授業が終わった。
教室から廊下に出た。
――担任の二宮先生(『ニノ先生』)が、前方に立ち、わたしのほうを向いている。
用事でも、あるのかな?
こっちから声をかける。
「どーしたんですか? 先生。立ち止まって」
…答えてくれず、ジーッと視線をわたしのほうに注いでくる。
「なにか言ってくれないと、困っちゃうな、わたし」
そう言ったら、ふう、と息を吐いてから、先生は、
「……あすか。おまえの調子が戻ったみたいで、安心だよ、おれは」
「――えっ? 調子が戻ったって、どういう……」
「推薦の合格が決まって、さぞ嬉しかろうと思いきや、12月に入ったとたんに、元気をなくしたようになっていたから」
……気づいてたんだ、ニノ先生。
わたしの異変に、それとなく。
「先週の終わりあたりから、ようやく元気が戻ったみたいで、担任として、ホッとしてるんだよ」
そっか。
わたしは……もう一歩、先生との距離を詰めて。
「ありがとうございます先生。教え子のこと、ちゃんと見えてるんですね」
「気にかけるのは、当たり前だよ」
わざとらしく微笑(わら)って、わたしは、
「…カッコいいかも。」
「お…おいおい、あすか」
「こんなにカッコよくって、優しいのに……なんで、良いパートナーができないのかなぁ」
…先生は苦い顔で、
「…どうしてそんなに、余計なひとことを付け加えたがるんだっ、おまえは」
「…女子高生だから」
「…ったく」
……去っていく先生の後ろ姿を見守るわたし。
心配りに、胸があったかくなりながらも、いまだ独身である先生の将来を、ちょっぴり案じる、わたし。
× × ×
さて、さて、さて。
ところ変わって、ボクシング部の練習場である。
下関くんの、不在。
先週、児島くんをしこたま殴打した咎(とが)で……児島くんだけでなく、下関くんまで、停学処分を受けてしまった。
下関くんの停学期間は、まだ続いている。
腹が立つのは、児島くんのほう。
下関くんが『制裁』を加える気になったのは、児島くんがイケないことをやってしまったからだし。
以前から児島くんを目の敵にしていた彼の、堪忍袋の緒が切れてしまった……というわけ。
だけど、だけど……。下関くんも、いささか暴走気味だったことも、否めない。
本能に任せて、児島くんを傷めつけて――あのまま暴力がエスカレートしていたら、児島くん、病院に運ばれていたかもしれない。
そういう意味では、抑えのきかなかった下関くんは、下関くんらしくなかった。
……徳山さんが、下関くんをビンタしてなかったら、ほんとうに救急車が来るような事態になっていたかもしれない。
徳山さんのファインプレーだった。
……にしても。
下関くんと徳山さん、同じ中学出身だったんだな。
なんでわたし、いままで知らなかったんだろう。
わたしとしたことが、不覚。
…普通なら、もっと早い段階で、情報が伝わってくるはずなんだけど。
不自然なぐらい…ふたりの背景を知るのが、遅かった。
それはそうとして……わたしは取材ノートを胸に抱きながら、ボクシング部のトレーニング風景を見ている。
なんだか、みんな、元気が足りない気がする。
きっと、先輩の下関くんが、ああいうことになってしまったから。
精神的支柱が……ああなっちゃうと、凹(へこ)んじゃうよね。
わたし……ボクシングのみんなに、折れてほしくない。
折れてほしくないから。
精彩を欠いた表情でインタビューに応じた2年生の現・部長に――インタビューの終わりぎわ、ノートを抱きしめながら、こう言った。
「……乗り越えていこうよ。
乗り越えて、立ち直ろう?
わたしも……乗り越えて、立ち直ったばっかりなんだ。
キミたちも、かならず、乗り越えて、立ち直っていけるはず。
負けないで。
折れないで。」
……現・部長の子の、「ありがとうございます……」という感謝の声が、しっかりと耳に届いた。
× × ×
いつもの中庭。いつものミヤジ。
「――あすかか」
「あすかだよん」
バードウォッチング用の双眼鏡を、眼から離して、
「ずいぶんと――上機嫌だな?」
「そう見える?」
「ルンルン気分、というか」
「……気分いいのは、確か」
「……理由は?」
「『エール』を、送ったの」
「『エール』?」
「そう。つまり、激励」
「ふうん……」
「――ミヤジにも、エールを送ってあげようか」
「――どんな」
「『がんばって、野鳥を観察し続けて!!』とか。」
「……なんだよそれ」
「♫」