アツマくんがなかなか起きてこないので、部屋に起こしに来た。
「アツマくん、起きてよっ!」
しかし、寝息を立てて、爆睡するばかり。
からだを揺さぶっても、ビクともしない。
そこで、最終手段に出ることにした。
ベッドの中にもぐり込んで、無理やりアツマくんのからだを揺り動かして、起こすのだ。
わたしが掛け布団の内部でアツマくんと格闘しまくってようやく、彼がガバァッと起き上がった。
掛け布団をかぶったまま、「ようやく起きた。世話が焼けるんだから」とわたしが言ったら、
「何やってんの? おまえ」
「何やってんのじゃないでしょ。どんだけあなた起こすのに努力したと思ってるの」
「や、布団から出ろや」
静かにわたしはアツマくんのベッドから脱出した。
溜め息混じりに首をかしげるアツマくん。
何が気に食わないの。
「何が気に食わないの」
「やりすぎだとは思わないか」
「やりすぎ!? どういうことよ」
「おれの布団の中まで入って来なくてもいいだろーが」
「だってそうしないと起きてくれないじゃん」
「別に方法があるかもしんねーだろ」
彼はベッドから降りて、
「ほら、出た出た、着替えるから」
「……納得できないもん、わたし」
「何がだ」
「アツマくんのベッドの中に入って何が悪いの」
「あのなー。スキンシップにも限度があるんだよ。ベタベタしすぎなんだよ、おまえは」
カチン。
「ずいぶん冷たいんだね、アツマくんは」
「冷たかない。もっと道理を弁えろ」
「わたし必死にアツマくん起こそうとしてたんだよ!? ベタベタしすぎも何もないんじゃん」
「だからって布団の中に入ってくるのは度を越してると思わんのか? いいか、おれに甘えんな」
「甘えんなですって!? 別に甘えてないじゃん、善意でただ起こそうとしただけじゃん。何度も何度もからだ揺すったのに、甘えてるのはどっちよ!?」
「……いいから出てけ」
「わからずや!!」
すんでのところで、
平手打ちするところだった。
こうして朝っぱらから、わたしとアツマくんは冷戦状態になった。
× × ×
登校してからも、怒りは収まらない。
どう考えても、わたしが正しくて、アツマくんがまちがってる。
わたしからはぜっっっったい謝らない。
そう心に決めて――極度にイラつきながら授業を受けた。
そしたら、呆気なく、午前中の時点でアカちゃんに気づかれた。
「愛ちゃん、なんかストレスでもあるの?」
「――イライラしてる」
「だれかに怒ってるみたい」
「そうよ……怒ってる」
「わかっちゃった、だれに怒ってるのか」
「……」
「はやく仲直りしないと、もったいないわよ」
そしてアカちゃんは、そっと優しくわたしの手を握った。
× × ×
あっという間に放課後。
いちおう文芸部に来て、本のページとにらめっこしている、ふりをする。
実のところ、文字が意識をすり抜けて、本が何をいっているのか全然理解できない。
「どうしたんですか羽田センパイ? 同じページをいつまでも見続けて」
川又さんの鋭い指摘。
「心ここにあらず、ですね。センパイにしては珍しいけど、以前にもこういうことがあった気が」
焦りに焦ってわたしは、「川又さんは記憶力がいいんだね」と言うのが精一杯だった。
「センパイ」
「はい、何かしら、川又さん」
「ウチの喫茶店――、新しいコーヒー豆が入ったんですよ」
× × ×
それは、かなり斬新な川又さんの誘い文句だった。
新しい豆で挽いたコーヒーの味を試してほしいという川又さんの誘いを、無碍(むげ)にも断るわけにはいかなかった。
わたしコーヒー好きだし。
コーヒーのためならどこまでも。
川又さんの実家は喫茶店である。
店内は木造りで、いかにも喫茶店!! な雰囲気が、わたしの殺伐とした心を和らげてくれる。
BGMはジャズピアノのレコード。
ビル・エヴァンスには少し早い時間帯な気がするけど、ビル・エヴァンスの奏でる音色が、否応なくわたしの荒涼とした感情を癒やしてくれる。
天才なんだな――、わたしがどうやっても出せないようなピアノの音。
「おまたせしました」
お店の制服に着替えた川又さんが、新しい味のコーヒーを持ってきてくれる。
「ありがとう、川又さん。
似合ってるね」
「えっ」
自分の制服を見て恥ずかしそうにする川又さん。
「美味しい……。
あたまがスーッとしてくる。
川又さん、さっきはごめんね、文芸部で。
なんかヘンだったよね、わたし。
落ち着きがなかったんだ。
誘ってくれて、助かったよ。
ありがとう。
美味しいコーヒーと、川又さんのおかげで、
わたし、自分を見失わずにすんだ」
「……なにか、トラブルでもあったんですね。」
「今朝ね。邸(いえ)でトラブっちゃった」
「夫婦喧嘩ですか」
あ……。
「……なにか言ってくださいよ~、センパイ」
川又さんの、悪気のない微笑み。
「アツマさんってたしか、喫茶店でバイトされてるんじゃなかったですっけ?」
「だっ、大学の長期休みの時だけだよ」
「アツマさんは、センパイにコーヒーを淹れてくれないんですか?」
あ……。
考えてもみなかった。
「きっと知ってますよ、アツマさん、美味しいコーヒーの淹れ方!」
「知ってる…かなぁ?」
「頼んでみたらいいじゃないですか、コーヒー淹れてほしい、って」
「頼めるかな、いまの状態で……けーっこうギスギスしちゃってるよ」
「じゃあ、もう一杯コーヒー飲んでいってください、
それで勇気を出してください。
どうせおごりなんですから、遠慮しないで」
「コーヒーで勇気、出るかなぁ」
「わたしが勇気を込めますから」
× × ×
「あ、
あ、
アツマくんっ」
「なに?」
「あのね……、あのね」
「……なんだよ。」
「えーーーーーーーーーっと、
『わからずや』なんて言って、ごめんね。」
「気にしてない。
おまえが素直で、うれしい。」
「わたしからの要望は……できるだけ他人(ひと)の手を借りずに、朝は起きようね」
「ああ…そのつもりでいる」
「それでね、
わたしからの要望、もうひとつあって。
んーーーーーっとね、
うん、
あるんだ、お願いしたいことが、」
「あんまり歯切れ悪いと聞いてやんないぞ」
「イジワル。こっち向いてよ」
「チッ」
「舌打ちはよくない。」
「るせっ、お願いあるんなら早く言っちまえ」
「こっち向いて。」
「あーもうわかったよ」
「はい、よろしい。」
「よろしいじゃねえ」
「お願いがあるの」
「いやそれはわかってるから!」
「コーヒー、……淹れてくれない? わたしに」
「――なんじゃいそりゃ」
「あったかいコーヒーを、わたしに淹れてください。
お願いします。
『リュクサンブール』で、少しは習ったんでしょ? 美味しいコーヒーの淹れ方」
「――巧(うま)く出来るかどうかは、わかんねーけど」
「淹れてくれるんだ。
うれしい♫」
「そんなにうれしいか」
「アツマくんだもん♫♫」
「時間かかるかも、だぞ」
「いいってば~~もう」
「それと、」
「??」
「『甘えんな』って言ったの――マズかったな。
謝るよ。」
「アツマくんって――あったかいね。」
「どういう比喩だ、突拍子もなく」
「え、言葉どおりよ。
気持ちがあったかいじゃん、アツマくんはさ」
「……」
「からだもあったかいけど」
「……相変わらず一言多いな」
「どういたしまして」
「こんにゃろ」
「♫~」