【愛の◯◯】21世紀世代の90年代J-POP雑感

 

サザンオールスターズの『太陽は罪な奴』を流している。

ほかにもいい曲はあるけど、90年代のサザンの曲だと、これがいちばん好きだな。

96年とかだっけか?

もちろん……産まれてはいない。

 

太陽は罪な奴』に引き続き、90年代のJ-POPの名曲が流れていく。

そういうプレイリストを作ったのだ。

 

おれのプレイリストに聴き入っていたギンさんが、

「90年代特集かい」

「はい」

「いろいろ意見はあるかもしれないが――『J-POP』っていったら、やっぱり90年代だな」

「やっぱりギンさんもそう思いますか」

苦笑いしつつ、

「産まれたのが、98年とかだから――リアルタイムで、こういった楽曲を、ぜんぜん享受(きょうじゅ)はしてないんだけどね」

享受、か――。

「ルミナがさ、」

ギンさんは続ける。

「90年代J-POPにずっとハマってるんだ」

「あー、ルミナさん、そうでしたね」

思い出す。

おれが出会ったころから、ルミナさんはそういう音楽的嗜好だった。

にしてもルミナさん、

もうとっくに彼女の認識が『社会人』という認識になってしまってて、

大学生時代の彼女に……もはや懐かしさのようなものまで感じてしまう。

ピアノが弾けるようになったルミナさん。

児童文化センター勤めのルミナさん。

 

「…あいつ、妙なところがあって」

「妙なところ?」

「…初期のドリカムしか、知らないんだ」

「初期のドリカムっていうと…」

「もうほんとにごくごく初期。

『決戦は金曜日』とか『晴れたらいいね』とか、あのあたり」

「それって――30年近く、前ですよね」

「ほぼほぼ30年だな」

「すごいですね…」

「…まぁ、産まれる前の音楽だからって、いいものはいい。それも、真理なわけだが」

「たしかに」

「ちなみに、ルミナは、さらに妙なドリカムの聴き方をしていてな」

「?」

「『決戦は金曜日』は、木曜日か金曜日にしか聴かないらしい」

「えっ、なんですか、それは」

思わず笑いがこみ上げてしまう。

「戸部くんも笑っちゃうだろ? ものすごい『自分ルール』だよなぁ」

吹き出したら――失礼だが、お互い、笑い出すのを避けられない。

 

「アツマさん。90年代っていったら、ぼく、はるか昔のように思ってしまうんですけど――」

ハイトーンボイスで、ムラサキが話に加わってきた。

「産まれる前なので、どうしても」

「――ムラサキは2002年産まれか?」

「ハイ」

「じゃ、おれとそんな変わらんな」

「え? 変わらない??」

「おれ、早生まれで、2001年1月なんだ」

「アツマさんも、21世紀産まれ……」

「ああ。21世紀の申し子って感じさ」

「……意外でした」

「意外か? でも、そうなんだ」

「アツマさん、貫禄あるので……」

「おお」

「90年代のJ-POPも……まるで、見てきたんじゃないかと」

さすがにそりゃ言い過ぎだ、ムラサキ。

「アラサーじゃねーんだぞっ」

おどけて言うおれ。

「そ、そうでした。貫禄あるといっても……まだ、お若い」

「そんなにオドオドすんなよっ。おれはぜんぜん怒ってないんだから」

つぶらな瞳のムラサキ……。

ムラサキ特有の、幼さだ。

 

「2001年1月かあ」

ギンさんがポツリ言う。

THE YELLOW MONKEYの活動休止が――、ちょうどそのころだった気がするな」

お詳しい。

 

× × ×

 

邸(いえ)に帰ってからも、90年代J-POP詰め合わせのプレイリストを再生している。

帰りが早かったし、愛やあすかが部屋に押しかけてくる心配もない。

つかの間の平和だ。

つかの間の平和を、『享受』するのだ。

 

……。

ふと、思う。

the brilliant greenがブレイクしたのが……たしか、98年だったはずだが、

the brilliant greenがブレイクしたあたりから、

なんだか――邦楽の『音』が、変わってきてるような、そんな印象を受ける。

確証はなんもない。

雑感というだけ。

ただの印象論。

 

でも――たとえば、the brilliant greenの『There will be love there -愛のある場所-』と、90年代中期の小室ファミリーミスチルの楽曲なんかを聴き比べると、サウンドが――やっぱり違ってくる気が、するんだよなあ。

これは、the brilliant greenだけじゃなくて、同じ年に大ブレイクしたL'Arc~en~Cielの当時の楽曲を聴いてみても、似た感想を抱く。

 

――素人意見。

宇多田ヒカル登場の少し前から、邦楽のサウンドが明確に変わってきていた……』

論文で、証明できるわけでもなし。

そもそも、『サウンド』ってなんだよ、『サウンド』って、定義しきれないじゃねぇか……というお話。

 

それこそ、

音楽マイスターの愛や、ガールズバンドのギターやってるあすかに、ご意見をうかがってみたら、

おれの見識も――少しは、深まっていくか。

いくよな。

 

ところで、

the brilliant greenのボーカル――川瀬智子のボーカルは、

何度聴いても、新しさを感じる。

『There will be love there -愛のある場所-』は、もちろんおれの産まれる前の楽曲だけど、

だれがなんと言おうと、新鮮に聴こえる。

産まれる前の曲だけど、ボーカルが新しいんだ。

わかってくれねぇかなあ? だれか、この感覚を。

 

温故知新、って言うんだろうか――。

the brilliant greenで、温故知新か。