ものすごい速さで、玉ねぎがみじん切りにされていく。
お見事な包丁さばき。
「……どーしたんだ?」
あ。
気づかれた。
厨房の彼を覗きこんでるの、気づかれちゃった。
「えーっと、
んーっと、
その……、ハヤシライス、とっても美味しかった」
少年のような彼は笑って、
「それをわざわざ俺のとこまで言いに来たってか!」
「だって……ほんとうに美味しかったし」
それと。
「あなた……大学に通ってるわけじゃ、ないわよね?」
「なんでわかった?」
「――正直言って、高校生っぽいし」
ガクッとくる彼。
「そんなガキか、俺」
「子どもっぽいって言ってるわけじゃないの。
あの、わたし、4月から第一文学部の1年生で、きょうはキャンパスの下見で来たんだけど――」
「なら、話が早いな。18歳なんだろ? あんた」
「そう。18。現役で受かったから」
「浪人してるようには、とても見えなかったから」
「……そこまで、わかるんだ」
「たくさん大学生を見てきたからな」
「……『18歳なんだろ?』ってわざわざ確かめるってことは」
「そうだ。俺も18だ。
普通なら――高校卒業したてのホヤホヤ、ってところだ」
『普通なら』?
× × ×
「えっ!? 高校、行ってないの」
カフェテリアの営業時間が終わったあとで、彼が、話す場を設けてくれた。
がらんとした食堂のなかで、客席のテーブルでふたり、向かい合っている。
完璧に、アツマくんを待たせることになってしまうのだが、
ま、いいや。
アツマくんが怒ってきたら、怒られよう。
それよりも。
「父子家庭ってこともあったけど、高校行く余裕、なくってさ。中学出たらすぐに、ここに入ったんだ。ま、親父の伝手(つて)、ってやつだな」
じゃあ、ほかの子が高校で3年間ぬくぬくと過ごしているあいだ、この子は――調理場という現場で、揉まれて。
「――板前修業みたい。」
思わず、月並みなことを言ってしまったのだが、
「そんな大それたもんじゃねーよ」
右手をヒラヒラと振って、彼は謙遜する。
及川太陽(おいかわ たいよう)くん。
「及川くん……」
「太陽、でいいよ」
「じゃ、じゃあ、太陽くん、」
「なんだい」
「ヘンなこと、言うみたいだけど……太陽くんの手、料理をしている人の手、って感じ」
「なにそれ」
「わかるんだもん。
わたしも、日常的にお料理、してるから……。
もちろん、あなたほど、料理の腕があるわけじゃないよ?
でも……」
「でも、?」
「少しは、わたしも、料理の腕には自信、あったの。
だけど、太陽くんのハヤシライス食べて、
『世界は広いんだな』って、そう気づかされて」
井の中の蛙(かわず)、ってフレーズが、ぴったり。
太陽くんは椅子にもたれて、
「『世界は広い』――か」
どうしてか、意味深な表情になって、
「俺も――つい先日、『世界は広いなあ』って経験をして」
× × ×
「あんたと同じように、ハヤシライスを頼んだ女がいたんだよ」
「うん……」
「そんでもって、あんたと同じように、その女も厨房に声をかけてきたんだ」
「……なんて?」
「それがな、生意気な奴で。
『なかなか頑張ってるけど、わたしの舌を唸(うな)らせるには、まだまだね』
って。」
えっ?
えっ!?
『わたしの舌を唸らせるには』って言い回し、
さっき、アカちゃんのお邸(やしき)で、聞いたおぼえが――。
「――『政治経済学部の食堂が物足りなかったから、こちらまで出向いたのだけど、あなたの作る料理の味のほうが上なのは、認めてあげる』とか、あることないこと上から目線で言ってきやがって――」
せ、
午前中、アカちゃん邸(てい)で会ったあの娘(こ)も、
「あの、太陽くん。
その娘、さ、
『古木』って、名乗ったり、してなかった?」
「なんでわかったんだぁ!? すげーな、あんた」
「い、いえ、心当たりがあったのよ」
「知り合い?」
「今朝、知り合った」
「へえ」
「……そうか、自分から名乗るタイプだったのね、やっぱり」
「苗字の『古木』はおぼえてたんだけど……。
あの女の下の名前が、あいまいで。
小麦粉、みたいな――」
「紬子(つむぎこ)、ね」
「あー、そーだそーだっ」
古木紬子(ふるき つむぎこ)。
アカちゃんのお友達で、某有名レストランチェーンのお嬢さま。
アカちゃんいわく『食通』で、味に人一倍うるさい女の子……。
きょうの午前中、出会ったばかりの紬子ちゃんは、
わたしに強烈なインパクトを与えてきたのだった。
× × ×
「おっせぇよ。時間潰すのも、ひと苦労なんだからな」
「ごめんごめんごめん、アツマくん」
「3回ごめんと言ったら許すとでも思ったか」
「帰ったら、なにをしてたか、ちゃんと説明するから」
「…なんか長くなりそうだな」
「アツマくん、わたしね」
「…?」
「きょう、キャンパス下見してさ。
『わたしの知らない世界があるんだな』って、思った。」
「…なんじゃいそりゃあ。おまえはいったいなにを見たんだ」
「それと。
『男の子も、いろいろだよね』、って」
「ますます話が見えてこない…」
「ふふ♫」
同年代の、男の子でも、
太陽くんみたいな人生を送ってる子もいる、ってこと。
現場で3年間揉まれてるんだから、
太陽くん、アツマくんなんかよりも、精神年齢、高いんだと思う。
そして、
太陽くんと、紬子ちゃんの、カフェテリアでの衝突。
その出会いは、
ボーイ・ミーツ・ガールめいて……。
これからも、
いっぱい、波乱、起きそう。