久里香に、おねーさんとのことを打ち明けたけど、いい解決策は、浮かばずじまいだった。
ごめんね、久里香。
わたしの勝手で、都心のカフェまで誘い出して、そのうえわたしは、煮え切らない態度を見せ続けていて。
反省しても……しきれない。
× × ×
容赦なく、新しい週が、やってきた。
おねーさんと、すれ違い続けのまま……新しい週の月曜を迎えてしまった。
登校。
授業。
……なんだか、やけに校内が重々しい雰囲気に思えたのは、どうして?
わたしとおねーさんとが、重苦しい関係になってるから……それが原因の、錯覚?
それとも……なにか事件でも起こったとか。
金曜の放課後、先生が慌ただしく廊下を走っていた光景を思い出す。
あの慌ただしさに満ちた光景を、ミヤジといっしょに見ていながら、「臨時の職員会議でもやるのかな?」とか、話し合っていたものだけど。
空気も重いし、おねーさんとの和解の糸口も見つからないし、わたし……くたびれてきちゃったかも。
× × ×
放課後。
肩を落として廊下を歩いていたら、階段を下りてきた元・生徒会副会長の濱野くんが、わたしに気づいて、どんどん近づいてきた。
「……どうしたの。濱野くん」
「あすかさん。きみ……児島と去年クラスメイトで、仲良かったよな?」
「仲良かった……? 誤解だよ。たまたま席がとなりだったから、絡むことが多かっただけ」
「でも、よく話してただろ?」
「それは、話さざるをえなかったから……」
「3年になってからも、きみと児島が立ち話しているところを、何度か見かけた」
「……向こうから絡んできたから、しぶしぶ相手になってあげたんだよ」
「……」
「児島くんが、どうかしたわけ? 濱野くん」
「……」
「……濱野くん?」
「……」
「ね……ねえ、なにか言ってくれないと、不安になってきちゃうよ」
「……児島と仲が良かったはず、と思って、きみの姿を見た瞬間に、声かけしなきゃ、と思ったんだが」
「だから、べつだん仲は……」
「――児島に、停学の処分がくだるらしい」
……えっ。
えっ。
えっ。
ええっ!?
「それ――ホントなの!? ウソじゃ、ないよね!?」
「おれだって生徒会だったんだ。バカみたいな冗談なんか言わないぐらいには……マジメなつもりさ」
「……なにをやらかしたの、児島くんは。お、教えてっ濱野くん、教えて、教えてっ」
「……」
「か、か、肝心なところで、黙んないで」
「……言いにくくって」
「――まさか」
「……気づいたことでも?」
「――女子がらみ、だったりする?」
うっ……と、濱野くんがうろたえた。
× × ×
素敵なくらい、なんにも考えていないような、頭カラッポということばがぴったりの男子だった。
チャラチャラしてることで有名だった。
女たらしで有名だった。
女たらし……。
……。
クラスメイトだったうちに、となりの席だったうちに、お説教でもかましておくべきだったんだろうか。
お灸をすえる必要性が、あったんだろうか。
……もう遅い。
ブログに書くのも到底はばかられるようなことを、児島くんは犯してしまったんだ。
怒りも憐れみも、ない。
ただひたすら、頭が痛い。
× × ×
「あすかさん……大丈夫? 頭、押さえて……」
「……どうにか持ちこたえてる。いろんなことが起こるんだね、って」
「いろんなこと……って」
「こっちの話」
「こっち?」
わたしはじぶんでじぶんを指差す。
指差した場所がマズかったのか……濱野くんのうろたえが加速してしまったような気がする。
――わたしと濱野くんのそばを、駆け足で男子生徒のふたりが通り過ぎる。
『体育館裏だってよ!』
片方の男子生徒からの大声が聞こえた。
「――体育館裏に、希少生物でも出たのかな?」
「……なにとぼけてるんだ、あすかさん」
気づけば。
気づけば――濱野くんの顔が、うろたえから、真剣そのものになっている。
「体育館裏は……なにが起こる場所だと思う」
「……愛の告白」
「違うよ。違う。あすかさん」
彼は眉間にシワを寄せ、
「『しけい』、だ。『私(わたくし)』に刑罰の『刑(けい)』と書いて――『私刑(しけい)』だ」
……!!
「きみぐらい、賢ければ――『私刑』ということばの意味ぐらい、わかるだろ。
カタカナ3文字で、どう言い換えられるかも、わかるだろ?
そして……だれに対してだれが、どんな行為をしているのかも、きみは気づき始めているはずだ。
……おれは行くよ。生徒会としての、最後の務めだ。
きみも……来るだろ」
× × ×
下関くんが、児島くんを、一方的に殴り続けている。
下関くんは、いっさい手を休めることがない。
児島くんの上半身は、まんべんなくボコボコにされ通し。
ボクシング部仕込みの、拳(こぶし)の応酬で、児島くんは、体育館の壁際に追い込まれる。
よろめいて、児島くんの背中が、コンクリートの壁にドンッ、とぶつかる。
獰猛な野生動物みたいに、下関くんは、地面にへたり込む児島くんに、まっしぐら。
衰弱した児島くんを静かに見下ろし、右腕を振りかざして、なおも私刑(リンチ)を加え続けようとする。
悪夢を見てるみたいだった。
児島くんがしたことも、ブログには書けないくらい、ひどいこと。
だけど、眼の前で、下関くんが児島くんにしていることも、ことばに言い表したくないぐらいの……むごい、暴力。
声が、出ない。
『やめて!』って、叫ぶべきなんだと思う。
わたしが『やめて!』って叫べば、下関くんは、下関くんなら、児島くんを傷め続ける手を、きっと止めてくれるはず。
なのに。
出ない、声が。
声も出ない。出ないし、おまけに、視界が歪むような感じがして、気持ちが悪い。
眼が回りそう。真っ暗になりそう。
……けたたましい破裂音のようなものが、鼓膜を震わせた。
パーン!! という、音。
平手打ちの音みたいな、響きかた……。
……気づけば、ひとりの女子生徒が、下関くんと児島くんのあいだに立っていた。
徳山さんだった。
そして、下関くんが……押さえていた、彼自身の、ほっぺたを。
「ヒビキ、バカでしょ、あんた!!!」
徳山さんは、下関くんを罵倒した。……下関くんの下の名前を、呼んで。
「……すなみ。」
「すなみ」。
徳山さんの、下の名前。
「……すなみ。」という、下関くんの、小さなつぶやきが、わたしの耳に食い込んできた。
「すなみ」……徳山さんの、ビンタという名の制裁に、たじろいで、下関ヒビキくんは、彼女から眼をそらす。
わたしと下関くんの眼と眼が合う。
下関くんの、おびえたような眼つき。
視線が――わたしに向かって一直線に、伸びてくる。
胸の奥に……なにかがグサリと突き刺さったような。
そんな、痛い感触。