「なぜ上を目指さないのか?」
昨日のバドミントン非公式試合のあとで、叶(かのう)さんにそう問われてしまった。
近頃流行りの「承認欲求」みたいなものに関係してくる問いなんだと思う。
上を目指して上に立てば、承認欲求が満たされる、ヒトも多いだろう。上を目指す。上に立つ。チヤホヤされる。溢れるほどの承認欲求……。
「……そこんトコロが、わたしにはよく解(わか)らないのよね」
アツマくんを送り出したあとのダイニングテーブルで独り呟くわたし。
「チヤホヤされるのって、そんなに良(い)いことかしら? わたしはその反対……」
ダイニングテーブルに置いた鏡で自分の顔を見ながらまた呟くわたしだった。
さて。
承認欲求云々とかについては、宿題みたいにするとして。
スマートフォンで通話する約束をしている娘(こ)がいるのだ。
棚田(たなだ)さん。
女子校時代の同級生である。
現在は飲み物の水的な女子大学に通っている棚田さん。
飲み物の水的な女子大学はこのマンションからかなり近いのであるが、そんなことはいいとしてわたしはスマートフォンをスタンドに立てて、彼女からコールがかかってくるのを待機する。
棚田さんのソプラノの声が聞こえてきた。
挨拶を交わす。
わたしの調子が落ち込んでからは通話しても会ってもいないから……話すのは、大学1年のとき以来。
「久しぶりだねー」
と棚田さん。
「久しぶりね、ほんとうに」
とわたし。
「元気……かな」
ためらい気味の尋ねかた。
落ち込んでからのわたしの様子を彼女はよく知らないのだ。
「もうほとんど元通りなのよ、棚田さん」
「ほとんど元通り?」
「そう。昨年度とかドン底まで落ちてたけど、そこからぐ〜〜〜ん、と」
「上昇したんだ」
「したのよ。ほぼ全回復よ」
「そっか。……心の風邪ひいたっていうのも耳にしたから、ドキドキしながら今日に臨んだの」
あれれ。
「棚田さんって、そんなに繊細だった?」
「えっ……繊細、って?」
「もっと強気じゃなかったかしら? 高校時代とか」
特に。
「特に、『お料理同好会』にわたしを勧誘するときとか」
× × ×
× × ×
今でも鮮やかにはっきりと思い出せる。
「お料理同好会」会員であった棚田さんは、ひと月に10回以上もわたしを同好会に引き入れようとしてきていたのだ。
鮮明な記憶。
放課後になった瞬間。わたしのクラスに廊下を走って棚田さんが突撃してくる。走ったはずみの喘(あえ)ぎ混じりに、「はねださん、きょうこそは……」と、同好会のチラシを突きつけてくる。
終(しま)いにはわたしのクラスメイトに迷惑がられてしまい、『物理的に』わたしと棚田さんとの間に立って棚田さんを通せんぼしようとした娘(こ)までも居た。
さやかなんか、わたしとずーっと違うクラスだったのに、違う教室からわたしたちの教室に駆けつけてきて、「棚田さん、ちょっと『やりかた』が強引すぎるよ!?」と怒っちゃったこともあった。
あー。どうしてかアカちゃんは、わたしとずーっと同じクラスだったのに、不干渉主義だったのよねえ。
微笑ましい情景だと思ってたのかしら。ニコニコしながら、棚田さんの強引さとかさやかの怒(いか)りとかを見つめてた気がする。
わたしは棚田さんに対してオトナだった。
卒業寸前までオトナな対応を貫いた。
例えば。
卒業間際だったと思うんだけど、廊下を歩いていたら棚田さんがどこからともなく駆け寄ってきて、
「ね、ねえ!?!? 羽田さんこの前、音楽の荒木(あらき)先生にカツ丼を作ってあげたんだって!? 家庭科室で作ったんでしょ!? わ、わたしが居ない間に、じ、事態が進行してて……」
「わたしと荒木先生の間に『事態』なんて無いから」
荒木先生にさやかが一方通行の想いを寄せているコトは厳重に秘密にしておいて、
「荒木先生ってわたしたちとそんなに歳が変わんないぐらい若いでしょ? だからコドモっぽい面もあるのよ。そのコドモっぽい面が、わたしの鼻についたから」
「は、鼻についたって、どーいうこと……!!」
「カツ丼一発で黙らせたってだけよ」
「は、は、はねださんって、カッコいいんだねえ。ますますしびれちゃう」
「エレクトロマスターじゃないわよ、別に」
「エレクトロマスター??」
なにも答えず、棚田さんの左肩に優しく右手を乗せて、
「わたしに美味しいカツ丼の作りかたを教えてほしくても、教えないわよ?」
「なっなんで……!」
「自分で考えなさいよ、それぐらい。もうコドモじゃないでしょ」
「……羽田さんはそう言うけど。実際羽田さんは強いけど」
「?」
「わたし知っちゃったんだよ。2学期の終わりだから、ついこの前だけど……担任の伊吹先生にしがみつきながら、羽田さんが泣きじゃくってたって情報」
……そのときその瞬間は、ズボオッ、と棚田さんの指摘が脇腹に食い込んできて、かなり動揺も覚えた。
18歳になってまで伊吹先生に小学生のように甘えたのは完全なる事実だったから。あの日あの時だけは伊吹先生、わたしの『お母さん』だった。
一時的にそんなふうになってしまったのを棚田さんに知られ、いったんは動揺してうろたえて、窓の柵を握り締めることでなんとかカラダのバランスを保ったわたし、だったんだけど、
「……カツ丼は、ひとりでなんとかするのよ、棚田さん。オトナに頼らなくたって、自力で美味しいカツ丼を作られるようにならないと。そうでないと、『お料理同好会』会長の名が泣くじゃないの」
と……スローに持ち直した。
× × ×
× × ×
わたしは「棚田さんはやっぱり積極性が持ち味だよ」と励ましてあげて、スマホ通話を締めくくった。
終わり際に棚田さんが、
「わたし、夢ができたの」
と言ってくるから、
「どんな夢?」
と訊き返したら、そしたら、
「羽田さんの元気を一瞬にして120%にしてあげられるような、そんな料理を作りたいの!!」
と。
胸が熱くなることを自覚した。
素晴らしくステキな夢。
わたし……そんなふうな『夢』だったならば、いつまでもどこまでも、応援する。