【愛の◯◯】洗面所でなぐさめて

 

終業式なので、半日で終わり。

 

帰ろうと思って教室を出たら、さやかが廊下の窓際で、なんだか黄昏(たそが)れている。

 

「どうしたのよ」

「愛……」

「調子でも悪いの?」

「ううん」

さやかは首を振って、

「ただ……この前、面談でね、『気を引き締めないとダメだよ』って、担任の先生に言われちゃって」

そうだったかー。

「受験勉強がはかどらないの?」

「正直ね。ペースが、上がってこない」

 

なにか、理由があるんだろう。

その理由――わかっちゃったかも、さやか。

 

さやかの右肩を、左手でぽん、と軽く叩く。

「わたしん邸(ち)来なよ、さやか」

「え、このあと!?」

「心配だから、ついていてあげたい」

「心配してくれるのは、うれしいけど……」

「ゆっくり話もしたいから」

「話って――」

言いかけて、ハッとなにかに気づいたような表情になるさやか。

「親友同士じゃなきゃ、できない話がしたい」

わたしがそう言うと、

「――参ったな、愛には」

苦笑いしながらさやかが言うから、

「来てくれる?」

「親友の頼みは断れないよ」

「やった!」

「その代わり――お昼、食べさせてよね」

きょうの昼食当番がアツマくんだったことを思い出し、一抹の不安をおぼえながらも、

「もちろんだよ」と、わたしは答えた。

 

 

× × ×

 

「おじゃまします」

「ただいま~」

ふたり揃って、お邸(やしき)に入る。

なんだか、冷え冷えとしている。

空調がおかしい。

暖房が足りない。

 

「おや、さやかさんもいっしょなんか」

ノコノコとやってきたアツマくんに向かって、

「寒いんだけど」

と苦情を言う。

「暖房、もっと効かせてよ」

「おれとしては充分暖房入れてるつもりだが……」

あなた基準で考えない!

みんながみんな寒さに強いわけじゃないのよ、アツマくん。

「エアコンの温度上げて。そのあいだにわたしはお昼ごはんの下ごしらえしておくから」

 

× × ×

 

「やればできるじゃないの」

キッチンから戻ってくると、部屋が暖まっている。

「3人分の下ごしらえしてあるから、あとは自分でやってね」

と本来の昼食当番のアツマくんに指示。

「くれぐれも分量を間違わないでね。3人分よ」

「言われんでもわかってるよ」

「わかってるなら早くキッチンに行って」

 

大丈夫なんだろうか。

「味付けがヘンだったら、遠慮なく罵倒していいからね、さやか」

「…そこまでアツマさんの料理の腕を疑わなくたって」

「家事全般がダメなのよ、彼」

ソファにもたれかかって、思わずため息。

「得意なのは――お風呂掃除ぐらい」

「あ、たしかに得意そう」

「体力仕事だもん……そういうときだけ、役に立つ」

「辛口だねえ、いつもながら」

「だっていつまでたっても上達しないんだもん」

「家事が?」

「家事。」

「――いいじゃん。そういうのを補って、余りある魅力があるんだから」

左手で頬杖をつきながら、さやかはアツマくんを持ち上げる。

「家事が苦手なのだって、欠点よりもむしろ、魅力になりうる」

「言い過ぎ、言い過ぎ」

「言い過ぎかなあ?」

頬杖をついたまま、微笑みつつ、

「わたしは――アツマさんは、かっこいいと思うよ」

 

……言い切られて、返すことばが、思い浮かばない。

 

かろうじて、

「た、単刀直入ね」

と言うのが、精一杯。

 

「妬(や)いてるとか、そういうわけでは全然なくってさ。ただ純粋に、『かっこいい』って思ってるだけ」

 

でも……、

 

「あなたのお兄さんには、かないっこないでしょう?」

「そりゃそうだよ」

 

もうひとり……、

 

「……荒木先生にも」

 

きょう初めて、荒木先生の名前を出した。

 

すると、さやかが切(せつ)なそうな顔になりかけているような気がしてきた。

 

まずいかも。

パンドラの箱、開けちゃった?

