姉の誕生日プレゼント選びは難航したが、甲斐田部長の協力もあって、どうにかプレゼントする物を決めることができた。
断りを入れて、KHKを休ませてもらい、お店でプレゼントを購入して、お邸(やしき)に帰ってきた。
× × ×
リビングでアツマさんが本を読んでいた。
いつもより、知的な感じがする。
ぼくが「ただいま」を言うと、
「おーおかえり利比古」
「読書中でしたか」
「たまには、な」
「珍しいですね」
「うぐ」
「アッ……すみません」
「ま、まぁ、大学生だし、それに文学部ということもあって、読書しないわけにはいかないんだ」
アツマさんが読んでいたのはフォークナーという作家の小説だった。
アメリカ文学の巨匠。
ぼくは――名前しか知らない。
「英米文学専攻だからさ、読んでないとマズいと思って」
「ずいぶん分厚い文庫本ですね」
「そうなんだよ。ページ数多いんだよ。いつまでたっても読み終わらない」
「それはハードですね」
「ハードでヘヴィーだ」
「物理的にも、内容的にも……」
「ヘヴィーなんだなこれが」
フォークナーを読むことを「ちょっとした肉体労働だよ」とアツマさんはたとえた。
大学生の読書も、たいへんなんだなあ。
「それはそうと、きょうは部活に行かんでもよかったんか?」
「用事があって休ませてもらいました」
バッグの膨(ふく)らみに眼が留まったのか、
「ははぁ。……なにか買ったんだな」
「そうです。用事ってのは買い物で」
「わかる、わかるぞ利比古」
「わかりますか」
「あさってだもんな」
姉の誕生日。
「ハイ…。バレないようにしないと。仮にいま姉が帰ってきたら厄介なことに」
「大丈夫だ。心配するな。あいつは『きょう帰りが遅くなる』と言っていた」
「よかった。それ聞いて安心しました」
ひとまず安心、だったのだが、念のため、バッグは自分の部屋に運び込んでおいた。
× × ×
そしてふたたびリビングに下りた。
フォークナーを読むのに疲れたのか、文庫本をテーブルに置いて、座ったまま軽くストレッチをしているアツマさん。
「骨が折れますね」
「いろいろとな」
「読書だけじゃなくって」
「そうなんだよ。
……お互い、気を遣うだろう?」
「姉に対して、ですよね」
「おれも誕生日プレゼント買うのに苦労したんだ」
「わかります、その苦労」
「わかるだろ? ――文房具買ってやりたくて専門店に行ったんだけど、どうしても決められなくって立ち往生しちまって」
「ひとりじゃなかなか決められませんよね…」
「店員さんの助けを借りて、なんとか選ぶことができた。情けねえ」
「――ぼくは、品物選びの段階でつまずいて。姉が喜ぶものを! と思ったんですけど、候補が、いくつもありすぎて」
「多趣味だもんな、あいつ」
「そこなんですよ。音楽と本以外にも、好きそうなものが、次から次へと思い浮かんで」
「『音楽と本、それからそれから…』って感じか」
「まさに」
お互い、苦笑いだ。
「だけど、やっぱり姉は文学少女だよね…ということで、けっきょく読書にまつわるアイテムを買いました」
「読書にまつわるアイテムって、アレだろ」
「どれですか?」
「いま言ったら面白くないからな~」
「アツマさん、もうお見通しなんでしょ」
「そーだ、お見通しだ」
「あさってが楽しみです」
「楽しみといっても……サプライズ的な要素は薄いと思うがな」
「だれか、意外なプレゼントを用意していないものか」
アツマさんはニヤリ、と笑って、
「用意してるとすれば――流さんだな」
× × ×
流さんやあすかさんは、いったいどんなプレゼントを用意しているんだろう。
× × ×
夜。
あすかさんが、テレビを観ている。
いつもと違うのは、あすかさんがポニーテールにしているということだ。
「野球は終わったんですか?」
「きょうは試合ないの」
「そうでしたか」
「あしたも試合ないの」
「そうなんですか」
「……相づちの打ちかたがワンパターンね」
「そうでしょうか……」
斜(はす)向かいのソファに座る。
あすかさんのポニーテールが、どうしても気になってしまう。
「わたしのポニーテールのほうが、テレビ画面より気になるみたいだねー」
一瞬で見透かされた!
