【愛の◯◯】梢さんは弱々しい声を吐いて……。

 

日曜日。今日も仕事休み。朝の8時30分から10時00分までニチアサキッズになりきって、それからマンションを出て母校のキャンパスへと向かう。

おれの出身大学はマンションからそう遠くはなく、徒歩でもたどり着くことが可能なのである。

懐かしの学生会館に入り、『MINT JAMS』というサークルのお部屋の扉をノックする。

現役3年生の笹田(ささだ)ムラサキが既に入室していた。ムラサキとは前もって日曜に会うことを約束していた。

おはようの挨拶を交わして、互いに近況を報告する。それから、ムラサキがこの部屋で見つけ出したという15年以上前の『ロッキング・オン・ジャパン』を2人で見ていく。表紙は宇多田ヒカルであった。

宇多田ヒカルも当然若いが、雑誌内でインタビューに答えている他のミュージシャンも相当若い。今やアラフォーの人間がハタチそこそこなんだもんな。

 

ロッキング・オン・ジャパン』を前にして隣り合ってムラサキと座り、ワイワイとやっていた。そしたら、後方の入り口扉からノックの音。

「梢(こずえ)さんでしょうか?」とムラサキ。

「梢さんだろうな」とおれ。

「ぼく見てきます」とムラサキは立ち上がり、扉のほうに向かっていく。

やはり現れたのは東本梢(ひがしもと こずえ)さんだった。

梢さんは20代後半の『大学3年生』だ。詳しい説明は省く。

そして彼女は元来このサークルとは無関係である。しかし頻繁にこのサークルに出入りしている。詳しい説明は省く。

「元気そうだね、アツマ君」

椅子に座るおれを見下ろして彼女が言う。

「梢さんはどうですか?」

訊くおれ。

しかし、

「どうしてそんな古い『ロッキング・オン・ジャパン』を読んでるのかな?」

「えっと……。おれ、『調子はどうですか?』って訊いてるんですけど」

彼女はスルーにスルーを重ねて、

「私まだこのとき小学生だよ」

と、勝手に雑誌を閉じて、表紙の宇多田ヒカルを見つめながら言う。

「おれも小学生でしたが」

「え、張り合うつもりなの、アツマ君」

「いいえ。ただ、おれたちが読んでた雑誌を勝手に閉じちゃうのはどうなのかなー、とは思いますが」

「それはごめん。何ページを読んでたの?」

おれは読んでいたページを答える。

梢さんは雑誌を開いて、そのページに戻してくれる。

なんか素直だ。

違和感すらある。

ムラサキが近づいてきて、

「梢さんはなにをしに来たんですか? やっぱり『西日本研究会』のPRですか?」

『西日本研究会』は梢さんの所属するサークル。梢さんはこの部屋に来て、しばしば一方的に『西日本』にまつわる情報を提供してくるのである。

どうせ今日もトリビアルな西日本関連情報を提供してくるんだろう……と諦めていた。

しかしながら、

「んー、今日は、そーゆーのは、特に無いかな」

えええ。

だったら、梢さん、あなた、どういう目的でこの部屋に……!?

 

× × ×

 

変だ。梢さんがこれまでになく大人しい。

宇多田ヒカル表紙の『ロッキング・オン・ジャパン』を読み切ってしまったおれ。

背後のパイプ椅子に座っている梢さんの様子が気になって、そろ~っ、と後ろを見る。

梢さんは背筋をピンと伸ばしてパイプ椅子に着座している。

背筋がピンと伸びているのはいいのだが、

「なんだか口数が少なくありませんか、今日の梢さん? 梢さんが後ろからなにも言ってこないから、『不思議だなぁ』と思いながら雑誌めくってたんですけど」

「……」

あ、あ、あれっ!?

梢さんが応答しないぞ!?

うんともすんとも言わない。

そんなに固まられると……こっちが困っちまうんだが。

ムラサキも、梢さんの沈黙ぶり・硬直ぶりに戸惑いを隠せていない。

ここで、バイブレーションの音。

振動したのは梢さんのスマートフォン

画面を凝視する梢さん。

苦い表情になる梢さん。

おれたちが初めて体験する表情だ。

 

「……バカじゃないの。過剰にコドモ扱いして」

 

彼女がそう言っているのがハッキリと聞こえた。

苛立ち。

いったいだれに対して。

 

おれは立ち上がって、梢さんの前に歩み寄り、彼女を見下ろす。

長身モデル体型のはずの彼女がいつもより小さく見える。

背筋を伸ばすのをやめて、うつむいて、

「ごめんね、アツマ君もムラサキ君も。こんな私、イヤだよね」

と、彼女は弱々しい声を吐いて……。