サークル部屋に入ったら、大井町さんひとりだけ。
訊けば、先輩が何人か来ていたが、全員帰ってしまったらしい。
ふたりきり。
「――日曜以来ね」
笑いかけつつ、言うわたし。
「ええ、そうね。」
そっけなく答える大井町さん。
わたしと視線を合わせることなく、スケッチブックに鉛筆を走らせる。
デッサン、か。
「デッサン中なのね」
訊いてみる。
「…見れば、わからない?」
あー。
突っぱねるように言われちゃったー。
大井町さんらしい反応といえば、反応。
――どうしよっかな。
デッサンのジャマをしたら、怒られちゃいそう。
水島新司先生追悼の意もこめて、まだ読んでいないドカベンシリーズや『あぶさん』や『野球狂の詩』の単行本でも読もうかしら……。
なにしろ、手塚漫画に匹敵するぐらい水島漫画が充実しているんだもんね、このお部屋の漫画棚。
× × ×
田淵がダイエーホークスの監督だった時代の『あぶさん』を読んでいたら、大井町さんがデッサンの手を止め、鉛筆を置いた。
頬杖をつき、わたしを見ている。
ちょっとコワい。
「どうしたの?」
「なんでもない」
「…ほんとに、なんでもないの?」
プイ、と眼を背ける。
あまり可愛げのない仕草…。
……話せば、わかってくれるんじゃないか。
そう思った。
根拠は薄弱。
彼女がなにを『わかってくれる』のかも、判然としない。
それでも、それでも……彼女とのコミュニケーションを、増やしていかねば。
なにより、このサークルの1年女子は、わたしと彼女のふたりしかいないんだから。
「……ねえ、大井町さん。こっち向いて」
「……」
「横目で見るだけでも……いいから」
振り向く彼女。
横目どころか、まっすぐに向き合うように、視線を当ててくる。
「横目は卑怯だと思ったから、からだごとあなたに向けてあげた。満足? 羽田さん」
挑発混じりの声。
ちょっと、イヤな気持ち。
…わたしは我慢して、
「ありがとう、見てくれて、わたしの顔。
大井町さん。
せっかく、だれも来る気配なくて、いい機会だから。
マンツーマンで、相談したいことがあるの」
「……相談? なにを??」
『4月から、ひとり暮らしをしようかどうか、悩んでいるの。自活中の大井町さんから、なにかアドバイスはある?』と言おうとした。
しかし――わたしが口を開く前に、
とんでもないことを、彼女が言ってきた。
「もしかして、
いまの彼氏が満足できないとかじゃ、ないわよね…」
カチン。
さすがに、
さすがに、怒るわよ!? 大井町さんッ。
「……バカ言わないでよっ。そんなこと相談するわけありえないじゃないっ。なにを考えてんの!? 大井町さん」
どういうわけか、口元を緩める彼女。
わ、
わ、
わらうんじゃないわよ!!
「相談を持ちかけるからには、もっと真面目なことを言うに決まってんじゃない!!
……アツマくんと、うまくいってないわけなんかないし」
微笑み続けの彼女は、
「満足、できてるんだ。…よかったこと」
そ、
その口ぶりも、ありえないっ!!!
「わたしがそーだんしたかったことをいわせてよっ!!!」
さすがに、『あぶさん』の単行本をブン投げたりは、しなかった。
でも、そんなような勢いで、キレていた……。
「――ひとり暮らしの、ことよ。相談ごとってのは」
「はあ??」
首をかしげるなっ。
「もう一度言うわよ!? わたし! ひとり暮らしをするつもりも、あったりするのっ!!」
まさにまさに『意味がわからない』といまにも言わんとしてるような、顔。
そんな眼で見てくるなっ!
心拍数が急激に上がってきて、
大声を出すのがキツくなってくる。
「…………ほんとにもう。
大井町さん、あなたに、いいアドバイスがもらえると思って、相談しようとしたんだよ?? わたし。
台無し。」
「台無し、って」
「あ、あなたが、いまの彼氏がどう…とかふっかけるから、ぜんぶオジャンになっちゃったじゃない!!」
「――確認するけれど」
「な、なにをよ」
「羽田さんは、ひとり暮らしを始める気があるわけ?」
「あ…あるわよ。確定では、ないけど」
――冷たく、
「甘いわ。やめときなさい」
と、断定してきた、大井町さん。
わたしの理性が喪われるのに……さほど時間は、かからず。