけど」

そう言ってから水谷ソラは無言の微笑で感想を要求してきた。

ボクにしたって語彙には中途半端な自信しか無いから困ってしまう。

「感想、言えないの? ダイチ」

下の名前を付け足してくるから二重に困る。

 

× × ×

 

そして2人で昼食をとった。

昼食後は体育館へ。

バスケットボールの試合を観に行くのである。

高校バスケ部の試合以外を観戦するのは初めてだった。

 

× × ×

 

館内でボクの右隣で食い入るように試合を見つめていた水谷が、

「やっぱり高校生の試合とはレベル違ったよね。とくに、スピード感が」

と言って、

「あまりにもレベル高いから、ブログの管理人さんも試合描写はお手上げになる」

と、あまりにも余計過ぎるコトを付け加える。

メタフィクション大好き女子と化した水谷を見かねて、

「水谷。ブログの管理人さんを持ち出すのは、時と場所を考えてからにしろ」

しかし、水谷はむううーーーっ、とむくれて、

「どうして名前で呼んでくんないの!? この期に及んで」

「ななっ」

「『ななっ』じゃないよ!!」

「お、大声やめれ」

「ダイチ!!」

「!?」

「ダイチだったら、今日の試合、どんな『記事』にする!? スポーツ新聞部OBとして、10秒以内で答えてよ!?」

 

× × ×

 

次の目的地は某・博物館。館蔵品展が開かれていた。

博物館の中なら『クールダウン』してくれるだろう。

たぶん。

 

互いに展示に集中していた。

コトバは交わさない。

ギクシャクしたワケでは無い。純粋に展示物に集中しているだけ。大声を出してはいけない室内だというのもある。

 

× × ×

 

「ふ~~~っ。面白かったけど、くたびれた~~~」

水谷ソラは肩こりをほぐす仕草。

駅で出会ってから8時間は経過しており、春の夕(ゆうべ)の気配だった。

見上げればフンワリとオレンジの色。

「ダイチ?」

振り返る水谷ソラがいる。

「ねえ、ダイチ」

名前呼びの連発で、

「館蔵品展の感想言って。今度こそ、マジメな感想を!」

いや「今度こそ」ってなんだよ。

「ちゃんとシメてよ」

シメる!?

「わたしが『ちゃんと感想になってる!』って認めるまで、帰さないんだからね」

め、めんどくさすぎる。

ボクは……コイツに、8時間以上も振り回されたんだよな。

我ながら、よくやったと、思う。

思う。

思って、それから。

背筋を伸ばし、全体的に姿勢を正し、本日のデートの相方をジッと見て、それから、カラダの内部で『決心』を作り上げていく。

やや大げさに吸う息。

 

「ソラ」

 

水谷ソラの下の名前を、人生で初めて呼ぶ。

それからそれから、猛スピードでうろたえまくって赤みを帯びまくり状態の、ソラの顔面に向けて、

「ゆっくり、帰ろう。ゆっくりでも、いいだろ?? ソラ。」

と、告げ、ボクのほうから、少し小さめのソラの右手を、柔らかに握っていく。