【愛の◯◯】小雨のなかで、さめざめと……

 

ダイニングにて。

 

「おそよう、お兄ちゃん」

「……あすか、もしかして、きょうの朝飯は、おまえが!?」

「そうだよ。わたしが作ったんだよ」

「なんでまた……」

「自由登校期間で、からだがなまるし」

 

朝ごはんの食器を、テーブルに運んであげる。

 

「さあ、冷めないうちに食べてよ、お兄ちゃん」

 

…テーブルの朝ごはんを凝視する兄。

なにしてんのやら…。

 

「…わたしの作った朝ごはんが、食べられないってゆーの!?」

「いや……」

 

曖昧な。

 

「そっかあー、そーんなに、おねーさんが作ってくれる朝食のほうがいいんだあ」

「そ、そんなこと、思っとらん」

「なら早く食べ始めてよ」

 

緩慢な動きで、兄は箸を取るのだが、

「――『いただきます』って、ちゃんと言わなきゃダメでしょ」

とわたしは注意する。

 

× × ×

 

食べ終えたぶんの食器を流しにじぶんで持っていく兄。

 

「どうだった? わたしのごはん」

 

訊くけれど……なぜか、兄は答えてくれず。

答える代わりに? わたしのエプロン姿を見てくる。

 

……極めて至近距離になって、

「あすか。エプロンがずれてる」

と、兄が指摘。

 

慌ててエプロンを直そうとするわたしを制して、兄が、じぶんから、わたしのエプロンに触れてくる……。

 

「ちょちょっと! 嫌らしいことしないでよっ! お兄ちゃん!」

 

勝手にわたしのエプロンのズレを直す兄は、

「これくらい、いいだろ。きょーだいなんだし」

「……グレーゾーンだよ」

「そうか……やっぱり、よくなかったのか……。

 すまん」

 

× × ×

 

おねーさんは、きょう、お外。

 

だから、慎みのない兄の悪口を存分に言うことのできる相手もいない。

 

午前中はずっとムカついて過ごしていた。

 

× × ×

 

午後になって、ストレス解消で音楽を聴くことにした。

ヘヴィメタルとか聴けば、今朝の兄貴に対するストレスも吹っ飛ぶかな? と思ったけど、あいにくわたしはメタルに詳しくない。

メタリカぐらいしか知らなくって、しかもわたしはメタリカの音楽性があまり肌に合わない。

 

…某超有名ギタリストのインスト曲アルバムで、妥協することにした。

 

 

…聴きながら、カレンダーに眼を移す。

2月7日のところに、

『徳山さん本命入試!』

とマジックで書いておいた。

 

そうなのだ。

きょうは、徳山さんの本命入試。

 

そろそろ…試験、終わってるのかも。

エプロンを勝手に触ってくるバカ兄貴のせいで、徳山さんの受験のことがあたまから抜けてしまっていた。

 

……どうなったんだろう。

 

緊張する。

彼女の、親友なんだから。

 

× × ×

 

……PCから流れてくるギタリストの超絶技巧を邪魔するようにして、ブブブブッ……とわたしのスマホが振動を開始した。

 

――スマホの着信画面に、『徳山さん』の4文字。

 

息を呑み、通話ボタンをフリックする。

PCの音楽再生を止めながら、

「……もしもし?」

とわたしは言う。

 

『……あすかさん? あすかさんよね?』

「も……もちろん、そうだよ。わたしだよ」

『……』

「と、とくやまさ~ん??」

 

長く、不穏な沈黙。

 

「試験が……終わったところなんだよね? たぶん」

『……終わった』

「そ、そうなんだ。よかったね」

よくないっ

 

悲鳴のように言う彼女。

 

『試験が終わって、わたしも終わった』

 

寒気が、走る。

 

『失敗した』

 

震え始めている彼女の声に……胃が痛くなる。

 

『しっぱいした。しっぱい』

 

「……いま、外なんでしょ? 気を、落ち着かせて――」

おちつけないっ

 

「徳山さん――」

 

『二宮先生に、『頼ってくれ』って言われて。

 そう言ってくれた先生の期待に、応えたかったのに。

 ……できなかった。歯が立たなかった。結局。

 無謀だったのかな。

 無謀なひとりずもうだったのかな。

 進路指導室で、取り乱したりとか……この冬ずっと、わたし、空回り』

 

ものすごく大きな音を立てて進路指導室のドアを閉めた、あの光景を、思い出してしまう。

 

無理……してたのかな、彼女。

わたしが思っている以上に、切羽詰まってたんだ。

 

気を遣いすぎるぐらいで……ちょうどよかったんだ。

 

「……。

 ごめんね、徳山さん。

 親友として、してあげられること、じゅうぶんにしてあげられなくて」

 

『あやまらないでよ……そんなことで』

 

小雨が、降ってきた。

窓から、小雨のパラパラ……という音が聞こえてくる。

……落ちてきた小雨に呼応するかのように、

徳山さんのすすり泣きが……スマホから、耳に入ってくる……。

 

彼女の号泣に、ひとしきりつきあってあげてから、

「……どうしようもなくなっちゃってる? いま」

と語りかけてみる。

『うん。どうしようも、ない』

彼女は答える。

濡れた顔まで、浮かんでくる。

 

「いっしょに泣いてあげる、なんて――言ってほしく、なかったりする?」

『……』

「そんな同情は逆効果かな、徳山さんには」

『……』

 

なにも、しゃべれないよね。

わかるよ。

 

「どうしても、同情の押しつけになっちゃうのかもしれないけど……わたしはそれでも、徳山さんを、助けたい。助けてあげたい」

『……』

「あしたは、フリーなんだよね?」

『……』

「でしょ?」

 

15秒間無音のあとで、

 

『……うん。あいてる。いちにち』

 

「だよね。

 だったら、わたしにも、考えがある」