羽田さんと、モーニングテレフォン。
『――センパイ、日曜はなんのレースがあるんですか?』
「お。あなたのほうから訊いてくるなんて」
『だって、センパイのおかげで、『日曜は競馬』っていう認識が完全に定着しちゃいましたし』
「あはは……罪だな、わたし」
『それで、日曜のメインレースは?』
「『オークス』っていうんだけどね」
『『オークス』』
「そう。…3歳牝馬の頂点を決めるの。言ってみれば、『牝馬のダービー』ね」
『牝馬のダービー! 熱そう!』
「条件がダービーとまったく同じで、東京2400メートル。桜花賞から距離が800メートルも伸びて――」
『――桜花賞勝ったソダシも出るんですか?』
「もちろん」
白毛の怪物牝馬・ソダシちゃんの認識まで、羽田さんに完全に定着しちゃってる。
わたしがソダシちゃんの画像をいっぱい送信したのがいけなかったのかしら。
『オークスも勝ちますか? ソダシ。まだ1回も負けてないんですよね?』
「うーん、無敗で2冠達成したらすごいんだけど……」
『危ないんですか? センパイなんだか言葉濁してるし』
「……そろそろ、負けるんじゃないかって」
『じゃあセンパイはソダシ以外の馬が本命なんですね』
「まあ、つまりは、そう」
『センパイの本命は、いったい』
「……アールドヴィーヴルちゃんって娘(こ)」
『ほ~っ』
羽田さんに…アールドヴィーヴル本命の根拠を言っても、しょうがない。
『ソダシよりキャリアが浅くて、上積みがありそう』
なーんて、彼女に言ったって、キョトーン、だよね。
…いや、いまの彼女なら、わたしの予想の根拠すらも、呑み込めてしまうのかもしれない。
危うい。
羽田さんが、どんどん、お馬さんの道に……。
『競馬は20歳になってから』って、酸っぱいぐらいJRAは言ってるし、
最近では、『のめり込みに注意!』みたいなことも、テレビCMのテロップにまで出している。
「ば、馬券買っちゃだめよ、あなたは」
『買いませんよぉ』
「す、スポーツとして、楽しもうね?」
『そうは言っても、葉山先輩にとっては『ギャンブル』でもあるんじゃないですかー』
「……」
『どんな買いかたするんですか?』
「……アールドヴィーヴルから、馬連総流し」
『それって、アールドヴィーヴルが2着以内に入ったら、即的中! ってことですよね』
「よ、よ、よく知ってるわね」
『たのしみ~~』
羽田さんには……、
人の道を、外れてほしくはない……。
× × ×
急速に羽田さんが競馬に詳しくなっていることに責任を感じつつも、
なんとかわたしは身支度をして、
家を出て、駅に向かう。
『牝馬のダービー』、なんだけど、
ことしは、サトノレイナスが、
牝馬のダービーじゃなくって、『日本ダービー』のほうに出るのよね。
紅一点。
どんな結果になるのやら。
ウオッカよりも、人気しちゃいそうだってところが、どうも――、
とかなんとか考えていたら、
あっという間に、湘南の某駅に電車が到着。
わたしも相当だな……。
羽田さんのこと心配してる場合じゃなかった。
……よし。
× × ×
「きょうは、土曜だから、2時半からBSテレ東だったよね」
完全にわたしの『パターン』を把握しているキョウくん…であったが、
「3時からにするわ。地上波」
「え、でも、いつもは――」
「喜んでキョウくん」
「――??」
「わたしといつもより30分長く部屋にいられるのよ」
…戸惑い顔だ。
「気を引き締めていかないと、と思って。それで、お馬さん観る時間も、短縮」
イマイチよくわかんないな…という、苦笑い。
わたしは続ける、
「それから、3時まで、お馬さんに関する話題はいっさいしない、って決めたから。
もしわたしが、『ウマ』とか口走ったら、怒ってね」
「どうして、そんな決意を……」
「自戒を込めて」
「えっ?」
「お馬さんよりも、もっとキョウくんが楽しくなる話を」
「おれは、むつみちゃんの競馬トーク聴くの楽しいけど」
「きょうは、競馬トーク、なし!!」
「わぁっ」
「……ごめん大声で。
でもきょうは、キョウくんに合わせたいのよ。
思う存分に、あなたの趣味の話を……ほらっ、鉄道車両だとか」
「むつみちゃん……」
「――鉄道雑誌が増えてる」
「わかるんだ」
「わかるわよ。これだけキョウくんのお部屋に来てたら」
本棚の、微妙な変化ぐらい――お手のもの。
彼のお部屋で、彼と向かい合っていたところだったのだが、
「いっしょに見ましょうよ――雑誌の写真」
そう言って、わたしのほうから立ち上がり、
本棚に歩み寄って、某有名鉄道雑誌の最新号を抜き取って、
――キョウくんの側(がわ)に来て、
腰を下ろし、手前に雑誌を置き、グラビアページを開き、
彼の左肩に、わたしの右肩をぴたっ、とひっつけて、
「はい。準備完了」
焦り気味に彼は、
「準備完了…って、なに」
落ち着き払ってわたしは、
「写真見て楽しむ準備に決まってるでしょう」
「……なぜ、わざわざ、おれ側(がわ)に」
「向かい合ってたら、せっかくの新車両の写真が、逆さまにしか見られないじゃない」
「そんなに……見たかったんだ」
「積極的すぎたかしら?」
ドギドギマギマギして、ことばが喉(のど)から出なくなってくるキョウくん。
「ねえ~っ、なんとかいってよ~っ」
構わず、さらに積極的に、わたしは彼を揺さぶっていく。
罪深く、彼のからだにもたれかかって、
「…新車両どころじゃ、なくなっちゃったりしてる?」
じっと固まるキョウくん。
「…別の意味の『準備』みたいに、なっちゃったかしら」
そうやってわたしが揺さぶり攻撃をかけると、
やっと、あえぐようにことばをひねり出して、
「積極的すぎるよ……むつみちゃん……」
「ウソ、ウソ。前言撤回」
「……に、したって」
「わたしのからだ……暑苦しかったり、する?」
「ぜ、ぜんぜんっ」
「ありがと」
「……」
「じゃあ、このままの体勢でいいよね、しばらく」
「……」
「ドキドキさせちゃってるかー」
「……」
「大事件が起こった、って顔。あなたの、いまの顔」
「……」
「キョウくん」
「……」
「日焼けした?」
「……」
「したでしょ」
「……」