つねに、机の上に、安物の国語辞書を置いて、文章を書いている。
日本語って、難しいもんね。
文章を書いていて、少しでも違和感を感じ取ったら、すぐに辞書に手を伸ばす。
『ことばが、わたしが想定していたのと違う意味だった』
これ、けっこう起こること。
母国語で文章を書くのも、一筋縄では行かないのだ。
中学時代から、作文で小さな賞をもらっていたりした。
文章を書くのは得意なほうだった。
語彙力(ごいりょく)、という面に関しては、高校1年としては、水準以上だろうと、自覚――っていうとヘンだけど、そう、思っている。
…語彙(ごい)、っていうことば自体を知らない高校1年だって、相当数いるだろうし。
それでも、日本語は難しい。
(水谷)と最後に記名して、校内スポーツ新聞のコラムを書き終える。
少し、肩が張っている。
キーボードを打ち続けた疲れだ。
腕を伸ばして、肩をほぐす。
語彙力、か――。
同じ1年の、会津くんも、相当文章力には自信あるみたいで、
ときおり、わたしには書けないような、『強い』文章を書いてくることがある。
『強い』というのは、文体の芯の強さと、内容の芯の強さとの、両方だ。
そういう会津くんの文章を読むと、競争心が、かりたてられる。
きっと、
わたしが知らない語彙を、会津くんが知っていたりとか、
そういうこと、あるんだろう。
逆に、会津くんが知らない語彙を、わたしが知っていたなら、
語彙力でギャフンと言わせられることもあるんだろうけど。
否応(いやおう)なく――対抗心、燃やしちゃうんだよな。
そう。
会津くんには、対抗心。
基本的に、対抗心。
……だけど、
とあるキッカケで、
会津くんに向かって……別種の感情が、
芽吹いてきてしまってる。
その感情に名前はない。
どんな感情か、まだ、ことばで言い表せない。
あえて、言い表してみるなら、
異性に対する――恥じらい?
ふと、じぶんの髪に触れる。
長らく散髪していない。
次第に、髪が……下に伸びてきた。
髪に触れて、髪をもてあそぶ。
『髪、伸ばしてみたら?』
あすか先輩のことばが――何度目だろうか――フラッシュバックする。
『会津くんも――よろこぶよ』
あすか先輩が言い足した、余計なひとことまでもが、ぶり返す。
ぶり返して、
なんとも言えず恥ずかしい気持ちが、やってきて、
露骨な過剰反応で、
大げさに――胸の前で腕を組んで、
大げさに――丸まる。
ほんとうに、よろこぶのかな。
わたしの髪が、肩まで伸びたりしたら。
でも、
会津くんが、よろこぶ、って、どういうことだろう?
男の子が、よろこぶ、って、どういうことだろう?
あ~。
あすか先輩、イジワルだ。
× × ×
とっても頼もしいけど、ちょっとだけイジワルなあすか先輩、
彼女が――スマホに電話をかけてきた。
おとなしく、出る。
「こんにちは、あすか先輩」
『やっほー、ソラちゃん』
「やっほーです」
『俳句の日だね。8月19日で』
「そうみたいですね」
『まあそれはかなりどーでもいいんだけど』
「アハ…」
『本題は――わかってるよね?』
「はい…」
夏祭りの、ことだ。
今週末に、夏祭りがあって、大きな花火もあがる。
そんな、(フィクションならではの)大規模な夏祭りに、あすか先輩から誘われていたのだ。
誘われているけど、迷ってしまっていた。
煮え切らないことを言い繕(つくろ)って、きちんとした答えを先延ばしにしていた。
『加賀くんがヒドイんだよ』
「加賀先輩が?」
『今週、LINEで誘ったとたんに、不参加メッセージを送りつけてきて』
「どんな?」
『『拒否』、って。漢字2文字、だけ!!』
「あははっ、潔(いさぎよ)いんですね、加賀先輩」
あのひとらしい。
『というわけで、加賀くんは、おめでたく不参加』
「――ほかの、部のメンバーは?」
『ヒナちゃんはすぐに、『行きます行きます!!』って言ってくれたよ』
そっか。
ヒナちゃんはヒナちゃんで、あの子らしい。
…迷わないんだ。
『それからねえ、きのう、会津くんからも連絡きて』
会津くん、と聞こえたとたん、
ひとりでに……息を呑んで、
続くあすか先輩のことばを……待ち受ける。
『来ます――って』
――来るんだ。
「――。
それなら、意思を決めかねているのは、もう、わたしだけってことですね」
『どーする、ソラちゃん? 自由だけど』
ヒナちゃんはお祭りに来る。
そして会津くんもお祭りに来る。
もし、わたしが来なければ、
1年組は、ヒナちゃんと会津くん、だけ。
そうなると、
ヒナちゃんと会津くんのふたりで、
お祭りのなかを、並んで歩いたり、
ふたりして、露店(ろてん)で買い食いしたり、
金魚をすくったり、くじ引きを引いたり、
そんなことに――、
なっちゃうんだろうか。
想像力が、勝手に飛躍して、
あのふたりが――ヒナちゃんと会津くんが、
お祭りの灯(あか)りがともる中、肩を並べている、
そんな光景が、脳裏をかすめた。
かすめたとたんに、
隠しきれないヤキモチみたいな感情を……自覚して、
うつむきがちに、無言になってしまう。
会津くんのそばに、ヒナちゃん『しか』いない、お祭りの光景を想像してしまうと、
胃が痛くなる。
会津くんのそばに、わたしが欠けていると……。
……わたしが欠けている光景を、想像してしまうと――、
得体のしれない違和感が襲ってきて、
会津くんのそばに、わたしも並び立ちたくなる。
釣り合いがとれない、というのが、第一の理由。
でもそれって、
『釣り合いがとれない』、を裏返せば、
ヒナちゃんだけ、会津くんのそばにいるのが、イヤ……。
つまりは……そういう、結論になって。
やっぱり、ヤキモチだ。
たとえば、ヒナちゃんが、会津くんの左隣で、お祭りの道を歩いているとしたら、
右隣には……わたしがいたいんだ。
ヒナちゃん……、
ごめんね。
なんでこんなことばっかり、考えてるのか、じぶんでもわかんない。
……こんな気持ちを、簡単にヒナちゃんに伝えられたら、苦労しない。
でも、こんなことをヒナちゃんに打ち明けるなんて、
ありえない。
彼の手を引きたい、とか、
彼を独り占めしたい、とか、
そんなことは――思ってない。
釣り合いの問題。
でも…でも、
釣り合いの問題に、男の子の存在が…からんで、いるから、
割り切れない感情に、
包まれてしまう。
『そ、ソラちゃーん?? いる??』
「――すみません。
黙ってただけで――いますよ、わたしは」
『……悩んでるの?』
図星。
そう、悩んでしまった。
あすか先輩を、長電話で困らせたくないし、
ヒナちゃんといっしょに、お祭りの場にいたいし、
会津くんを、ヒナちゃんと挟み撃ちにして、
楽しくお祭りを、過ごしたいし。
そうだ。
男の子に向かう感情とか――抜きにして、
会津くんを、ヒナちゃんとともに、『サンドイッチ』にすることだけ、
そのことだけ、考えてれば、いいんだ。
少し、強引ではあるけれど、
そういうふうに――じぶんを納得させて、
それから、わたしは、
「あすか先輩。わたしも行きたいです。行きます、夏祭り!」
そうやって、参加宣言をした。
お祭り当日、
ヘンな感情が――去来しないかは、
そこはかとなく、不安。
不安、だけど。