 

「愛」

切(せつ)なげにさやかは呼びかける。

「おなか……すいちゃったね」

 

× × ×

 

 

「美味しかったじゃん。わたし、あんなにうまく作れない」

 

それはよかった――けれど、

荒木先生絡みで、さやかのデリケートなところに触れてしまったみたいな感じがあって、

食事中、気が気でなく、味なんかわからなかった。

 

「おなかいっぱいになったよ」

わたしの部屋。

なぜか心拍数が速くなっているわたしに、

「くつろいでいいかな」

カバンをどさぁっ、と置いて、訊(き)いてくる。

「どっどうぞ、くつろげるだけくつろいで」

わたしの焦りが伝わったのか、

「あんたの部屋でしょーが」

まったく……と言いたげな顔で、

「『心配だ』って言い出したのは、あんたのほうでしょ」

はい、そうでした。

「こっちのほうがあんたを気づかっちゃうよ」

だって、だってね。

「さやか、

 ごめん……荒木先生とのこと、そっとしておいたほうが、よかったかな?」

心臓、バクバクになってきた。

対するさやかは、いたって平静で、

「――『親友同士じゃなきゃできない話』って、そういうことだったんじゃないの?」

「そうだよ。

 荒木先生とどうなったのか、訊こうと思ってた。

 もしかしたら、荒木先生とギクシャクしちゃったんじゃないかって、実はわたし、考えてたの」

「いつから?」

「あなたが『荒木先生にバイオリン聴かせた』って知らせてきてから。

『聴かせた』という事実だけで、詳しくは教えてくれなかったじゃない? そこが、気になって。

 受験勉強が思うようにいかないのも、荒木先生とのことが、引っかかってるからじゃないかって。

 でも……さっき、リビングで荒木先生の名前を出したとたん、あなたの様子が変わった気がしたから、やっぱり、触れてはいけないことだったのかな……さやか、あなたが不都合なら、この話、ここで終わりにするよ」

 

一気にしゃべってしまった。

 

さやかは、ふぅ、と息を吸って、

 

「……優しいね、愛は」

「無理に話そうとしなくたっていいよ。そっと見守るのも……親友の務めだから」

「……荒木先生にバイオリン聴かせたときのこと、詳しく伝えようとしなかったのは、わたしが不誠実だったよ。ごめんなさい」

「伝えるのが……つらかったり、するんじゃないの」

「伝えないと――もっとつらくなるばかりな気がしてきた」

 

胸が苦しくなる。

 

「――アツマさん、上がってこないよね?」

苦笑いで、

「ま、不都合じゃないや、そこは」

 

さやかは――強い。

女の子にモテるのも、わかる。

 

「愛。

 これから、ほんとうのこと――話すよ」

 

 

× × ×

 

 

わたしは泣きそうになっていた。

 

もっと、もっと早く言ってくれればよかったのに!!

 つらい思いを、そんなに抱えて……。

 よく、耐えられたよね……さやかも

 

「もらい泣き、するほど?」

するほど!!

 

涙といっしょに――荒木先生に対する怒りが、こみ上げてきた。

 

「荒木先生が悪いんだよ、それは。全面的に荒木先生が悪い」

「愛がそう思うのも、理解できなくはないけどさ。わたしだって、ワガママだったんだ」

 

さやか――なんでそんなに落ち着いてるの。

このままでいいの。

このままでいいわけないでしょ。

 

さやか……どう、なぐさめてほしい?

「……いま、なぐさめられるべきは、愛のほうだよ」

意味わかんないこと言わないでっ

「泣きじゃくってるじゃないの」

だって……

「アツマさんに、なぐさめてもらいなよ」

なにいってんのよ……さやか、バカっ

 

× × ×

 

部屋を飛び出して、

階段を下り、

洗面所に急行する。

 

顔を洗って、

さやかの悔しさといっしょに、

涙をぜんぶ拭い去ろうとする。

 

――タオルに顔を埋(うず)めるようにしていると、

 

「どうしたんだぁ?」

 

なにも知らないアツマくんが、近くにやってくる。

 

タオルを投げつけるわたし。

 

「なんだよ、乱暴だな」

「なんにも知らないくせに」

「……はぁ?」

 

駆け寄って、正面から抱きつく。

 

なぐさめて。さやかのぶんも、なぐさめて

「意味わからんぞ」

わかんなくっていいから、とにかくなぐさめて

「ん……」

 

わたしをグイッ、と引き寄せるアツマくん。

あったかい。

そう、その調子よ

「……さやかさんとケンカしたとか、そういうわけじゃなさそうだな」

違うの。でもさやかだってつらい思いしてるから、あとでさやかもなぐさめてあげて

「ええ……どうやって」

かっこいいところ見せてよ

せっかく、さやかが「かっこいい」って言ってるんだから!

 

決めた。

アツマくんをわたしの部屋に入れて、

3人で話をしよう。

さやかのこれからについての――『作戦会議』だ。

 

荒木先生、

年が明けたら、待ってなさいよ。