【愛の◯◯】擦(す)りむいた妹に

 

月曜日の夕方。

おれの妹が、おれの仕事場にやって来た。

 

× × ×

 

妹の来店ショックを引きずったまま、妹の席に注文をとりに行く。

焦り気味にお冷やを置いてしまう。あと少しでコップの中身が飛び跳ねてしまうところだった。

妹は兄に構うことなくニッコリと笑っている。

「……決まったか?」

恐る恐るの訊きかたになってしまう。

「注文?」と妹。

「注文だよ」とおれ。

「んーーーっと」

メニューに眼を凝らしつつ、

「『ハニトー』」

と言う妹。

「そこは『ハニートースト』って言ってほしいんだが。なんでもかんでも略そうとするなよ」

「お兄ちゃん、店員さんらしくな~い」

「店員である以前に、おれはおまえの兄貴なんだよっ!」

「『リュクサンブール』って、店員さんがお客にキレる喫茶店だったの?」

満面スマイル。

ナメたマネしやがってっ。

「ハニートーストだけ頼むわけじゃねーんだろ? 飲み物はどーした」

「飲み物はねー、9月限定スペシャルミックスジュース」

甘い食い物に甘い飲み物を重ねる。

糖を大量に補給したいらしい。

「あすか。血糖値に気をつけるんだな」

「エー、なんなのそれ」

「だって、ハニートーストに、ミックスジュースで……」

「で?」

「しょ、少々待っていやがれ、っったく!!」

「投げやり~~」

投げやりにもなるわ!!

おまえがなんの連絡も無しに来店したのがいけねーんだ。

おれはあすかに背を向けて、速足(はやあし)気味に厨房に近づいていく。

あすかの顔を見るのが恥ずかしくなる。

 

× × ×

 

しかし、上司のお兄さんに爆笑されながら、『妹さんの席にはお兄さんが持っていくものだよ』と言われ、ハニートースト&スペシャルミックスジュースの載った丸トレーを手渡されてしまう。

もしハニトーとミックスジュースを落っことしちまったら、一巻の終わりだ。

そんなヘマやらかしたら、一晩中泣いて泣いて泣き続けるしかなくなる。

そのプレッシャーに加えて、お店のスタッフの方々が押しなべて笑顔になっていることに気付いて、正社員に採用されて以来最悪の「追い込まれ」を肌で感じて……!

 

× × ×

 

もうほとんど日没である。

だんだん火であぶられていくかのようだった夕方を耐え忍ぶことになんとか成功し、『リュクサンブール』から退勤した。

帰り道をゆくおれの横にはもちろん妹がいる。

「日が短くなってきたよね」

「ああ」とおれは生返事。

「こうやって歩いてると、気持ちがいいよ」

よくねーよ。

「あすか……おまえは気分いいかもしれんが」

「お兄ちゃんは逆であると」

「そーだよ」

「わたしが入店した瞬間のお兄ちゃん、口から心臓が飛び出そうだったもんね」

「おまえがなんにも予告せんからだっ」

「予告なんかすると思う? だって、わたしだよ?」

「ここまで性格に難があるとは……」

「難があるほうが可愛げがあるじゃん」

なんだよその理屈。

 

駅に着実に近づく。

おれのマンションと妹の邸(いえ)は反対の方向だ。

妹との別居? も半年が過ぎようとしている。

考えてみれば、こういった帰り道は、妹の様子を直(ジカ)に見られる貴重な機会の場でもある。

最近は邸(いえ)への「プチ帰省」もできていなかったおれは、横断歩道の前で信号待ちになったのを好機として、妹の顔をジーッと見下ろす。

「なあに、お兄ちゃん」

おれは、

「おまえって、眉毛、剃らないよな」

「げ。兄貴からそんなこと言われると、ちょっと萎える」

萎えるってなんですかね、あすかさーん。

『お兄ちゃん』が一瞬で『兄貴』に変貌してるし。

信号が青に。

横断歩道を渡り終えて、

「機嫌、悪くしたか?」

と訊いてみる。

「まだ機嫌良いほうが勝ってる。ハニトーとミックスジュースが美味しかったから」

「安心した」

「わたしは兄貴にもう少し接客面で貢献してほしかったけど」

「あっそ」

「あれ、わたしの批判にあんましダメージ受けてないね」

「おまえの『兄貴批判』には慣れっこだからだ」

慣れっこだし。

それから。

「おれの受けるダメージよりも、おまえが受けるダメージのほうが、100倍気になるから」

ピタリ、とあすかは立ち止まる。

「しかも、もう既におまえは、ダメージ受けまくってる状態だし」

やはり無言になるあすか。

「すまんな、ハニトーとミックスジュースで大満足だったところに、いきなり重い話題ブチ込んで」

しばし立ち尽くしたあとで、あすかは、

「たしかに、急転直下みたいな感じ、だったけど」

と言い、

「少しも心配されないよりは当然マシだし。わたしにも、いろんな身近の人にココロを開けなかった責任があるし」

「責任だとか言うなや。大げさ過ぎる。おれはそーゆーコトバづかいには厳しいんだからな」

「うん」

「素直だな。いいぞいいぞ」

「わたしのほうこそ……ありがと」

「おれの妹が優秀で助かる」

「なにそれ」

あすかの苦笑いを感じ取る。

既にあすかは再び歩み始めている。

おれも歩くのを再開し、

「なあ、どっか寄りたい場所でもあったら、つきあうが」

「なんでそんな優しいこと言うの?」

「兄として、おまえの擦(す)りむいたココロに、『絆創膏』を」

「――お兄ちゃん、喩えが、ド下手。」

「そんなにか?」

「もっといい比喩があるでしょ」

「そっか。おまえがそう言うんなら、間違いが無いんだろうな」

「わたしの言語センスを過小評価しないで」

「してねーよ。おまえの言語センスは、おまえの実績が証明してる」

「ありがと」

「どーも」

「ありがと。……ハニトーの甘さみたいに、くすぐったくも感じちゃうけど」

「……到底お上手とは思えん比喩だな、オイ」