【愛の◯◯】不可解な異変と不穏な気迫

 

さてさてさて。

推薦入試が終わったわけだ。

ふたたび――スポーツ新聞部の活動、フルスロットルである。

 

……3年の11月で、まだ部長、ってのも、微妙なところなんだけどね。

運動部だけでなく、文化部も、代替わりしまくりだし。

 

たぶん……校内の部活で、部長職を後輩に譲るの、わたしが、いちばん最後になると思う。

譲るとしたら、もちろん、唯一2年生の加賀くん。

 

禅譲(ぜんじょう)のタイミング、いつにしよっかな?

卒業するまで譲らないってのも、アリだけど。

……加賀くんに、譲るんだもんねえ。

彼を見てると、『安易に部長職を譲るのは、マズいんじゃなかろうか?』と思ったりしてしまう。

本人の、資質的に……。

 

× × ×

 

「加賀くん、こっちに来て」

 

活動教室。

わたしの席に、加賀くんを呼ぶ。

 

わたしは椅子から立って、

「ここに座って」

「――なにさせる気だ」

椅子に座って、置いてあるノートPCをにらみつける加賀くん。

わたしは彼の横からマウスを操作して、タイピング練習サイトにアクセスする。

「きょうの、加賀くんのタスクは、ひたすらタイピング練習をすること」

「タイピング?」

「そう。キミ、タイピングぜんぜんダメでしょ」

 

『決めつけんなよ』とも言えず、沈黙の彼。

図星だね。

 

「わたし、これから取材に出てくる。キミは、わたしが教室に戻ってくるまで、その席を離れちゃダメ」

そして、1年生トリオに向かって、

「加賀くんのこと、ちゃーんと監視しててねっ。お願いだよ」

 

ハーイ!!

 

声を揃えて、元気よく、1年生トリオが快諾してくれる。

偉い偉い。

 

× × ×

 

さてさて、わたしの取材先は、ボクシング部なのである。

ボクシング部の練習場に向かって、軽快に歩いていく。

 

軽やかな足取りで、練習場にたどり着ける……はずだったのだが。

 

……イヤな男子生徒の姿を見てしまった。

 

そう。わたしの元・クラスメイトの、児島くんである。

 

『チャラチャラしてる』ということばがお似合いの、男子。

 

こういったかたちで出くわすと、向こうから、『あすかじゃ~~ん』とチャラチャラしたテンションで近寄ってくるのが常だった。

 

流行りことばで言えば、『陽キャ』。

『女たらし』という評判も、かまびすしい。

 

だから、児島くんの立ち姿を見た瞬間に、軽快モードが警戒モードにすぐさま切り替わった。

また、あることないこと言って、おちゃらけながら、わたしをおちょくってくるに違いない……。

 

ところが。

いまの児島くん……『陽キャ』に見えない。

陽キャ』じゃなくって、『陰キャ』なムードが漂っている。

 

どうしたんだろう。

元気がないって、パッと見でわかる。

 

そっとしといたほうが、ベターなのかな。

 

……棒立ち状態みたいな児島くんの前を、無言で通り過ぎようとする。

触らぬ神に祟りなし、だもの。

 

通り過ぎようとした瞬間、

「……あすかじゃん」

か細い声で、児島くんがつぶやいた。

 

× × ×

 

ボクシング部を引退した下関くんが、練習場手前のベンチに座っていた。

 

「これから、取材させてもらうから、よろしくね……」

声をかけるわたし。

まだ、児島くんの不可解さが、意識から抜けきっていない。

いつもと違う児島くんの印象を引きずりながら、いつもと違わない下関くんの姿を見ている。

聡明さを感じさせる居住まい。

読んでいた文庫本を閉じて、眼をわたしのほうに向けている。

傍らには……分厚い、東京大学の赤本。

 

「あすかさん。」

研ぎ澄まされた視線で、下関くんが呼びかけてくる。

彼は指摘する、

「なんだか――テンションが、いつもと違う気がするんだけど」

 

胃がキュッ、となるわたし。

 

彼は続ける。

「推薦入試が終わって、晴れやかな気分になってるんじゃないかと思ってた。

 なのに……いまのあすかさんは、曇り空みたいな顔だ」

 

「曇り空みたいな顔、って……面白い比喩だけど。

 わたし、そんなにどんよりしちゃってる?」

 

「淀んでいるというか、なにかを疑っているというか」

 

「……カンがいいね、下関くん。

 疑わしいことが……あったんだ、さっき」

 

「疑わしいこと、?」

 

「児島くんがいたの。……いたんだけど、児島くんが児島くんじゃないみたいだったの」

 

とたんに、

下関くんの眼つきが、変わった――。

 

尋常じゃなく厳しい表情で、彼は、

「あすかさん、児島にだけは、気をつけろ」

 

「……え??」

 

「あまり関わろうとしないほうがいい。避けるべきだ」

 

「気をつけてる……警戒してるよ、わたしだって。できれば、薄い関わりのままで、終わりたいし」

 

「それじゃ甘いんだ。もっと徹底するんだ、あすかさん」

 

いつの間にか――下関くんは、ベンチから立ち上がっていた。

 

不穏なぐらい気迫に満ちた顔が……わたしを、見下ろしてくる。