メルロ=ポンティの講義録を読んでいたら、湘南地方の某駅に列車が到着した。
幼なじみのキョウくんの実家の最寄り駅だ。
× × ×
「ずいぶん、久しぶりな気がする」
「おれの家に来るのが?」
「そう。…もっと来てあげたほうが、いいかしら」
「ここ、むつみちゃんの家から、けっこう遠いでしょ? 無理する必要はないよ」
「…少しぐらい、無理だってする。キョウくんに、会えるのなら」
「んっ……」
「……照れてる?」
「……」
「照れてるんでしょ、わたしの積極性に」
「……元気だね、きみ」
× × ×
こういった茶番をリビングで繰り広げたあとで。
「じゃあきょうはよろしく、キョウくん」
「こちらこそ、むつみちゃん」
「お手柔らかに」
「え」
「ごめんごめん、家に入ってからヘンな言動ばっかりね、わたし」
「そ…そんなことはないと思うよ」
「ありがとう」
「……。
んーっと、日曜日だから、15時からはフジテレビ、だったよね」
「そうよ。お馬さん」
「皐月賞?」
「えーっ、知ってたの!? キョウくん」
「むつみちゃんの影響で」
「そっかー、影響与えちゃったかー、わたし」
「先週は、桜花賞だったろ」
「どうして知ってるの!?」
「…中継、観てたから」
観てたかー。
でも。
「桜花賞の中継、わたしも観ていたけど」
「うん…」
「諸般の事情で、レースの詳細は、ここで語ることはできないのよね」
「…??」
「あのね」
「…うん」
「ブログなのよ、これ」
「……それが??」
× × ×
競馬関連で、またしても、茶番を繰り広げてしまったわたしたち。
とにかく、キョウくんのお部屋に向かう。
向かわなきゃ、なんにも始まらないし。
キョウくんのベッドに座らせてもらう。
キョウくんは、床にあぐらで、わたしを見上げている。
「…あなたも、大学3年なわけね」
「折り返し地点だね」
「あっという間ね」
「そうだねえ」
「気が早いかもしれないけど…進路は、考えているの? 進学とか」
「やっぱり、院には行くと思うよ」
「そういうものなのよね。理工系のことは、よくわかっていないけど」
壁に貼ってあるポスターを、ちらっと見る。
小田急の車両のポスター。
「キョウくん……」
「なんだい」
「電車、作りたい?」
「そりゃあ、もう」
にわかに輝き出し始める、彼の眼。
鉄道を……愛しているんだ、キョウくんは。
並々ならぬ、鉄道愛。
「――いいわね」
「いいわね、って?」
「なにかを作ることに、情熱を傾けてる。……キョウくん、輝いてる。キラキラ。」
「キラキラ、かあ」
背筋を、少し伸ばして、
「キラキラしてるキョウくんが……わたし、好き」
と、さりげなく言う。
しだいしだいに、キョウくんの目線が、下向きに。
キョウくんをドギマギさせつつ、ベッドに置いてあった某老舗鉄道雑誌を取り、ぱらぱらとページをめくっていく。
× × ×
「ごめんなさいね。わたし、悪い子ね」
「……唐突に、なに」
「とにかくわたしは悪い子なの」
「い、イマイチわかんない、」
「――ねえキョウくん」
勉強机の置き時計を見つつ、
「まだ11時にもなってないわ。お腹もすいてないでしょう?」
「……」
「お昼ごはんは、わたしが、とっても美味しいのを作ってあげるけれど」
「……けれど?」
「お昼の前に」
「……前に??」
「こっちに来て。となりに座って」
「……なぜ」
「負けたくなくって」
「だ…だれに!?」
「とある年の差カップルに」
「とある……!?」
「スキンシップしたいわよね」
唖然とするキョウくん。
「寄り添いたいの」
わたしの顔を直視できず、
「…寄り添うって…どのくらい」
とつぶやく彼。
そんな彼に、
「キョウくんの――お腹がすくまで、かな」
と答えるわたし。
「いつも以上に、積極的なんだね…」
と彼。
「そうかしら?」
軽く言って、手ぐしで軽~く髪をかき上げて、彼の顔めがけて、柔らかスマイルを作っていく、わたし。
それから、
「あなたの顔が――もっと至近距離で見たいんだけどな♫」
と、揺すっていく――。
ちなみに、「とある年の差カップル」とは、もちろん、戸部くんと羽田さんのことである。