夜になりかけの道を笹島(ささしま)マオと歩いている。
マオは、おれの母校たる高校の1期後輩だ。高校を卒業したあとで、実家の『笹島飯店(ささしまはんてん)』という町中華で働いている。おれも時々『笹島飯店』に行くコトがある。
今日、彼女が、おれの仕事場のカフェ『リュクサンブール』にやって来た。
会計の時に、
『アツマさんが仕事終わったあと、一緒に帰りたいです。それまでわたしは、適当にブラブラして待ってるので』
と言われた。
何故か、かなり早口なお願いゴトだった。
んでもって、おれとマオは隣同士で帰り道を歩いているというワケだ。
「日が長くなったな。そして、夜が短くなった」
夏の樹々を見上げながらおれは言った。
「この時間もまだ暑いですよね。でも、アツマさんタフだから、こんな暑さなんか余裕で」
「うむ」
マオの方に眼を寄せた。マオはまっすぐに前を向いていた。
なんだか、マオのやつ、おれの方を向きながら話す気が無いみたいだ。
なんでだろうか。
おれたちは歩き続ける。
「相談したいコトとかあって、一緒に帰りたかったんじゃねーの?」
切り込んでみる。
だが、
「……」
と、マオは、無言。
困るでよ、反応が無いと。
どーしたのやら。
もしや、まさか、重めの人生相談がしたいとかでは……。
数分間、歩を進めて、ようやく、
「アツマさん」
と、前を見続けたままだったが、言ってくれた、のだが、
「『本日のプリン』、味もボリュームも、最高でした」
と意表を突いてきたから、肩透かしみたいなモノを感じてしまう。
「ウチの店のプリンをホメてくれるのは、そりゃー嬉しいが」
おれは、
「相談したいコトをなかなか言ってくれんままだと、駅に到着しちまうぜ」
と、軽く叱ってみる。
ピクン、という擬音が聞こえるかのようにマオが立ち止まった。
「……分かるんですか、アツマさん。お悩み相談がしたくて、一緒に帰るのをお願いしたって」
「おうよ」
少しコトバを溜めるようにしてからマオは、
「アツマさんくらい、女の子のキモチを把握するチカラを持ってる男子って、なかなか居ないと思います」
お、おぅ。
ホメてくれて、嬉しいが。
それで、お悩み相談の中身は、何かな?
「葉山むつみさん」
いきなり葉山の名前が出てきた!?
マオさん、おれ、ギョッとしちまったぞ。
「えーっと、葉山は『リュクサンブール』の常連でもあるワケだが、あの女がどーかしたのか?」
「『あの女』なんて、そんな呼び方しないでも良いのに」
笑い混じりの声だった。
顔が見えなくても分かる。マオは苦笑している。
「あのですね。昨日、『笹島飯店』に、葉山さんが来たんですよ」
「そうなんか。珍しいんじゃないか? あの女がきみのお店に来るのは」
また、笑い混じりに、
「だからー。『あの女』なんて言ったらダメですよー」
と言って、
「そ・れ・と。わたしのコトは、『きみ』じゃなくて『おまえ』呼びで良いですからっ」
「……了解した。二人称は、そうする」
可笑しそうにマオが笑い声を発した。
お悩み相談なのに、妙なムードになって来たぞ……と思い始めていたらば、
「嫉妬しちゃったんです、葉山さんに」
んんんっ!?
「し、嫉妬……って、おまえ、葉山に、ヤキモチを」
「焼いちゃいましたね、こんがり焦げ目が付くぐらいに」
「なんでまた」
「わたしが不甲斐ないせいなんですけど……」
× × ×
「……というワケだったんです」
「成り行きはよく分かった。まず、マオは、葉山に妬(や)くよりも、仲良くしていきたいんだよな」
「ハイ」
「女子同士のカンケイのコトだから、余計な口を挟んじまったら、余計ややこしくなっちまうよな……」
「でも、アツマさんだったら、女の子のキモチもそうですけど、女の子同士のカンケイだって、上手に理解してくれるって、わたし、思うから」
「そんなに自信は無いぞ?」
「じゃあ、今この時から、自信を持ってください」
ううむ。
難しくて厄介な相談内容、であるワケだが。
「創介(そうすけ)くんが、明日になったら、東京(こっち)に帰ってきてくれるんだろ?」
「ソースケにこんな悩みぶちまけたくないんです」
「けどさ、おまえと創介くんは、つきあいも長く、遠距離恋愛であっても、やはり彼こそが、おまえのコトをいちばん……」
「そのぐらい分かってます。わたしだって、いちばん好きな男子はソースケだし。でも、そうであるからこそ、言いづらいコトもあるんです」
「だから、おれにアドバイスを乞うってか。なーんか違和感があるが」
「違和感?」
またもや立ち止まったマオは、
「違和感なんて言っちゃイヤです、わたし」
と言ったかと思うと、
「ソースケじゃなくてアツマさんにアドバイスを乞う理屈ぐらい、アツマさんなら理解してくれると思って、だから、『リュクサンブール』に突撃したのに」
と言って、うつむき出してしまって、
「わたしの尊敬してるアツマさんだから、きっと解決に導いてくれるって、そう期待してました」
マオの声がどんどんシリアスみを帯びてきていた。
「わたしの期待に応えてくれませんか? 応えて欲しいです。応えてください」
たぶん、マオは、胸が塞がるようなキモチなのだ。
おれだってそこまで鈍感じゃない。こういう胸の塞がりならば伝わってくる。そして、伝わってくる感情を、飲み込んで、消化して、最終的には理解できる。理解してあげられる。
「マオ」
呼び掛けて、
「おまえと葉山のカンケイのモンダイ、もう少し掘り下げたい。だから、もう少し訊きたいコトがある」
と、カラダをマオの方に向ける。
「分かりました。長くなったって構いません。訊いてください」
……気丈だな。
気丈なマオだ。
だけれども。
「訊く前に、掘り下げる前に、おれ、やっておきたいコトがあって」
「なんですか?」
「怒るなよ、マオ」
「……えっ?」
「マオのキモチを解きほぐしてから、マオのモンダイに取り組みたいと思うから、さ」
20代女子の平均とほぼ変わらないと思われる背丈のマオの頭頂部。
おそらく、マオよりも20センチほど背が高いおれは、その頭頂部に、スゥーーッ、と右手を伸ばしていく。
マオが怖がる前に、手を置いていた。
もちろん、柔らかく、優しく、置いてやる。
置いた手をそのまま当て続けるコトで、キモチを落ち着かせてやる。
マオは飛び退(の)いたりしなかった。怯えているような様子も感じられない。
むしろ、おれの『必殺技』たる頭ナデナデを、素直に素直に受け入れているみたいだ。
もしかしたら、こんなふうなスキンシップをされるのを、無意識だったにせよ、自分自身のどこか片隅で、予期していたのかもしれない。