バンドTシャツ的な黒シャツを羽田愛センパイが着ている。
彼女にしては非常に珍しい。
というか、彼女のこんな服装を見るのは初めてだ。
「成清(なりきよ)く~ん?」
あ。
マズいぞ。
『どうかしたのかしら』という雰囲気の表情で、羽田センパイがおれの顔を見てきている……。
× × ×
明日のライブのために、おれたち「ソリッドオーシャン」は仕上げの練習をしている。
今回はサポートメンバーとして、羽田センパイがキーボードを弾いてくれることになった……のだが、
「すみません羽田センパイ。おれの『視線』、良くなかったですかね」
「え、どーゆーこと、成清くん??」
「あの、その、おれ、センパイの……」
「わたしの、なあに??」
い、言えねぇ。
センパイの服装に見とれてたなんて、言えねぇ。
加速する焦り。
「あー、もしかして」
と言って、彼女はニヤリとした顔になって、
「この黒Tシャツに視線が吸い寄せられてたんでしょ。そうなのよね? 成清くーん」
× × ×
せっかくサポートメンバーとして練習場所に来てくれているのに、センパイを直視できなくなってしまった。
こんなんでおれは明日のライブ大丈夫なんだろうか、なんか不安になってきたぞ、ボーカルの大役なのに……とココロの中が渦巻く。
渦巻くココロをなんとかして鎮めるために、ギターのあすかとアイコンタクトしようと思う。
おれはあすかにカラダを向けた。
だが、しかし。
あすかは……ポヤ~ン、とした顔で、空気中のなにかを見つめていて、おれの視線に絶対に気付いてくれていない。
おい。
大丈夫か。
おれより大丈夫じゃないような気配が濃厚なんだが。
× × ×
それでも、音を合わせてみないわけにはいかないのであって。
数曲合わせてみた。
思ったより合わせられた。
あすかもギターをちゃんと弾けている。
リズム隊のレイ(ベース)とちひろ(ドラムス)も好調だ。
これは、羽田センパイが入った効果に違いない。
彼女のキーボードテクニックがバンドの音を統一させているのだ。
このテクニックを超絶テクニックと言わずしてなんと言う、だな。
マジで。
思い切っておれは訊く。
「羽田センパイ。ピアノは何歳から?」
「わたしのピアノ歴?」
「はい」
「んー、忘れちゃったかも」
「!?」
戸惑うおれにレイが、
「愛さんね、物心ついたときには、絶対音感があるってことを自覚してたんだって」
「え……。レイ、くわしく」
「成清ぉ。あたしじゃなくって本人から聞きなよ」
『本人』たるセンパイはニッコリニコニコとしながら、
「あんまり、絶対音感あるだとか、ひけらかしたくないんだけどな」
とおっしゃる。
今度はちひろが、
「謙遜しなくたっていいじゃないですかー。胸を張って、『わたし、絶対音感あるの!!』って言っちゃえばいいと思いますよ? 愛さんにはソレが許される」
ちひろのコメントを受けてセンパイは、
「『胸を張って』、かぁ」
と言って、
「張るほどには胸がない気もするけど」
と際どいところを突いた発言をして、
「胸を張るべきは――」
と、棒立ち同然状態のあすかの方角を見やる。
なぜ、あすかに目線を??
しかしながら、おれがそのことを考えるヒマもなく、
「――やっぱいいや」
と言ったあとで、絶対音感の彼女はおれのほうに一歩(いっぽ)歩み寄り、
「ねえねえ、成清くん。わたしからあなたへ、ささやかなお願い……」
「?? な、なんでしょうか」
「ライブのあいだぐらい……」
「……ぐらい??」
「『羽田センパイ』じゃなくて『愛さん』って呼んでちょーだいよ」
「!?」
「エッ、どうしてオーバーリアクションしちゃうの」
「せ、センパイっ、だって……」
「成清くん」
「……」
「背筋がよく伸びるのね」
うぅ……!