「おや、新田くん、バトル漫画のネームかね? それは」
いつもと同じ口調で、後輩に話しかける。
「ふだん描(か)いてるのと、ずいぶん毛色が違うじゃないか」
新田くんは、
「元は、高校時代に構想を練ってたやつなんです。お蔵入りにしようかとも思ったんですけど、やっぱり捨てきれなくて、描き直してみたくて」
「ほうほう」
わたしが相づちを打つと、
「……なにかが足りないんですよね。もうひと工夫したい、というか」
「ほほう、具体的には?」
「作品の方向性の問題なんですけど……思い切って、女性キャラを極限まで減らして、すっごく男くさい作風にするか。それとも、むしろ女性キャラの戦闘要員を増やして、画面を華々しくさせるか――」
「――女子の戦闘要員を増やしたからといって、画面に華が増すもんかね?」
思わず、からかいのことばを言ってしまう。
苦笑いで取り繕(つくろ)う新田くんの様子を見て、
ちくり、と良心が少し痛んで、
こころのなかで、『ごめんね』を言う。
見かけでは、平静さを保っているから、
わたしが内心、からかったことを反省しているなんて、
新田くんは気づくこともなく、
むしろ、真に受けて、
「おっしゃる通りかもしれません――もうちょっと、考えを突き詰めてみます」
と神妙に言う。
恐縮めいた顔で、
「秋葉さんは――するどいですね。さすがです」
そんなにするどく指摘するつもりで言ったんじゃないんだけどな。
ただの、からかいだったんだけどな。
……内心は、そういう気持ちなんだけど、
それは、表に出すことなく、
いつもの口調で、
「そうかいそうかい。――まぁ、精進してくれたまえ」
と、新田くんに精進を促す。
そう。
いつもの、口調で。
× × ×
杉並区の某駅で下車する。
自宅までまっすぐ向かう。
共働きの両親は不在――もぬけのからのダイニングキッチンを通り過ぎて、自室のドアを開ける。
部屋に入ったとたん、下着姿になる。
下着姿になって、姿見の一点を見つめながら、思案する。
――どんな服を着て、『彼』に会いに行こう。
わたしはそう、思案する。
真剣に悩む。
なぜなら、『彼』に会うのだから。
あらかじめ、美容院には行ってきた。
『彼』なら、わたしの髪の微妙な変化には気づく、気づいてくれる。
……茶髪の色合いのこととか。
肝心なのは、服の取り合わせだ。
考えられるだけ、上下の組み合わせを考える。
そして、考えれば考えるほど、あたまのなかがこんがらがってしまう。
軽い自己嫌悪がやってくる。
……どうしよう?
サークルに行くのとは、わけが違うんだよ?
× × ×
ロングスカートを選んだ。
大学に一度も穿(は)いていったことのないロングスカート。
もし、サークルの面々が、いまのわたしの出で立ちを見たら、きっとビックリするだろう。
『風子、いったいどうしたの!? おかしなものでも食べた!?』
碧衣(あおい)ならば、そんなふうに言いそう。
…あー。
真備(まきび)は――彼女は、感づいてるフシもあるから、ひたすらニヤニヤして、
『どうしたっての風子~、あんたらしさが微塵(みじん)もないじゃ~~ん』
とか言ってきそう。
真備だけは…そういうふうに、あおってくるかもしれないけど、
ほとんどの人間は、眼を丸くすることだろう。
『顔の割りに背が低いよな』
そう言ったのは、『彼』だった。
そう言われたのは、もちろん、つきあいはじめてから。
……言われたとたん、心拍数が速くなった。
『顔の割りに背が低くて――風子のそういうところが、おれは、すごくカワイイと思うよ』
言われたことの意味が、すぐにはわからず、心拍数が加速するばかりだった。
『カワイイ』、と言われたという事実をようやく認識して、嬉しさ混じりの恥ずかしさで眼を伏せると、『彼』が左肩に手を乗せてきて、その弾みで――顔がものすごく熱くなった。
インターホンを押す。
『彼』が顔を出す。
緊張感がほどけて、『彼』と会えた嬉しさで、こころが満たされる。
「――いつ帰ったの?」
「もうずいぶん前から」
「そうなの。――ごめんなさい、待たせちゃって。要領が悪いよね、わたし」
「そんなこと言わない。風子」
「うん……ありがとう。あなたの言うとおりにする、『要領が悪い』なんて、言わないことにする」
「……ほんとうに素直だなあ、風子は」
「そうでもないって」
「おれの前では……間違いなく、素直すぎるぐらい、素直だ」
「買いかぶり過ぎだから。」
「……『素直って言われて嬉しい』って、顔に出てるぞ」
「そう……?」
「顔はウソつかないな。やっぱり、素直なんだ」
「……なのかも。」
サークル部屋では、決して使わないような口調。
『彼』に向かい合うとき特有の、声――。
「――キユキさん」
名前を呼ぶ。
「なに?」
キユキさんは訊く。
「――甘えさせて」
わたしは答える。
サークル部屋にいるときとは別人のような、甘い甘い口調で――。
「どうしたか。積極的な」
「恋しかったの」
「おれが?」
「あなたが」
「なんで」
「…なんでも」
「『なんでも』、か。
しょーがないなあ、風子は。」
わたしのあたまに右手を乗せて、撫(な)でつける。
撫(な)でられるたびに――子どもに戻ったような気分になって、
もっと、もっともっと、甘えたい気持ちが高まっていって、
じゃれつくように、
わたしは――キユキさんの胸に、飛び込んでいく。