きのう、藤村は、言った。
愛は、あんがい、繊細で、デリケートだ――と。
おれも、藤村に同意する。
なんでもできるんだけど、ときに、情緒不安定になり、弱さを見せる。
気持ちがほころんで、そのほころびから、あいつの弱さがのぞいて。
そのたび、その弱さを、埋め合わせてやれるように、
おれは――あいつのために、がんばってきた。
3年前の――ちょうどいまごろだ。
愛の調子が、不安定になったことがあった。
リビングを通りがかったおれは、ソファに座る愛の様子が、おかしいことに気づいた。
テーブルには、数冊の本。
『本が読めなくなっちゃった……』と、虚(うつ)ろな声で、愛はおれに訴えかけてきた。
だれにも負けない読書量だったはずのじぶんが、本をぜんぜん読むことができない。
それは、愛にとって、些細な問題ではありえず、重大な問題だった。
正確には憶えていないけれど、『わたし、おかしくなっちゃったのかな……?』みたいなことを、おれに向かって言ってきたと思う。
愛は完全にダメになっていた。
見るからに弱々しく、
しぼんで、沈んでいた。
おれに対して強気に振る舞っていた愛は、見る影もなかった。
愛の危機を察したおれは、となりに座ってやった。
ことばをかけて、励ましてやったが、
変わることのない涙眼と涙声が、おれにはつらかった。
つらかった、からこそ、
全力で、救ってやらなきゃならない、
という思いに――火がついた。
『たすけて!! たすけて、アツマくん!!!』
愛は涙声で叫んだ。
そして、
『わたし、そんなに強くない!!』と、
じぶんの弱いところを自覚して、
泣きすがるように……叫んだ。
左腕で、
やさしく、そしてしっかりと、離さないように、
あいつの右腕を……抱きとめてやった。
そんなふうに寄り添うのは、初めてだったし、
なんなら、スキンシップだって――初めてだったかもしれない。
ともかく、『そばにいてやりたい』という一心で、
弱い弱い愛に、肩を寄せていた。
よりかかっていいんだぞ、と、促した。
そうしたら、涙を眼に浮かべたまま――からだを、おれに預けてきた。
それから――どのくらい、あいつは、おれにひっつき続けてたんだっけ。
なにしろ、3年前のことだ。
愛は高1で、幼さを隠しきれないところがあって、
おれにしたって、高3の、ガキで。
――なんだか、はるか昔のことに、思えてきてしまう。
お互いがお互いに対して、初々(ういうい)しかったというか……なんというか……。
…その『事件』から、ほどなくして、
愛は、おれに、
想いを……、
打ち明けた。
『アツマくんのことが……好きなんだと思う』
その、控えめな、あいつの…告白が、
強烈で。
× × ×
泊まりがけの藤村は帰っていった。
リビング。
愛が、熱心に、本を読んでいる。
さいきんは、『本が読めなくなっちゃった』、とか、不調をあらわにすることも、無くなっている。
弱々しさに沈みこむことも、減って。
愛が大人になったってことだろうか。
でも――弱い部分が、完全に消えたわけでも、ないだろう。
あらためて――藤村の忠告を、思い返し、
本のページをめくる愛のすがたを、眺めつつ、
気を引き締める。
「――はかどるな」
「わぁアツマくんだ」
「おっと、読書、中断させちまったか」
「気にしないで」
「――調子良さそうで、なによりだ」
おれの声色(こわいろ)に敏感な愛は、
「なに真面目ってるの? アツマくん」
「……」
「顔も、物思いみたいになってるし」
「……それはな、
つい……センチメンタルに、なっちまってて」
「なによお~、それ」
バンッ、と、じぶんのとなりのソファを叩く。
『座って』、という、愛の合図。
おとなしく、座る。
相変わらず、華奢なからだ。
顔は、3年前の『あのとき』とは真逆で――元気さに満ちている。
「…座ったなり、わたしの顔を眺めてる、ってことは――言いたいことでもあるのね」
「不正解だ。残念ながら」
「じゃあなんで顔を眺めてるの?
そんなにわたしの可愛さを、堪能したいわけ?」
あのなあ。
――ったく。
こいつはよぉ。
「……そんなアホなことが言えるってことは、『だいじょうぶ』の証拠だな」
「『だいじょうぶ』??」
「……」
「ちょっとアツマくん」
「――少しでも、」
「え?」
「少しでも――、『だいじょうぶ』じゃ、なくなってきたら、言えよな」
「――どういうこと」
「おれは、義務と責任で、言ってる」
「――もしかして。
あなた、なにか、思い出したりしたわけ?」
黙ってうなずいた。
「まあ――わたしだって、いろいろあったからね。
へこんだり、かなしくなったり、きもちがユラユラゆらいだり」
「だろ?」
「いまのところ、基本、わたしは、だいじょうぶ」
「…ならいいんだが」
突然、愛が、おれのほうにからだを傾けてきた。
不意のよりかかりに、驚く。
「――夏祭り、近いね。」
そう言いながら、顔をスリスリと、すりつけてくる……。
現在(いま)のスキンシップと、夏祭りの因果関係は…わかりっこない。
「今週末が、いまから楽しみ。」
なおも、顔をスリスリし続ける……愛。
「…。
おれも、まあ、人並みに、夏祭りとか花火とか…楽しみだけどさ」
柔肌(やわはだ)の体温を、感じ取りながら、
「――甘えたいんか?」
「いまの状況から、推し測れるでしょ」
「――動機がわかんねえ」
「寄り添うと、甘えたくなる」
「そういうもんなのか……?」
「だって……」
「……なんだよ」
右肩に、あたまをちょこん、と乗っけたまま、
小さく、かぶりを振る。
「リクツじゃない――ってことに、する」
「ワガママな」
「それも、わたしの取り柄でしょっ?」
「……ふんっ。」
「ね、もーちょっと、こーさせてよっ」
「お好きに」
「ありがと♪」
× × ×
甘え始めてきてから、15分、経過。
「…気持ちいい?」
「は?」
「わたしのからだが気持ちいいか、ってこと」
「スケベなこと、言いやがって」
「むぅ~っ」
「むぅ~っ」を合図に、
おれの背中を、じぶんの頭部で、グリグリと、攻めてくる。
――はぁ。
「ため息つかないのっ」
「――わりぃ」
「アツマくん。
わたし――あったかい?」
「あったかいよ」
「ほんとう?」
「おまえにウソなんかつくか」
「……」
「お、おい」
「……あなたのあったかさに、負けたくなかったの」
「そこは……勝ち負け、関係なくないか」
「わたしは、あると思う。あると思うから、延長戦。」
「延長戦、とは」
「あなたをあっため尽くす、延長戦!」
「……どうしようもねぇ」
「あのねえ」と、小さくつぶやいたかと思うと、
おれの背中を、半(なか)ば抱きしめつつ、
「『どうしようもないところも、好きだ』――って、言ってよ。」
――言って、たまるかっ。
言ってたまるか状態、だけど、
こいつの柔肌に包まれるのが……恥ずかしくも、心地よく、
『延長戦』、を……繰り返したい、という、
そんな気分が、盛り上がってくるのを、
抑えきれない。