自分の教室をそっと抜け出し、旧校舎の噴水へと向かう。
なぜそんなところに行くのかというと、再会する人がいるからだ。
再会するのはひとりではなく、ふたり。
女子がひとり、男子がひとり――。
どちらも、わが桐原高校のOG・OBであり、なおかつ、ぼくのクラブの先輩だった。
板東なぎささんと、黒柳巧さんである。
× × ×
ぼくが噴水にやって来て5分後に、そのふたりはやって来た。
制服ではなく私服だが、印象はさほど変わらない。
板東さんが黒柳さんの前を歩いていて、黒柳さんは板東さんの後ろをついていくような格好。
「――お元気そうで」
ぼくのほうから挨拶する。
「羽田くんこそ」
言う板東さん。
「羽田くん、ますます磨きがかかってるよね」
板東さんはこうも言うのだが……よく分からない。
「磨きがかかってる、とは?」
訊くが、
「ニブ~~い」
と、お馴染みのようなリアクションが発動。
「ほんっと鈍いんだねえ、羽田くんは。…ねえ、巧くんも、そう思うでしょ??」
…黒柳さんは棒立ちで沈黙している。
「巧くんバカ。沈黙をかまさないでよっ」
うわあ…。
せっかく彼女彼氏の関係になったというのに……板東さん、黒柳さんにすごく攻撃的だ。
「え、えーと、」
場を収めたくて、
「黒柳さんは、芸術系の学部で、映像を学ばれてるんですよね。どうですか? 大学の感触は」
と訊いてみる。
が、
「感触? ……うーん、難しい……」
という、困った答えが返ってきてしまう。
「む、難しくはないでしょう。感想を聴きたいですよ、ぼく」
促すが、
「ごめん、羽田くん……考えさせておくれ」
という……黒柳さんならではの、微妙過ぎるぐらい微妙なお言葉。
「ダメじゃないの巧くん」
板東さんは怒り気味に、
「大学に入って半年過ぎてるのに、感想すら言えないわけ!?」
と言い、それから右足を踏み鳴らして、
「これだから、ゆとりは……」
という……不可解な罵倒を、自分の彼氏に投げつける……。
言うまでもなく、ぼくたちみんな、ゆとり世代ではないわけだが。
いやはや……。
× × ×
なんだかんだで、久々に板東・黒柳コンビと長く話せて、楽しい時間だった。
――さて、Z世代的なぼくは、旧校舎から引き上げ、3年生の校舎へと戻っていく。
× × ×
ロックミュージックが鳴り響いている。
メロコアかと思えば、ブリットポップになったり、90年代末期の邦楽ロックになったり。
ナンバーガールの曲が流れる中、ぼくは長テーブルに並べられた古本を見下ろしている。
「なんだ羽田かよ」
声の主(ぬし)は、長テーブルを挟んで相対(あいたい)している、内海(うつみ)くんだった。
内海くんは夏まで野球部で、どういうわけか(?)、放送部の小路瑤子(こみち ようこ)さんと仲がいい。
小路さんは内海くんのことを「ウッツミー」と呼んでいる。
――さてさて、そんな内海くんなのだが、彼が、
「自分のクラスのことはいいんか、羽田」
と訊いてきたので、
「自由行動していい時間が、あと30分はあるから」
と答える。
「ふうん…。ゆとり、ありありだな」
…きみも「ゆとり」って言うのか。
なんだか「ゆとり」が本日限定の流行語みたいになってきてるぞ。
……まあ、それはいいとして。
ぼくは、並べられている古本に眼を凝らして、
「割りとコアな品揃えだね」
とコメントする。
コメントされた内海くんが、
「コア?」
と訊いたから、
「どう言い換えればいいんだろう。…そうだな、玄人志向、というか。そんな感じの品揃え」
と答える。
「へぇ」
内海くんも、古本に視線を落として、
「おれには本の価値なんか、少しも分からんけれども。そもそも、国語の教科書以外で小説を読まんような人間だし。小説以外の本も、もちろん読まんのだが」
と言って、それから、
「ここに並べられた本のことを、よく知ってるってことは――羽田、おまえ読書家なんか?」
という問いを。
「読書家なのは、ぼくじゃないよ」
正直に言って、それから、
「姉だよ」
「姉…?」
「そう。ぼくの姉が好きそうな本が、かなりここには並んでるんだ」
ぼくのコトバを受け、顔を上げて、ぼくをまじまじと見るようにして、
「羽田愛さん、だっけか。おまえの姉ちゃんって」
「よく知ってるね内海くん」
「彼女の情報は、校内に拡散しまくってるからな」
「たはは…」
「学祭には来ないんか? 姉ちゃんは」
デリケートなところを突いてくる内海くん。
デリケートといっても、内海くんに悪気はないのだが。
「うん……。諸事情で、ね」
「ふうむ……。
諸事情、か。
これ以上突っつくのは、あまりよろしく無さそうだな」
根は優しい子なんだな、彼……と思った。
内海くん、人間ができてるんだな。
ぼくなんかより、ずっと。
もっと自分も頑張らねば、と思いつつ、本を3冊手に取る。
姉に渡したら喜びそうな3冊をチョイスしたのだ。
「内海くん、この3冊を買うよ」
「え、3冊って。そんなに買うんか」
「3冊じゃなくて、5冊でもよかったんだけどね」
「…金持ちか」
「それほどでもないよ」
「…その返答は、それほどでもあるってことだろが」
…紙幣をすっ、と差し出すぼく。
受け取って、
「毎度あり。」
と言ってくれる、内海くん。
ぼくは180度向きを変え、喫茶スペースのほうを見つつ、
「音楽も――」
「は?」
「音楽も、姉が聴いてる楽曲、割りと流れてるんだ」
「…そうか」
「そうなんだよ。…聴くだけでなく、耳コピで弾いたりもできるんだけどね」
「どういう天才だよ……それ」
「信じられないよね」
「おまえの姉ちゃんは何者なんだ」
「…」
「こ、答えてくれや、羽田」
ふふっ、と軽く笑ってから、こう答える。
「お姉ちゃんは――お姉ちゃんだよ。」