「無理もないか。滅多にしないんだし。
たまーに、たまーーにね、おねーさんとお揃いでポニテにすることあるの」
ぼくは見たことがない。
「髪が長いから、おねーさんのほうがポニテ似合っちゃうんだよ……くやしいな」
全然くやしそうには見えませんが。
姉は部屋にこもって勉強中である。
「きょうおねーさん帰り遅かったね」
「『友だちと遊ぶから帰りが遅くなる』と言っていたそうです」
「だれに?」
「アツマさんに」
「ふ~ん」
あすかさんはどうでも良さげな素振(そぶ)りだったが、
「……この時期に、『友だちと遊んでから帰る』というのはどうなんでしょうか」
「いいじゃん、その代わりいまは猛勉強中なんだからさ」
たしかに、姉は、要領よくやってはいるんだが、
「たぶん、姉はゲームセンターに行ってたんだと思います」
「行ったらダメなの?」
「……最近の、UFOキャッチャーに対する姉のハマりようは、あすかさんもご存知ですよね」
「ご存知」
「のめり込みの度合いがぼくは気になるんです。ああいったものにうつつを抜かして、肝心かなめの学業がおろそかになるなんて、お姉ちゃんらしくもない……!」
「わたしに不満ぶつけてもしょうがないよ」
「それはわかってるんですけどっ!!」
「そこらへんは自分でケジメつけてるよ。あなたも弟なんだから、自制心あることぐらい、わかってるでしょ?」
お姉ちゃんが道を踏み外さないことぐらい、わかりきっている。
それでも……憤(いきどお)りと不安が、入り交(ま)じる。
「利比古くんがナーバスになってどうするの」
「わかってます。だけど、どうしても……」
「なんでひとりだけで抱え込んじゃうかなあ」
「それは、家族だから……」
「わたしだって家族だよ」
あすかさんのそのことばが、胸を突く。
「お兄ちゃんだって、お母さんだって、流さんだって、おねーさんの家族だよ。気にかけているのは、利比古くんだけじゃない。だから、きっと大丈夫。UFOキャッチャーとか、そんな些細(ささい)なことで、いろいろ背負(しょ)い込まないで。そんなこと気にするぐらいなら、おねーさんを全力で応援してあげようよ。
ねっ?」
× × ×
勉強中の姉の部屋を、ノックする。
「差し入れを持ってきたよ」
「あら、ありがとう利比古。そこのテーブルに置いておいて」
差し入れをテーブルに置き、その場に腰を下ろし、
「お姉ちゃん。ちょっとだけ――いいかな?」
キョトーンとする姉に、
「こっちに座ってよ」
「どーしたの?」
「えーっと……」
「眼が泳いでるよ」
「そんなに泳いでないから……」
「……お説教でもしたいの?」
余裕の笑い顔。
「――あすかさんのポニーテールを見るまでは、お説教をするつもりだった。」
「え、話が見えてこない」
「だけど――あすかさんのポニーテールの威力は抜群だったよ。きっと――お姉ちゃんのポニテも、破壊力がすごいんだろうな」
「……話がますます見えてこないよ?」
「お姉ちゃん。
ぼくは……がんばってほしい」
「あ、はい」
「ぐっ具体的にはっ! 勉強をがんばってほしいのは、もちろんなんだけどっ」
「うん」
「UFOキャッチャーも……全力でがんばってほしい」
「もちろん…」
「でも最優先は受験勉強だよ?」
「もちろん♪」
「それから! あさってはお姉ちゃん誕生日だけど――」
「ん?」
「――がんばってね、お姉ちゃんの誕生日」
「いやなにをどうやってがんばれっていうの」