【愛の◯◯】迷走、錯乱、一ノ瀬先生

 

中間テストも、きょうで終わり。

いつもより早い金曜の放課後。

保健室も、閑散としている。

「あーっ今週も終わった、終わった」

両腕を前に伸ばしながら、思わず声を出す。

養護教諭らしからぬ身振りだったかしら。

誰も見てはいないといえ、あまり褒められたものではなかったかも。

 

じつは――連勤で、ちょっと疲れている。

まぶたがちょっと重い。

養護教諭らしからぬ消耗ぶりで、当然、褒められたものではない。

いけない、いけない。

もうちょっとだけ頑張るんだ、わたし。

そうすれば、栄光の週末が待っている!

……「栄光の週末」といっても、何するでもないんですけど。

 

ともかく、週末は骨休めできるんだぞ。

だから耐えろ、頑張れわたし。

 

× × ×

 

とはいうものの、あまりにも連勤の消耗が激しくって、水分補給がしたかったので、一瞬だけ保健室を留守にして、いちばん近くの自販機に向かった。

 

自販機で男の先生が飲み物を選んでいる。

ドイツ語の杉内先生だ。

 

去年の暮れ――保健室で、杉内先生の前で、わたしはしくじってしまった。

突き指の応急処置をするだけなのに、何回も失敗して。

あのときは――、

 

「情けなかったな」

 

やばっ、気持ちが声に出ちゃってる!!

 

「…どうしたんすか? 一ノ瀬先生」

 

心拍数と体温の上昇。

 

「すすす杉内先生どうも」

「『情けなかった』って、なにが?」

ああもうああもうああもう!!

「わ、わすれてくださいっ」

「オレは忘れてないっすよ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

気が動転して、

小銭がうまく持てない。

 

「わすれて……ない??? なにを???」

「ほら、突き指を、治していただいたときのこと」

「す、杉内先生は、ずいぶん記憶力がおありなのですね、

 そんなまえのこと、

 あれ。

 小銭、落としちゃった。

 あはは、ドジだなわたし、

 拾わなきゃ、

 拾わなきゃ、

 100円玉、

 どこに、

 どこに、

 あれっ、

 ――、

 ――、」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

× × ×

 

意識を取り戻したら、そこは保健室のベッドだった。

ベッドの部屋の天井には蛍光灯。

 

あっちゃぁ……。

やらかしちゃったんだ、わたし。

 

「あ、せんせい起きた」

「さやかちゃん。

 わたし、どうやってここに――」

「自販機の前でいきなり倒れたって、大騒ぎになってたんですよ」

「――教師失格。」

「ほら、あんまり自分を責めないでせんせい。疲れてたんでしょ? 誰だって疲れますよ」

「そういう問題じゃないから。わたしは自分の持ち場、ほっぽりだして……!」

「ほらほら、そんなこと言わない言わない」

「……」

「どうしたの? せんせい」

 

「誰が……ここに運んでくれたのかな?」

 

「ああ! そのことなら、偶然その場にいた杉内先生が、大慌てで保健室まで担ぎ込んでくれたって」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

× × ×

 

なにか全員集合、といった感じだった。

伊吹先生、伊吹先生の先輩格の皆口先生、理科の上重先生、羽田さん、さやかちゃん――みんなが協力して、わたしの持ち場を守ってくれていたみたい。

 

杉内先生も。

わ、わたしを担ぎ込んだ、杉内先生も、もちろんその場に。

 

何度も、頭を下げる。

「すみません、すみません、あってはならないことでした」

 

「そんな恐縮そうにしないでもいいですよ、失敗は誰にでもあるんだから」と伊吹先生。

「コラっ伊吹、『失敗』とか言うんじゃないのっ」と皆口先生。

「一ノ瀬先生、教師同士、助け合いましょう?」と上重先生。

「季節の変わり目だから。あんまり落ち込まないでください、一ノ瀬先生」と羽田さん。

「土日はゆっくり休んでよね、せんせい」とさやかちゃん。

 

 

「タハー。いきなり自販機の前で崩れ落ちたから、いったい何が起こったんかと思っちゃいましたよ~~」

「……その節は、ありがとうございました」

「どういたしまして!」

「……今後は、こういうことがないようにします」

 

 

「先生?」

「なーにかしら、羽田さん」

「あの、なんでわたしの顔見て、杉内先生に返事してるんですか?」

 

 

 

 

 

 

 

 

察してよ……羽田さん。

羽田さんはそういうところ、察しがいいと思ってたのに。

わたし、素直になれないの。

素直になれない……し、恥ずかしすぎるから、

杉内先生の顔を見て、話せるわけないのっ。